第134回 「ざやっくん」と娘

娘はYouTube動画の「ざやっくん」が大好きです。

「ざやっくん」は解熱鎮痛剤の座薬のことで、風邪をひいて熱をだした動画の主人公を助けるキャラクターです。

主人公は座薬を入れることをいやがりますが、夢のなかに「ざやっくん」が現れ、主人公を熱の怪物達から守ります。

「ざやっくん」は熱の怪物を倒すごとに体が小さくなっていき、最後には溶けてなくなってしまいます。

娘はこの動画を見たあと、自分も座薬を入れるのだと熱もないのに言い張りました。

困った妻は娘のおむつを脱がして、座薬を入れたふりをして済ませましたが、わたしはその様子を見ていて、3歳の娘にも「ざやっくん」の自己犠牲の精神がわかるのかと感心しました。

娘がこの動画を好きなのは、おそらく動画の物語に共感しているからで、実際に座薬が嫌いな娘が上のように駄々をこねるのは、共感を行動にうつしたいという感情からだと思います。

わたしが子供のときは映画で見たブルース・リーの真似をしてヌンチャクを振り回しましたが、娘は「ざやっくん」なのです。

ここでちょっと不思議に思うのは、小説などでは美談として描かれる自己犠牲が3歳の娘に理解できるのはなぜかということです。

娘はまだ倫理という概念もなく、学校で道徳教育を受けたわけでもないので、これを好ましいと思うのはある程度生得的なものなのだと思われます。

自己犠牲や利他的な行動が、人の脳にあらかじめインストールされているプログラムによるものならば、古くから議論されている性善説か性悪説かに対する答えは簡単に出そうな気もしました。しかし、よく考えてみると性善性悪で議論される善悪は単に好ましいとかそうでないとかのレベルではないようにも思えます。

ひとつ確実なことは、父であるわたしは、娘が「ざやっくん」を好きなことを好感をもって見ているということで、どちらかというと性善説の方が自分には合っていると思うことです。

娘には「ざやっくん」のような人のために行動できる人になってほしいと思います。

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