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社会に向いてない人間

大学に落ち、地元の塾に通ってから二か月半。
毎日ほとんど勉強できず、Twitterに嫌いなインフルエンサーの悪口と恋愛への後悔や妬みを投稿しているだけで「二か月半」が過ぎた。
私立大学ならあと8か月、国立大学ならあと8か月半で入試を迎える。
毎日「明日こそは10時間勉強する」と決意し、午前3時~4時ごろまでスマートフォンをなんの目的もなく触って翌日起きられず後悔する、というループから全く抜け出せない。浪人を決めた当初は、「高校を卒業してから数年ダラダラしていても一念発起して○○大学に合格する人も浪人経験があっても社会的に成功している人もいるし俺も何だかんだ大丈夫だろう」という根拠のない安心感があったが、今はもうない。
少し考えてみると、その人たちはきっと高校まで何かに打ちこんで努力してきた経験があったり、高校を卒業してからも勉強以外に自分が心から時間を使えるものがあったのだとわかる。俺は毎日4~6時間ほどやっているTwitterでさえ新規の人と繋がるわけでもなくただ代わり映えのしないツイートをしているだけで、何も進歩がない。
思い返せば、俺は小さいころから努力ができなかった。小学五年生の頃、初めて算数で躓いた。当時通っていた小学校では教科書よりも簡単なレベルの通常のテストと、教科書より少し難しい応用問題のテストの二つを採用していたが、応用問題のテストで見たことのないような点数を取ってしまった。その問題のレベルは教科書よりは高いものの決して中学受験で出題されるようなレベルではないし、教科書の該当範囲を数回読んで、当時ほとんどやらなかった通信教材を解けば、同じようなレベルの問題が出ても対応可能だっただろう。しかし全く復習しなかったため同じ系統の問題が出ても対処できず子供心に後悔した覚えがある。もちろん勉強習慣のなさは案の定その後の受験にも影響を与えることになる。
小学校の頃の将来の夢は絵に関する職業だったが、小学校高学年の頃には月に一回模写すれば上出来なほどの練習頻度になり、中学に入ってそれすら途切れてしまった。数少ない趣味の一つであるゲームも中高の時間をかなり費やした割には同じタイトルを長時間遊ぶことができず、上達も並以下なので低ランクのタイトルを量産しただけになっている。
現在の社会は物や情報が溢れかえり、生命を脅かされる体験が減ったぶん「社会的な努力」が求められる。努力して中学や高校に入り、努力して大学に入り、努力してそこからの道を切り開く。勉強や習い事はおろか好きな事すらまともに努力することができない俺は文字通り「現在の社会に向いてない人間」なのだろう。
大きな目標を立てればモチベーションが一日も続かず、小さな目標を立てれば先延ばし癖で一切手をつけない。志望校も将来の夢も高いハードルを選択しただけで越える努力をしようと試みることさえしない。人生を諦めていたり、投げ出しているつもりはないのに努力が継続できない。
そもそも、志望校を決めた理由の大部分は、地元が嫌で東京に出たいからだった。公共交通機関の本数も娯楽の選択肢もとても少なく、嫌いな同級生ばかりの田舎から脱出したいと願って、高校一年生の俺は受験勉強を始めたはず。東京に出てやりたいことも沢山ある。恋愛、スポーツ、読書、新しい趣味の発見…それらは俺の人生では「大学合格」の延長線上にあるもので、受験勉強の動機にもなるはずだった。しかし、現在はいつも通りの田舎で代わり映えのない一日を無為に過ごすだけの日々。嫌なことから逃げる努力すらできないのは自分が何をしたいのか、何が嫌なのかすらわからなくなっている証拠だと思えてくる。俺が今日から心機一転何かを頑張ろうと決意しても、たぶん明日には何も考えずゲームをしたり動画を見たりしているのだろう。
メデューサ、かすみ、彼方、ランジュ、果林、ベルナデッタ、ねねっち、フルフル、シャミ子、助けてくれ。
2024606