見出し画像

“ひとりと動物”で暮らすということ

コロナ禍で人との交流も減っている中

一人暮らしで動物を飼おうか悩んでいる方もまだまだ多いと思います。

その中でネックになっているのは
「自分はペットの長ければ25年間ほどの命に寄り添う責任を果たせるのか?」という疑問と不安ではないでしょうか。

私もかつてはそうでした。

でも実際に共に暮らしてみて言えることは、
「人生の荒波を一緒に乗り越えていく心強い相棒ができた」
ということです。

そして、
「人は大切な家族ができると、それを守るための行動を自ずとするようになる」
のです。

私と茶トラのコハク坊やの出会いは知人Sさんからの相談でした。

我が家に来たころのコハク

コハクは生後2か月程で母猫や兄弟とはぐれ、やせっぽっちの姿で一人ヨタヨタと彷徨っていたところを知人のSさんが通りがかり、「かわいそうな子猫がいる…でもうちにはもう5匹いてもうこれ以上は無理だ…それでも、もしあの子が自分から来たら…その時は保護するしかない」と考えて立ち止まると、コハクは自分からSさんに向かって歩いてきて足にぴったりとくっつき助けてという眼差しで見上げてきたそうです。

Sさんは子猫を抱きかかえ車に乗せ、そのまま病院へと急ぎました。コハクはひどい風邪をひいていて、獣医さん曰く「あと1日遅かったらだめだったかもしれなかった」そうです。その後Sさんご夫婦がお世話してくださった甲斐があり、1か月後には元気いっぱいの子猫らしさを取り戻しました。

子猫が元気になったので里親探しをしようと、念のため白血病と猫エイズの検査を受けさせたところ、猫エイズが陽性。これでは貰ってくれる人がなかなか見つからないと途方に暮れます。
(※猫エイズは人には移りません。猫同士では流血するようなひどい喧嘩をしたり交尾でうつることがあります。基本は母猫からウイルスを引き継いだ猫が多いです。昨今は室内飼いですので猫エイズウイルスを持っていても発症せずに穏やかな一生を送れる猫も沢山います。)

私はそんな話を仕事で知り合って間もないSさんから聞きました。

その話を聞いて私が思い出したのは“ナナ”のことでした。

ナナは私が中学生の頃に拾った子猫で、神経質な先住犬がいたため飼えないと親に言われ里親探しをしたのですが、引渡し直前に猫エイズが発覚しキャンセルになってしまい、結局実家の私の部屋だけで飼っていました。
子猫はメスの三毛で、当時流行っていた漫画の主人公からナナと名付け、可愛がっていました。彼女は誇り高いツンデレ女王様でしたが、私とナナは仲良しで学校から帰ってくるといつも一緒に過ごし、寝るのも一緒でした。
勉強していると構ってほしいナナはノート上に寝そべったり、拗ねて本棚から私の教科書を引っ張り出してページを開き、粗相したりしました(笑)

ガラケーから発掘したナナの写真

それから4年後、私は大学生になり神戸の端っこから京都の大学まで片道2時間半かけて通学することになりましたが、元々三半規管が不安定で乗り物酔いが酷く、人込みも苦手な私は、入学から半年経ったころ長時間の通学が苦痛でパニック障害と自律神経失調症になり、ひどい眩暈や吐き気、動悸で起き上がることもままならないようになります。
せっかく入れた学費の高い美大のデザイン科を中退なんぞしたら大変!と、ついに厳格な親から下宿が許された私は京都で一人暮らしを始めることになりました。
ですが「あんた一人で世話できるわけがない」と親の反対を受けてナナは実家に置いていくことに。
それからナナは私のいない私の部屋でひっそり暮らすことになります。
一日数回親や兄がゴハンとトイレの世話をしたり遊びには来てくれますが
私もナナも離れ離れでひとりぼっちです。

結局私の自律神経失調症は治ることはなくそれから10年以上付き合うことになるのですが、大学の方は出席日数も単位もギリギリ、卒業制作も大したものも作れず不完全燃焼な状態で何とか卒業させてもらえました。
しかし時はリーマンショック直後の就職氷河期。40人いるクラスメイトの中でデザイン関係の仕事にちゃんと就けたのは片手で数えられるだけだったと思います。私も病んだ体を引きずって就職活動しましたが全滅で、紹介で大学の近所の零細家具小売店で会社に一人の総務として働くことになりました。

