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「理」シリーズ

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正しさとはなんなのか。「理」について考えました
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#感情

なぜ私は「理」を考えるのか 集団編①

個人で定義をしてきた「理」 「理」とは「正しさ」の最小単位であることは何度か述べてきたが…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「なぜ私は理を考えるのか」を考えるのか ⑤~⑧編

 ひとまず「理」の個人編が終わった。また頂いたコメントに返信していきたいと思う。 コメン…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「理」を考えるのか⑧

感情を分解において、最小は人それぞれ ある事象に対する感情を分解して「理」を取り出す際、…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「理」を考えるのか⑦

感情の分解の程度を決める「観察深度」 感情をどこまで分解するかの程度を「観察深度」と定義…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「理」を考えるのか⑥

「理」を得るには感情をより理解することが必要 感情には「理」が存在するが、近くした感情が…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「理」を考えるのか⑤

感情の中の「理」を取り出す方法 前回感情の分解の方法、そして取り出されるものがまるで因数…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「理」を考えるのか④

感情を分解することで、「理」を取り出す 嫌だ、嬉しい、悲しいと言った感情には「理」が存在する。しかし人間がいわゆる、”感じる”感情は純粋ではない。様々な要素が組み合わさっている。それを分解するには、前回述べた事象の分解が必須になる。 一つの事象に対しての感情は一つだけ 大前提として、事象に対応する感情は一つだけだ。必ず一対一対応にな る。この理由は後に述べる。  再び例を考えてみよう。  「自分の前にケーキが置かれた」「嫌な人の前にケーキが置かれた」というもの。前回はこれを

なぜ私は「理」を考えるのか③

「感情」に「理」あり。しかしどんな感情も「理」であるとは限らない 前回では、自然にうまれ…

羽栗明日
2年前
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なぜ私は「理」を考えるのか②

普遍的な「正しさ」などない 普遍的な「正しさ」はどこにもない。我々が常日頃から「正しい」…

羽栗明日
2年前
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