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いいものは制限の中から生まれる

文豪ゲーテは、
「制限の中に初めて名人が現れる」
といった。
何でも出来るから何でも出来るとはいえない。事実は、絞り込み、自分で制限を加えることで何かを成すかもしれないのだ。


制限は不自由ではなく自由を得るかもしれないということだ。
サルトルのいった「人間は自由の刑に処せられている」は、制限によって解放されるだろう。

医学のブラックジョークに、こんなのがある。
「外科医は何にも知らないくせに、何でもやりたがる」
「内科医は何でも知ってるけど何にも出来ない」
「病理学者は、何でも知ってるし、何でもできるが、たいてい死んだ後だ」

というやつだ。

ぼくの仕事は、投薬や外科手術が出来ないという強い制限がある。あえてそれを選んだ。制限の中から何ができるのだろうかという挑戦が動機だ。
何にも出来ないけど、投薬や外科手術以外は何でもできる。

何かをやってみたいという人は、一度自分に制限をかけてみるのもいいかもしれない。
何でもできるけど、選択肢の多さは、何にも出来ないかもしれないからだ。

「あれもこれも」はかえって限られた時間を無駄に使ってしまう。

ぼくは制限の中の自由を経験している。
治療は「痛みとは何か」にテーマを絞った。趣味の絵を描くことは油絵に絞った。陶芸は原土に絞った。時間を絞り込むためだ。そこに賭けたからには、何かが観えるまでやり通すしかない。
環境も才能も凡庸な普通人が、何かをするには時間が足らないのだ。

これは知恵になるかどうかはわからない。
「自らに制限を加えるべし」
「対象を絞り込んで集中するべし」

まだ継続中である。