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八ヶ岳でスマホを落とした時の話

あれ、ない。

 大学生に入って何回目になるだろうか、部活の夏合宿で八ヶ岳の山域を二泊三日で縦走中にスマホを落とした。駅で18きっぷを使って帰るために時間を調べるために、スマホを取り出そうとしたときにスマホがないことに気がついた。「うわー、時刻表調べられない。」「帰りの電車の暇つぶしがなくなった。」「名古屋で観光したかったのに、、」「紛失の手続きめんどいな」などのマイナスの感情がどっと押し寄せてきたが、すぐに嬉しさが込み上げてきた。暇さえあれば、ネットサーフィンをし、虚無感に襲われる自分にとって、強制的にシャットダウンされるスマホの紛失は、過去の紛失の時に生活に良いとなんとなく学んでいたからである。デジタルデトックスというやつである。
 その日は名古屋観光を諦め、スマホを持ち、時刻表を調べることができる後輩に金魚の糞のようについて行き、無事京都に帰ることができた。

翌日

 翌日、起きると手元には一回分余った18切符が残されていた。今後使う予定はない。消費しなくていけないと思い。前日のリベンジで、名古屋に行くことにした。ずっと行きたかったシーシャ屋"yonaga"に行くために、パソコンで名古屋から京都までの終電と栄駅から"yonaga"までの簡単な地図のメモと単行本、財布を持って出かけた。鈍行での移動中の読書は、集中力を遮る機会がないため捗った。難なく、栄駅まで到着することができた。地下鉄の駅をのぼり、自分のメモった地図を見て、絶句した。雑すぎて全く理解ができなかった。栄駅の交差点を中心に東西南北を行ったりきたりした。昼間の閑散とした夜の街で、アウトローです。って感じのカップルがタバコを吸いながら座っていた。2人に勇気を出して道を尋ねることにした。「すみません、京都から来たんすけど、yonagaっていうシーシャ屋どこにあるか知っていますか?スマホ山でなくしちゃって、、、」2人はポカーンとしてたが、男の方がGoogleマップで道を調べてくれて、現在地からの方角がわかった。その後2人と談笑した。2人はバンドマンで、ライブをしに名古屋まで来ているらし。バンドマンと言われて、2人の身なりにしっくりきた。その後、数人に道を聞いて、無事"yonaga"に到着することができた。炭替え(シーシャの温度管理)の時に店員さんに上記の話をして仲良くなった。後日、僕の働くシーシャ屋に来てくれた。

この経験から。

この経験からスマホの便利さを改めて実感した。スマホがあれば確実に目的地まで行くこことは"1人"でも容易である。スマホなしで目的地まで行くことは容易ではなかったが、人の温かみに触れることのできる方法だった。
スマホは便利さと引き換えに生身の人間との関係を希薄にさせているのではないだろうか?

スマホのその後

後日、後発隊に連絡して捜索してもらったところ黒百合ヒュッテの方が保管してくださっており、後輩が届けてくれた。今ではスマホに紐をつけている。今後なくすことはないと思いたい。
戻ってくるのなら、2日くらいなくなってほしいとも、、、、


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