見出し画像

わたしがいるのは、名前も知らないあなたのおかげ

4月7日。CSで「男たちの大和」を放送していた。4月7日は、沖縄で戦艦大和が沈没した日だ。片道の燃料を積んで、1億総特攻の先陣を切った。


さて、わたしの手元には1枚の履歴表がある。祖父の戦時中の履歴書だ。【所属 大和 、配置又は経歴  焚火員】と書いてある。

祖父は大和の乗組員(ボイラー員)だった。今で言うところのマリアナ沖海戦や、レイテ沖海戦に行ったことが履歴表に記載されている。

しかし、沖縄戦前の1月に横須賀で下船している。いや、下船”させられた”。「沖縄には若い人は連れていかない。」そういう方針だったそうだ。祖父は当時20歳頃。若人ギリギリだったかもしれない。

今わたしがここにいるのは、未来ある若者を大和から降ろす判断を下し、それを実行した人たちのおかげだ。

顔も名前も知らない、あなたのおかげで、わたしは今ここに生きています。本当にありがとうございます。

画像1

▲履歴表の注意書き


余談

広島県呉市に大和ミュージアムがある。祖父と1度行ったことがある。

ミュージアム内には、10分の1サイズ(全長26.3m)の大和がある。祖父はそれを見ながら「この大砲は最初は付いとらんかったなあ」等、懐かしそうに言っていた。

「大和はほんまに大きゅうて、甲板で運動会ができるくらいじゃった」

「ボイラーの階は暑ぅて暑ぅて。1階上に上がるだけで温度が違って、涼しかったのぅ。寝る時は上がっとったよ」

そんなことも話していたっけ。


(おしまい)