見出し画像

わたしのこと① 早生まれ。

わたしの誕生日は3月の下旬。なので、『早生まれ』です。でも、早生まれにしては身長は高く、なぜかいつもクラスで後ろから2番目でした。(幼稚園から小学校卒業まで)今は普通サイズです。

✴︎

幼稚園の頃、『自分は周りについていけない…』と何度も思った記憶があります。
先生が言っていることが理解できなかったりとか。子ども心に『なんか、ついていけない〜』と思ったことが、何度もあり、その感覚を今でも思い出せます。

何かと出遅れている感がありました。

(けれど年長組のときは、下のクラスの子をリードしてあげたり、お姉ちゃんぶったりもしていたようなのですが。)

幼稚園の課外でヤマハのオルガン教室があり、オルガンを習いたいという以上に、そこに通うときに使う専用のバッグほしさで、親にねだってその教室に通いました。が、ここでもついていけない感が…。

合同発表会のときはエアーで演奏しました。苦笑


わたしの記憶では、なんとかギリギリ周りに追いついたと感じたのは2年生の3学期。パズルのピースがゆっくりと、カチッとハマった感覚を今でも思い出せます。『あ〜やっと追いついた😮‍💨  ふ〜っ…。(なんとか…。)』

かといって、別に成績抜群!になったわけではありません。なんとか自分も周りのみんなに追いついたと感じられたのが2年生の3学期頃なのです。

その頃学級委員に初めて選ばれて、それからわたしなりに何か自信がついたのかそれ以降は毎年学級委員になったり、リーダー的な立場に立つことも多くなりました。

当時母は「(YUKIEは成績が良くて学級委員に選ばれているわけではなく)意地悪をしないし性格が温厚だから選ばれるんやな」というようなことを、よく話していました。ふーん。そうなのか。と、素直に聞いていました。笑

✴︎

話すスピードもゆっくりで動作もゆっくりだと親からよく言われていました。自分では普通にしているつもりだったけれど、何かとゆっくりだったようです。


そんなわたしでしたが、小学校1、2年の担任の辻本清子先生は、わたしの描く絵を、いつもとても褒めてくれていました。また、字も上手だと学校の代表として数名選ばれて市立の美術館に展示してもらったりしました。

成績は普通でも、それ以外の才能を認めてくださる先生だったことはとてもありがたいことでした。


そうそう、ここで一つ小学校時代のエピソード。
わたしは小学校6年間、無遅刻無欠席(学級閉鎖の時は除く)だったのです。6年間皆勤賞でした‼︎
健康体で生んでもらったことに今でも感謝しています。

✴︎

個人差はあると思いますが、今思えば早生まれというのは小学校の低学年くらいまではわたしにとってはかなりハンデだったなと思います。上にお姉ちゃんやお兄ちゃんがいれば、また、ちがったのかもしれませんが、長女だったので。


けれど、とっても楽しい小学校時代でした♡

こちらに続きます。
↓↓↓

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?