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#音楽の履歴書 書いてみた

ささいな笹さんの記事を読ませていただきました!

こ、こ、これは、ぜひ書きたいやつ!! とテンションが上がってしまって、#音楽の履歴書を読みつつ、書くエネルギーを溜めつつ、自分の幼少期からを思い出していました。

では、いきますよ~ 途中動画貼ってたりするんで、それだけでも聴いていってね~

幼少期

ジャズバンドを組んでいた父の影響により、音楽教育を受け始める。ボサノバのスタンダード曲「オルフェのサンバ」をエレクトーンプレイヤーさんが弾いているビデオを見て、わたしもあんな風に弾きたいと強く思い、エレクトーンを習い始める。
同時期「劇団飛行船」(過去記事)にドはまりして、狂ったようにカセットテープを聴く。ミュージカルが身近なエンタメになる。

小学生

エレクトーンで習う曲が中心の生活。ジャンルはクラシックかフュージョン。家にあったクラシックCDの中で、よくリピートしていたのはルロイ・アンダーソンの「タイプライター」。


ドライブ好きの父が車中で流していたのはフォークソング、グループサウンズ。わたしがこの世に生を受けていない時代の曲たち。よしだたくろう・かまやつひろしの「シンシア」や、荒井由実の「あの日にかえりたい」、山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」なんかは、曲が流れてくると今でも条件反射で歌ってしまう。歌うとすごく気持ちがいい。


セーラームーン等のアニメ好きなわたしを見た親がアニソンのコンピレーションアルバムを買ってきてくれて、よく聴いていた。自分で欲しいと思って買ってもらったのは「魔法騎士レイアース」のキャラソン。声優さんをリスペクトし始めたのはこの頃。緒方恵美さんがエメロード姫(かわいい)とイーグル(かっこいい)の両方で歌えることに愕然とした。

高学年になると、るろうに剣心のEDだった「HEART OF SWORD 〜夜明け前〜」でT.M.Revolutionが好きになり、以後今日に至る。併せてJ-Popを聴き始める。SMAPの「SHAKE」を親にねだって買ってもらったり、同年代のSPEEDを筆頭に、沖縄アクターズスクール出身のアーティストに憧れのまなざしを向けるようになる。

中学生

CDがミリオン、ダブル、トリプルミリオンセラーの時代。
SPEEDの「White Love」の2番に入る前のため息を、いかに色っぽく歌えるかで盛り上がった友人たちとのカラオケが印象深い。

友人に借りたB'zのアルバムに収録されていた「いつかのメリークリスマス」で初めて曲で涙する。旋律が琴線に触れる思春期。

ロックに目覚めた(過去記事)。

エレクトーンプレイヤー窪田宏さんを崇拝して、曲をしこたま聴いて弾いていた。


父にビートルズを聴きたいと言ったら、後日CDを買ってきた。CDラジカセで聴き始めると4人の”会話”が聞こえてきて、歌わんのかい! とツッコんだ、そのアルバムは「LET IT BE」だった。

声優さんへのリスペクトは止まらず、声優ユニットWeiß(ヴァイス)にハマりにハマって、耳にタコが出来るくらい曲を聴いていた。ラストライブに東京に行きたい地方の中学生だった。カセットテープにWeißの曲を録音して祖父とのドライブ中にかけていた。
ポータブルCDプレイヤーを父から譲り受け、ひとりの世界に没頭できるようになった。特にヴァイスが打って付けだった。

もののけ姫が公開されて、その世界観に圧倒され、サントラを買った。「アシタカせっ記」が好きすぎて、エレクトーンで毎日弾いて悦に浸っていた。もののけ姫はジブリアニメの中で、今でも1番好きな作品。

もののけ姫みたいな、盛大な印象を受けるクラシックもよく聴いていた。ホルストの「惑星」、カール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」など。

