短歌について(1)短歌を投稿するべきなのか

はじめに

私はものすごくたまに短歌を詠みます。そしてnoteに投稿したものは「短歌集」というマガジンにまとめています。しかし私は短歌についてほとんど何も知りません。なので、ものすごくたまに短歌を詠むけれど「趣味は短歌です」と言ったことは無いし、おこがましくて言えません。でも一応興味はあるし、素人なりに考えてみたりもします。わからない事はたくさんあるけれど、いつかnoteにも素人なりに書いてみようと思っていました。書こうと思いつつ書かなかった理由は色々ですが、今回とあるnoteを読んで今とりあえず一つ書いておこうと思いました。書こうと思って内容を考えた結果、ちょっと一本にするには長すぎるかなと思ったのでタイトルに「(1)」とつけています。正直このnote自体投稿するべきか迷ったのですが、投稿しなきゃ心が折れそうな気がしたのでやっぱり投稿します。自分勝手な気もしますが、それも今の自分という事で。

きっかけ

まずこのnoteを書こうと思ったきっかけについて書いておきます。「はじめに」で書いたようにとあるnoteがきっかけなのですが、こちらです。

これを読んだ時、心にグサグサッと突き刺さりました。一応書いておきますが、決してこのnoteに反感を持ったわけではなくて、むしろ納得してしまったからこそグサグサッときました。内容は元のnoteを読んでいただいた方が正確に伝わるのですが、クリティカルヒットしたのは次の部分です。

でもまあいい。楽しんで作っているんだろうから。でも、「短歌」を名乗るなと言いたい。「ニューウェーブ短歌です」と名乗ってくれ。こちとら一生懸命に自分自身と向き合いながら言葉を紡いでるんだ。チラシの裏に書いておけばすむようなことや、自分だけが勝手に気持ちよくなってるような自慰を見せられたんじゃたまらない。ましてそれを「短歌」と呼ぶなどとは。

私は「はじめに」で書いたように短歌素人です。素人というか、このnoteを読んだ後だと「短歌」と言って良いのかすら躊躇います。勿論、自分なりに考えているつもりではありますが、読む人からするとそんな事は関係ありません。下手なものは頑張った結果だとしても下手です。今までは「最初はみんな初心者」といった程度の考えで、あまり気にしていませんでした。「下手だけれど、下手なりにも詠み続けなければ上達はしないだろうし……」といった感じです。しかし、その下手な短歌(だと思っているもの)が、ここまで他人を不快にするとは思いませんでした。確かに、誰かが懸命に取り組んでいるものに懸命に取り組んでいない人が入ってきて、そして同じものだと主張するのは、懸命に取り組んでいる人にとって不快かもしれません。先ほど書いた通り私は自分なりに考えているつもりではありますが、懸命に取り組んでいるかと言われるとあまり自信がありません。素人を自称する程度には素人だと思っているので、なんというか、熱心に取り組んでいるとは言えないような気がします。となると、私は自分の詠んだ短歌的なものを「短歌」として投稿しても良いのだろうか、と思いました。そんなわけで、「短歌を投稿するべきなのか」というテーマでnoteを書いてみたわけです。

短歌を投稿するべきなのか

短歌(最初は和歌)を詠もうと思ったきっかけは、「歌詠みの気持ちに少しでも近づけたら……」という気持ちからです。実際、詠むようになってからは少なくともほんの少しは深く理解できるようになった気がしています。なので、短歌を詠む事自体をやめるつもりはありません。しかしそれを投稿するべきなのか、すなわち他人の目に晒すべきなのかと考えみると、即答できません。元々歌を詠み始めた頃はTwitterもやっていなかったので、自分の詠んだ歌を発信することはほとんどありませんでした。何がきっかけで発信するようになったのかは覚えていませんが、最初はTwitterだったと思います。noteに投稿するようになったのは、「長くなり過ぎないから」という、もうめちゃくちゃ怒られそうな理由です笑。当時思ったことをnoteに書いているので一応リンクを。

「さて、なぜ今回短歌の話になったかというと、短いからである。つまり歌を一首詠めば一日の目標を一つ達成。なんて素晴らしい。」と書いてあります。もうこれだけでいかに意識が低いかがわかります。「これは別に短歌を軽んじているわけではなくて……」と弁解したくなりますが、今読み返してみて正直自分でも軽んじているようにしか思えませんでした。ただ一つ言えることは、今は反省しています。この態度は真剣に短歌を詠んでいる人に対して失礼で、少なくとも発信する内容としては不適切だったと思います。これを読んでさらに心にグサグサッときました。勿論自業自得です。

