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やみとそら~創作の系譜:番外~

おれはほんとうの空を飛ぶことを忘れたのは何時からだろう?

少なくとも畜産的な日教組の洗礼を受けてからだという事は間違いない。

「お母さん、風食べてもいい?」と母親に聞く子供であった。

そんな少年がスカートを履いた女を剣で滅多刺しにする落書きや、

膨大な数の戦闘機の絵を模造紙に描いたりするのには、

畜産的な義務教育が大いにそうさせた。

おれはそれから沢山の生き物を殺す様になった。

生き物を殺し合わせたりして遊んだ。

腹を減らせて、大きなカマキリと小さなカマキリを虫かごに入れて殺し合いをさせて、

決まり切った小さなカマキリが無惨に食われるのを見入ったものだ。

ザリガニを砂場に放ち、水分を抜いて苦しんで弱っている所をスコップで切り裂いたり、

ノコギリクワガタにカナブンやハナムグリを引き裂かせて内臓が飛び出るのに歓喜したり。

蛙は可哀相な感じがして出来なかったけれど、トカゲを踏み付けて潰れるのを楽しんだり。

クロオオアリを松の葉で何匹も串刺しにして、生きたままうごめくのを楽しんだり。

オオカマキリに沢山の虫を食わせて、生きながらに命が絶えながら食われる様子を楽しんだり。

畜産的な学校教育が如何なるものであったかは、

愚痴になるので言わないし、

有料の¥10、000のコラム”日曜日のあさごはん”で書いてあるので割愛する。

しかし、家畜として屈辱を受け続けたおれは、

更なる弱い命を弄ぶ事で自我を保っていた卑しい子供であったし、

そんな汚れた魂は、”三つ子の魂百まで”と言うように穢れも罪業も浄化はされない。

十年前に友人にアルカイダの斬首動画を見せられた時も悠長にタバコを喫っていたものだ。

「へぇ、首が離れても横隔膜って動くんだ、へぇ、すげえ」と感じながら、その友人の夕食を作っていた。

夕食は一本のイナダの刺身であった。

おりしも、その時には、おれは強烈な副作用を伴う向精神薬を服用していてイカレていた。

そんな事が色んなものを失いながら十年続く。

・・・・

おれは、ストーカー女に色々とやらかされて現在の公団に引っ越して、

日当りの良い広い部屋で少しずつ、孤独ながらも平常な心を取り戻したものだ。

それでも過度な飲酒で毎日吐かない日は無かった時もあった。

それでも希望を見出せる可能性にコンタクトを取り続けて、

現在は腐っても作家の端くれになったりした。

それは、漂白されたエサを与えられ続けたおれが、

有害とされるメディアを取り込んで滋養と免疫を身に着けて、

逞しくなったからだとも言える。

今では理不尽な公開処刑の動画に怒りを覚える。

生活の為に、家族を食わせる為に売春を一回だけした為に、

銃殺刑に処された中国人の女性の遺体をインターネットで見ると身がつまされる。

フィリピンでは日本の東大生みたいな身分の学生が親の風邪薬を買う為に身体をひさいで許されるのに。

おれは片足でクラッチ、アクセル、ブレーキを踏めない程に頭の回転が遅くて無能であり、

オートマのギアが理解不能なほどに無能で愚鈍だ。

ガソリンで稼働するモーターの推進力に恐怖する臆病者だ。

大きく何かが偏っている。

だからこそ得られた力もあると思いたいし、そう思っていなければやってられない。

アスペルガーだか自閉症だか解らないが、おれはやはり障害を持っているし、

大きく偏っているし、

大きく劣っているけれど、

人格にも決定的な亀裂があって問題があるが、

とてつもなく優れている部分もあるのだと思う事にして生きている。

そんな刺身包丁みたいな人間が、

人間の中で生きていけるのは、

刺身包丁を扱う職人と、

損得を抜きに感情をぶつけてくれる、

掛け替えの無い友達がいるからだ。

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