ポケットビスケッツが好きだった。「My Diamond」のマスターテープが鉄球で潰された時には、テレビの前でガチ泣きして、リリースできた時にもガチ泣きした。

Mステで見たhideの「ROCKET DIVE」のレーザーを使ったパフォーマンス。すごく楽しそうなhideの顔が忘れられない。その後の「ピンクスパイダー」「ever free」の流れが、心臓に突き刺さったままだ。


中学の卒業式後にクラスメイト(女子全員)と行ったカラオケ。最後に歌ったモーニング娘。の「LOVEマシーン」で大盛り上がりした。世紀末だった。

高校生

第三次パラパラブーム、ユーロビートが巷にあふれる頃。

MDコンポを買ってもらい、ラジオで邦楽新曲のチェックを欠かさない日々。番組をMDに録音しながら、邦楽をまんべんなく聴いていた。

BUMP OF CHICKENの「天体観測」がまだ流行る前、ラジオから新曲として流れてきたのを耳にした時、この曲はくる…! と思ってゾクゾクしたのを覚えている。

他にもゾクゾクっとしたのは、鬼束ちひろの「眩暈」や、Coccoの「焼け野が原」。女性シンガーのドロっとした内面が迫って来る感じに放心していた。

映画を観る機会が増え、ミュージカル映画のサントラを聴くようになった。「ムーランルージュ」や「シカゴ」が好きだった。

エレクトーンは大学生になる寸前まで習っていた。先生からの影響は大きくて、先生の好きなクライズラー&カンパニーのクラシックアレンジに惹かれて、よくアルバムを聴いていた。


大学生

TRIX(過去記事)をはじめ、J-フュージョンバンドのライブに行くようになる。Yahoo!ミュージックでフュージョンチャンネルを無限ループしていた。
そこで出会った大高清美さんのオルガンサウンドに魅了され、追っかけ始める。


ニコニコ動画で様々なボーカロイド曲を聴き、毎週PVランキングをチェックしていた。わたしのマイリストは今でもボカロで埋まっている。


大学のサークルメンバー(女子オンリー)とカラオケに行くと、全員で喉がつぶれるほど歌う定番曲があった。「創聖のアクエリオン」って言うんですけどね。

社会人

会社の同期と仲良くなるためにCDの貸し借りを始める。同期は主に洋楽を貸してくれた。その中で、最もわたしが気に入ったアルバムが、Gnarls Barkleyの「St. Elsewhere」だった。1曲目からドストライク過ぎて、感激して、気持ちをたくさん伝えたくて、手紙を書いて返した。
以降、しばらくCD+手紙のやり取りが続いた。


メジャーデビューする寸前の9mm Parabellum Bulletの「Discommunication 」MVを繰り返し見ている自分に気が付き、これはハマったなと自覚。
後に1度目の離職後、999武道館ライブへ行く。

アルカラの「夢見る少女でいたい」MVでも同じ現象が起き、ライブへ行く。

ゴールデンボンバーの「女々しくて」がニコ動内で人気だったことを受け「これは、カラオケで歌うやつや」と思い、会社の忘年会2次会でカラオケに行った際、1人で全力で歌い踊り、ポカーン(゜-゜)とされる。その時はまだ世間に認知されていなかった。
その後の金爆ブレイク後に「女々しくてを振り付きで歌ったパジャマさん」と上司陣に認識される。
金爆のライブには、もちろん行った。

同年代のバンドに勇気づけられる会社員時代だった。


上京してから、心細いときによく聴いていたのがフジファブリック。会社帰り、夏の夕暮れに「茜色の夕日」がiPhoneから流れてきて、空を見上げながら歩いていたのを、昨日のことのように覚えている。

現在

ストリーミングサービスって素晴らしい。昔好きだったゲームのサントラがあったり、メイドフォーユーなんてものを勝手に作ってくれる。
そばを通り過ぎていった曲たちが「こっちこっち!」と手を振って待っていてくれる感じ。

最近手を振ってくれたのは、はっぴいえんどの「風をあつめて」だ。

以上!
お付き合いいただき、ありがとうございました。