社会人になってからも持病と付き合いながら自分一人を養い自分を世話して生きていくことが精いっぱいのお給料と1日15時間労働の日々。とてもナナを迎えることはできません。
社会人になって1年が経った頃、
母が電話がかかってきました。

「ナナちゃん死んじゃったよ…」

まだ9歳でしたが、腎臓病持ちのナナは老化が早く、最期の1か月はリビングで犬と一緒に暮らし父母に看取られて静かに亡くなりました。
私はその時眩暈を抱えながら仕事漬けの毎日の中で訃報を聞き、自分の拾ったナナの死に目に立ち会えなかった罪悪感と無力感で打ちひしがれます。

目の前のタスクや貧しさに追い続けられるような目まぐるしい暮らしは悲しむ暇も私に与えてくれませんでした。
それから2度の転職と果てしない激務の末、
発症した子宮内膜症を悪化させて入院手術をし、
私は31歳で成果を上げても評価のされない環境についに見切りをつけ、2020年2月20日、3社目を退職し背水の陣でフリーランスとなりました。
そして、この日付をみてお分かりの通り、
起業と同時にコロナ禍がやってきたのです。

そんな無我夢中で資金繰りをしながら新たな案件に取り組んでいた時期に出会ったコハク。
話を聞いた時は、まだ私に小さな命の責任を持つ甲斐性があるとは到底思えず「貰ってくれへんかなぁ?」というお願いを断ったのですが

夜眠ろうとすると看取ってあげられなかったナナのことと、Sさんから見せてもらった小さなコハクの姿が思い浮かび、

私は数日後思わず「あの子に会わせてもらえますか?」と聞いていました。

週末にSさんのお宅に伺うと、コハクは私に物おじする様子もなく無邪気に近づいてきました。
コハクに会って1分で決心がつき、「私が引き取ります!」とSさんに伝えました。コハクの目を見て直感的にこれは縁なんだなと思ったのです。

夏の盛り、私の32歳の誕生日の少し前にコハクをに迎えることになりました。子猫のうちから1歳を過ぎるまではとにかくやんちゃで、6時間遊んで1時間寝ての繰り返しで全然寝てくれない(笑)
夜中に何時間も暴れるので私も眠れない日々。
ナナの時はこんなに手がかかった記憶はないのですが、まるで人間の赤ちゃんの面倒を見ているようです。

遊び疲れて爆睡するコハク
主を噛むコハク
仕事の邪魔をするコハク
クローゼットを荒らすコハク

きっと子供を授かる機会のない私に神様がくださった子なんだと思っています。

人生には節々に「えいや!」と思い切って決断すべき場面があります。

その決断で新しい人生の扉が開いてゆくのです。

私は自分にもしものことがあった時に、コハクの世話をお願いしている人が何名かいます。
外出先での不慮の事故や災害などで数日帰れなくなる事態も想定して餌と水は自動給餌器、トイレは自動お掃除機能のあるものを買いました。
災害のときのためのコハクを連れて避難するための避難セットも用意しています。

出張時はなるべく1泊2日まででかかりつけの動物病院に併設のペットホテルに預けたり、お留守番に挑戦してみたり、ペットシッターさんに来てもらったり1番ストレスが低そうな方法を模索しています。
ご飯は結石治療のため2キロ4500円の療養食フードを3-4週間で消費します。

動物と暮らすのは勿論費用も手もかかりますが、
コハクが私に生きる気力を与えてくれるおかげで、
昨年も増収増益で黒字決算が出来、頑張って仕事ができています。
もしあの時コハクを引き取っていなかったら?
とっくに今ごろ鬱になってそこから抜け出せずにいたと思います。

今までは沢山の困難を一人で歯を食いしばって、眠られない夜も数えきれないほど過ごして乗り越えてきましたが、今は辛いことがあっても、いたずら坊主のコハクが側で私を笑わせてくれたり困らせてくれます。

保護猫、保護犬譲渡活動をされている方の中には単身者には譲りませんという方針の方もいらっしゃいますが、
単身者でもこのように可能な限りの対策をすれば動物を幸せにできると思っています。

家族に迎えて世界一幸せにする」覚悟があれば
動物はあなたの1番の味方で応援者で生涯純粋な愛を与え合う存在になってくれるはずです。

相棒

この記事が参加している募集

#ペットとの暮らし

18,256件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?