見出し画像

所信表明のようなもの

今回の記事は、ものすごく個人的なあることをスタートするに当たっての今の気持ちを、ものすごくボカシて書いています。なんのことか分からないと思いますが、そのうちちゃんと書くつもりです。そのとき用に、記事にして残しておきます。

思えば1年前に「自分、地獄の釜に足湯しとるがな」と気づかされてからというもの、日々、楽になる方法を探し求めていたつもりが、実は自分を痛めつけていて「一歩も歩けんがな」状態を毎月繰り返し、「お前、日常生活すらままならないのに、なんで会社来てんの?」と言われて、色々考えて会社を辞める決意をしたんだけど。

1年経って、ようやく新たなスタートラインに立てたような感じ。
スタートラインの前には小さな壁があって、それをジャンプして越えるのに、頭が「嫌やねん、それすんの」ってバグってしまって、1日寝たきりだった。

それから4日経ったんだけど、頭のほうも「しゃーない、わかりましたわ」と渋々納得してくれてきたよう。これで安定してくれればラッキーなんだけど、急に思い立ったかのように「やっぱ、嫌ですわ!」と暴走するときもあるから、マジで難儀するわ。

この「嫌ですわ!」が、フィジカル面に現れるときに、どこがどうなるかが予測はできないものの、「今回はこんな感じですか、ハイハイ」と前向きに諦めるようには自分は心掛けていて。とにかく、焦らず騒がず、ゆっくり柔軟に。

この、「ゆっくり柔軟に」が原則の長い旅路を、またここから歩いて行くことになる。

逃げ腰になるくらいのギャンブルな世界。
忍耐と勇気しか戦う武器が無い、孤独な年月になるのは覚悟している。
あまりの哀しさに「どうしてこんなことに」と思う瞬間もあるんだけど、あれもこれも、自分で決めてきたんじゃん。諦めて「しゃーない、しゃーない」と目の前のことを1個ずつ認めて、さらっと流してしまえばええんよ。

時間が経てば、ある程度は「そんなこともあったね」って、眺めることができるようになるだろうし。今までもそうだったし、きっとこれからもそう。

だから、「大丈夫だ」って、未来のことを、ここで一発決めてしまえ。

わたしは、やり遂げることができる。その道に完璧さは求めない。
一歩進んで二歩下がっても、急に三歩歩けたりする日もあるし。

あの日、体の奥底から生きたいと思った自分を忘れずに。生き延びよう。
たくさんの経験をしたら、誰かの背中を押したい。あるいは、そこに行ってはいけないぞと喚起できる石碑になりたい。わたしの前を歩いていた人たちが、今のわたしを救ってくれているように。

ここまでパソコンで書いて、上げてる腕がしびれてるけど、これもしゃーない。そのうち気にならなくなるさ。


(おわり)