時間について メモ用

 「1日は24時間で皆に平等である」子供の頃からよく聞く言葉である。今回はこれについて深め、人生について拡張して考え、言語化したいと思う。

人生の時間を増やすためには?

 人生の時間(寿命)は有限であり、人によって死ぬ時は異なる。100歳を超えても趣味を持ち生き生きしている老人もいる。自分のおばあちゃんは2024年の3月に104歳で亡くなったが、死ぬ直前まで自分で自分のことをでき、植物を育てるという趣味を持ち生き生きしていた。一方、100歳まで生きていても周りの介護を必要としている方もいれば、最貧国に生まれ、栄養失調で亡くなってしまう子供もいる。ここから、人生の時間は平等ではないと言えるのではないだろうか。また、単に生きていても寿命を浪費する生き方に自分は尊敬できない。どんな小さいことでも目標、目的を持っていたい。
 人生の時間を増やすために、私たちが能動的にできることとして健康寿命を伸ばすことが考えられる。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。

日本WHO協会訳

ここから、自分の経験を振り返りながら肉体的、精神的に健康な状態を維持する方法について考える。

過去の経験から自分が健康でいるためには

 3ヶ月間ニューヨークからサンディエゴ間を自転車で横断した経験がある。この3ヶ月間、毎日100km移動し、自炊して、野宿する生活を行なっていた。この生活では自分は自信を持って健康であったと言える。これは確かな目標があり、肉体的疲労があり、睡眠、食事も不自由なく取れたいたためだと考えられる。
 一方日本に帰ってきて実家で3ヶ月過ごした時は就職先を見つけるという目標があり、実家で、屋根のある寝床、バランスの取れた食事も提供されるという恵まれた環境であったのにも関わらず、とてもではないが健康であるとは言えなかった。
 これは体力トレーニングを行わず、寝る時間が遅くなっていったこと、睡眠の質が下がっていったことが考えられる。
 これ以外にも過去の経験から自分にとって、運動、食事、睡眠、目標、お金のいずれかが欠けると、不健康になり、自分の本来の力が発揮できないと考える。(正味これらを管理することも実力の内)
 実際不健康になり、目標としていた就職先に行けず、失恋という結果をもたらした。

現状分析と今後の健康維持

 4月に実家から京都に移転した際にジムを契約し、5ヶ月が経った。週4-5ペースでジムに行き体を動かすことで運動に関しては満たせている。また、筋トレを始めることで食事・睡眠についても意識できるようになり、自炊の割合を大幅に向上させることができた。しかし、お金は支出が多く、毎月どうにかやりくりできている状態であり、収入と支出のバランスを考える必要がある。また、目標も大学生という短期では卒業と3月に南米でバックパッカーをするという目標はあるが、人生という長期目線だと曖昧であり、固めていく必要がある。人生の長期目標を持つことで環境の変化(大学生から社会人)などにしっかりと対応できるためだ。
 
直近で大きく環境が変化するイベントは就職である。今は大学生という身分で可処分時間が有り余るほどある。社会人になることで運動できる頻度、時間が少なくなる可能性があるが、運動、食事、睡眠、目標、お金を軸にしっかりと生活習慣をデザインしていきたいと考える。

終わりに

 「1日は24時間で皆に平等である」について考えてきた。この言葉の本質はその時間をいかに能動的に使うことができるかであると考える。自分はこれまで承認欲求が高く人と比較しバッドに入ることが多かった。そこで安直に自分と他人との才能や環境の差を理由に自分を変に納得させてきた場面が多々ある。しかし、それは正直言ってクソでその納得させる時間は時間の無駄である。今後は自分の時間をどう能動的に使うかに集中していきたい。



 

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