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頑張らなくてもいいんだよってホント?

「頑張らなくてもいいんだよ」
こんなことをいう人がいるが本当か。にわかに信じられない。誰に向けた言葉なのだろう。
頑張るというのは、何らかの負荷に耐えるということも含んでいるはずだ。

そういった意味では、生きている人のほとんどは頑張っている。頑張らなくてもいい人はどこにいるのだろう。ぼくのまわりには、頑張らなくては生きていけない人ばかりに見える。負荷をのりこえなくてもいい人はどこにもいないのではないか。ちょっと考えさせられた。

ぼくは頑張らないと生きてはいけないだろう。苦しいという意味ではなく、楽しさにも負荷はあるからだ。

人間は、ともすると怠ける、やるべきことをサボろうとする。誰でも知っている。経験もしている。
「頑張らなくてもいいんだよ」
と言われれば、「はいそうですね」と受け入れてもらいやすさは抜群だ。
「頑張ろう」と言えば、「…」になりやすい。
ま、それもいいだろう。頑張らない選択もあるのは間違いない。
しかし、頑張った人生と頑張らなかった人生には大きな違いが現れてくることも間違いない。


いくら、ぼくは人間の能力はほぼ五分五分だといっても、それは能力の問題であって、技術的なものを身につける、経験値を上げる、思考力を鍛える、技能を磨くということとは違うのだ。

能力を磨く旬を過ぎてから、「私には才能がない」「私は何にも出来ない」「私には能力がない」と泣き言を言い出す。何人もみた。
「何のために生きているのだろう」と言う羽目になる。
原因は何か。
「頑張らなかったからだ」


「頑張らなくてもいいんだよ」といった甘い横着な考え方に惹きつけられてはならない。それを信じたばかりに、繁殖期を過ぎて、人生を最も楽しめる年代になった時、何もない自分に気づくはずだ。
「頑張らなくてもいい」のは、65歳過ぎたあたりからだ。「無理しなくてもいい」という意味だ。

若い世代は、頑張った方がいいのだ。なぜなら、頑張った経験が生み出すもののほとんどが幸福感につながるからだ。成果は時間がかかるかもしれない。
自尊心、自信、誇り、勇気、哲学、体験、そんなのは、みんな頑張ったことから生まれたのだ。
頑張らない人にはこの値打ちの意味はわからないだろう。知りたければ頑張って探してみることだ。答えは必ず見つかる。

「頑張らなくてもいい」と言っている人は、実は頑張っているはずなのだ。
あの、学生時代を思い出してほしい。
「昨日、テスト勉強した?」
「いや、やろうと思ったけど寝ちゃった」
目を見たら真っ赤だ。
「マラソン大会はみんなでゴールしよ」
「そうだよね」
ゴール近くなると皆が足速になっている。
騙されてはいけない。出し抜かれないように「頑張る」のだ。
「そんな意味じゃない!」という人もいるだろう。では、どういう意味なのだ。文脈以外に意味があるのなら、頑張って改めた表現をしてほしい。

どうとでも取れる曖昧な表現をまにうけて、大切な時間というものを浪費している人がいることを頑張って考えなくてはならない。

嫌われるのを覚悟で述べてみた。

今日の知恵は、
「頑張ることは値打ちがある」
「出し抜かれるな」
「努力を信じろ」