雑感…
ドリルの影響?
日本が初めてW杯に出始めた時に課題に上がったもののなかに
「コンタクトスキル」
「プレッシャーを受けたなかでの正確な技術」
というものがあった。
これは指導内容に判断要素の薄いドリル形式がメインであったことが影響していたのだろうか。対人形式でのトレーニングに欠けているゆえに「相手が居なければ上手い」という評価が聞こえていたのだろうか。
情報の取捨選択
最近まで…今もその指導バランスは議論にあがるなか特に育成年代は悩まされているように感じるが、そのなかでもトップレベルで通用する選手が増えたのは単に裾野が広がったからだろうか。
そのなかで情報が簡単に手に入るようになったことは大いに関係しているような気がする。
昔ほど各国のプレースタイルに差異が無くなり、それこそアジアのチームは1994アメリカW杯以降コンスタントに勝てるようにもなってきている。
各国間で指導者が移動しているのもあるだろう。
ベルギーの躍進にはオランダの指導者が影響を与えているという話がある。カタールはアスパイヤーアカデミー日本も積極的に外国籍の指導者を受け入れている(少し前のジェフ千葉のジュニアはスペインの方が見ていたり)
ただし安易に真似することは危険か。「欧州ではドリルをやらない〜」というものをそのまま日本に持ち込んでいいものか?
向こうでは既に「出来上がっている」選手がクラブに入り、日本では「これから始める」選手が入ることが一般的だったり。
スイスではまた違った環境があることを聞き面白かった。
…この違いによりドリル形式やコーチングの必要性が違ってくることは実際に向こうの指導者も納得していた(最初ドリルは「全く必要ない」とまで言われた)
いわゆる一流国もそれは模索中で、特に近年ではドイツ・イングランドは明らかにこれまでと違う特徴を見せてきている。国のというよりその人の方針とも言えるのだが。
技術以外のものへ
日本の技術信仰…技術に焦点をあて、またそれを日本の特徴と捉えていたことは1996以降に急に技術面に特徴のある選手…MFをSBやWBに置く流れにも見て取れる?守備が固くても攻撃面で仕事が少ない選手への評価は一時的に低くなった感がある。
このあたりは近年の内田・酒井・長友・中山・伊藤選手起用で潮目が変わってきた気がしており、ロシアW杯以降は特にSBにも空中戦の強さを求める思考が加わってきたように感じている。植田選手をSBで使ったり。
より現実的になってきた?
1対1信仰…特に1人で突破するドリブル重視なども暫くあったように感じている。
現大学三年生が小学五年生だったころ…10年前は、ビルドアップにGKを使ったら
「ズルい」「先が無い」
なんて謎な声も相手チームから聞こえた。
特に独特な指導を確立していないようなチームでも、自分で剥がすことへの執着が蔓延っていた時期は少なくとも僕の周りではあった。
現在では個の育成含めてより戦術的な部分に焦点があたり、それに伴い求められる選手にも幅が生まれてきているように感じる。
これは代表の活動を通じての変化だろう。
日本の鑑としての代表
代表での戦い方的にはザッケローニ監督時のブラジルW杯が一つの転換期だろうか。
彼らの惨敗はコンディションの部分もあったように感じるが、「世界のトップを目指すにあたり日本人に技術的なアドバンテージは大きくない」と強烈に印象づけたのではないか。
その後日本とスタイルが似ているとされるメキシコからアギーレ氏を招集したり、アルジェリアを率いて躍進したハリルホジッチ氏を迎えたのは「日本人の特徴である技術〜」という技術信仰から、「それ以外の要素」「弱者が組織としてどのように対抗するか」という考えにより焦点を置いたからこそではないか。
そして現在は西野氏以降日本人路線へ各リクルート含めて正直現状は何に重きを置いているのか理解に苦しむ部分はある。
やけに外国籍スタッフには厳しく、日本人スタッフには甘いような、内輪でのまとまりのような。
そこにはスポンサー等も含まれるのだろうか。
日本人がどう戦うかの他に代表活動に置けるチームづくりの特殊性について取り沙汰されるなど議論は進んでいる感はあるが、
それは協会発信というよりその周囲からの声が大きく「みんなの」代表から「彼ら(代表)とわたしたち」となってしまっているように感じられてしまう。
しかしカタールW杯後の最初の二試合ではこれまでに無いスピードで変化を試みている様子も感じられ、まだまだ期待は捨てないでいる。
徳島は
「チームづくり」については徳島ヴォルティスの軌跡からも最近思うところがある。
「スペイン路線」を継続…一貫したチームづくりを目指しているなか(「一貫」の幅には色々とあると思うが)今期は特にこれまでの良さがリセットされた印象を所々に感じている。
ポジショナルプレーが一般化すると各レーンを埋める5バックが生まれたり、マンツーマンの採用が復活したり…サッカーへの解釈が変わるなか
「一貫」はどこまでを指すのか
そもそも「一貫」は正しいのか
良いものを残し、問題を解決していく…そこには継続的な視点は必要なのだが、変えていい部分と変えてはいけない部分の取捨選択や新しい人材への周知と親和性?までどのように捉えているのか。
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