行灯-金沢小風景⑦-

 毎日、あまりにも暑いので冗談で「怪談でも聞きたい」なんて言ったのが間違いだった。サークルの先輩の夕子さんが妙にやる気になって「じゃあ家に遊びに来てよ。面白いもの見せるから」と私は夕子さんの実家に誘われた。夕子さんはサークルで一目を置かれる程の美人で私など本来なら相手になどされるはずが無いのだ。そんな彼女からのお誘いを2つ返事以外の回答があるはずがない。

 夕子さんの実家は東山の茶屋街の近くの古い古民家で案内されたのは家の奥の薄暗く黴臭い部屋だった。聞くと江戸時代から内装が何一つ変わってないらしい。座敷の奥に絵の無い掛け軸と古い行灯があった。夕子さんは少し待っててくれと言い残し席を外した。私は部屋に一人残され何することもなく座敷にあぐらをかいた。夕暮れが近いらしく障子戸から明かりが少しずつ消えていく。盆が明けたとはいえまだ蒸し暑いTシャツの襟首を何度もバタバタさせて風を送ったが少しも効果が無い額には薄っすら汗がにじむ。

「お待たせ」障子戸が開くと着物姿の夕子さんが現れ私は息をのんだ。日本美人とはこういう人のことを言うのだ。テレビや雑誌で見る美人などこの人の前に立てば途端に色あせてしまうに違いなかった。

「わ、は、随分とお綺麗で」こういう時の自分の語彙の少なさに毎度嫌悪する。夕子さんは微笑し「ありがとう」と小さく呟いた。照れている姿もまた美しい。夕子さんは座敷奥に座り話し出した。

「江戸時代、加賀藩は京都から沢山の職人を呼んで文化を発展させたんだけど、わたしの先祖も元は京都から来た職人なんだよね」夕子さんの美しさの謎が解けた。彼女は京美人だったのだ。夕子さんは話を続ける。「で、京都から来たのは職人だけじゃないの。京都に住むモノノケも一緒にやって来た」夕子さんは帯の中からマッチを取り出し擦り行灯に火を灯した。夕闇に沈む部屋が僅かに明るくなる。すると絵のない掛け軸が明かりに呼応するかのように滲みだしたかと思うと滲みは小さなオニの絵になり、その鬼が掛け軸からするすると這い出してきた。私は思わずヒィと叫んだ。

「モノノケが市中で暴れては困るのでご先祖様が掛け軸に封印したんだけど、年に一度こうして外に出して遊ばせてやらなきゃならないの」オニは部屋をグルグル周ったかと思うと私の肩に乗り髪をグイと引っ張り出した「イテテ、痛てぇって」私が叫ぶとオニはきゃっきゃと笑う。「随分と気に入られたみたいだね」夕子さんはニコニコしながら言った。

オニはひとしきり私をもてあそぶとまた掛け軸の中へ戻っていった。夕子さんはそれを見届けると行灯の火を吹き消し障子戸を開けた。外には立派な満月がぽかりと昇り月明かりが部屋を照らした。

「どう?少しは寒くなった?」

夕子さんはキラキラした笑顔で私を見つめた。

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