しかしこれについて、一応自分なりの考えもあります。私は何度も書いているように素人でわからないことだらけなので、見当違いのことかもしれませんが書いておきます。まず軽んじているように思われる理由は、短歌を簡単に詠めるかのように書いているからだと思います。でも私は簡単に詠めるとは思っていません。例えば俵万智さんのご著書『短歌をよむ』(岩波書店)を読んで、短歌がものすごく考えた上で作られているんだと思った記憶があります(人によるのかもしれませんが)。それに自分で詠もうとする時も、やっぱり色々と考えます。ではなんであんな風に書いたのかというと、短歌をサッと詠むことに憧れがあるからです。私は国文学を専攻していますが、そのきっかけは『和泉式部日記』です。そして和泉式部は平安中期を代表すると言っても良いほど有名な歌人です。私が歌詠みの気持ちに少しでも近づきたいと思ったのは、和泉式部の歌を少しでも深く理解したかったからです。そして和泉式部の歌は超絶技巧の歌というよりも、色んな物事に対してちょっと機転が利いたような歌が目立ちます(『紫式部日記』にもそのような事が書かれています)。端的に言えば当意即妙です。つまり私の中で歌を詠みたい原点に、当意即妙を目指す気持ちがあります(今はそれが全てではありませんが)。大学の友人とLINEで百首以上の贈答を続けた事もありますが、お互いに「ふとした時にサッと詠めるといいよね」と言っていたので、相手の歌に対していかに早く(そして勿論いかに上手く)返すかということを重視していました。今の短歌界の短歌観にはそぐわないのかもしれませんが、古典和歌に憧れた身としてはふとした感動をその時の感動を忘れないうちに歌にする、という事に私は価値を見出しています。だから先ほどのようなnoteを書いてしまったのだと思います。

しかしそのような状況はnoteでは関係ありません。その歌をいつどんな状況で詠んだのかは書かなければわかりません。例えば私が一番最近投稿した短歌はその一例ですが、投稿した後に自分でももうちょっと考えた方がよかったかなぁと思いました。そしてそう思っていた所に最初に引用したnoteを読んだので、余計に心にグサグサッときたのだと思います。私はその時思ったことをそのまますぐに短歌にしました。勿論ある程度は考えましたが、よく考えたのかと言われると「はい」と言えません。私はその理由を「急いだから」と言うでしょう。しかしこれを読書目線で見ると、単なる下手な短歌(と同じ形のなにか)にしか見えません。

ということは、その時々感じた事を短歌にしたものは投稿しない方が良いということでしょうか。しかしそのような短歌でも、今読み返しても「いいな」と思うものもあります。まあ自分で言っても「自慰」に過ぎないのかもしれませんが、そのnoteに「スキ」をしてくれた人もいるので少なくとも誰かに良いなと思ってもらえたという事なんじゃないかなぁと思います。一方で、こんな下手なものを「短歌」とするなんて不快だ、と思う人がいる可能性もあります。その場合、投稿するべきなのかやめておくべきなのか、今はまだ判断がつきません。

ここからどのように考えていくかしばらく悩みましたが、投稿したいかどうかという点で考えてみました。結論から言うと、投稿したいです。元々は自分の読みの為に詠み始めたものの、一応創作物として誰かに読んでもらうことはモチベーションに繋がるからです。でも読んでもらいたい以上は読んでもらえる歌を詠みたいなと思います。しかしどのくらいの出来なら良いのかというのは難しいです。そもそもどういう歌が良いとされるのかさえ、私は明確にわかりません。なので結局誰かに不快な思いをさせてしまうかもしれません。しかし自分なりに考えながら、短歌を詠んで投稿していきたいなと思いました。そんな論理で良いのかよ、と自分でも思いましたが、自分のやりたいという気持ちは出来るだけ大事にしたいです。

しかし「懸命に」短歌に取り組めるのかというと、微妙なところです。勿論自分なりに一首毎に懸命に取り組むつもりではいますが、例えば今すぐに短歌について詳しく学ぼうとは思っていません。だいぶ前から「いつかもうちょっと詳しく知りたいなー」をだらだらと続けていて、これからもしばらくはそんな感じだと思います。自分のペースで少しずつでも学んでいきたいなぁとは思っていますが、短歌に生きるという所までは思えていません。

そういえば書くタイミングを逃していましたが、これを書くきっかけとなったnoteに引用されている記事は短歌界(?)について書かれたものでした。しかし私は短歌会に所属しているわけではないので、そもそもこんな事を書くのはお門違いなのかもしれません。最初にも書きましたが、私は「趣味は短歌です」とは言えないなぁと思っています。ただ一応「短歌」というハッシュタグはつけていますし、「短歌」のつもりで投稿しているので、こんな事を考えました。

おわりに

最初の方に書いたように、私は引用したnoteを読んで心にグサグサッときました。グサグサッときたところですぐに上手に詠めるようになるわけではありませんが、もうちょっと真剣に向き合うきっかけにはなったなと思います。そして今すぐにとはいきませんが、短歌について考えた事をnoteに書こうと決心しました。備忘録も兼ねて、書きたいトピックを残しておきます。

・「良い短歌」とは何なのか
・韻律について
・「短歌」と「和歌」

思ったより少ないですが、一つ目のトピックに結構色んな事が集約されるように思います。先に書いておくと、「良い短歌」が何たるか、私はわかりません。「いいな」と思ったら自分にとっては「良い短歌」くらいに思っています。それについて色んな例を挙げながら考えた事を書きたいなぁと思っています。

最後に、もしこのnoteを読んで不快に思った方がいたらすみません。ただ私はやっぱり短歌を詠みたくて、投稿したくて、その一応の決意をこのnoteを残しておきたいです。書いたからには今までよりも短歌たるものを意識して詠みたいと思っています。それでもやっぱり見るに耐えない下手くそだったらすみません。その時はもう寛大な心を以て見逃してください。

と、こんな形で終わると後味が悪い気がしますが、上手い締め方も思いつかないのでこんな感じで終わろうと思います。

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