読書感想文(18)越谷オサム『空色メモリ』

はじめに

また越谷オサムです。これも初めて読んだのは『金曜のバカ』と同じ中学生の頃です。10年とまではいきませんが、5年以上ぶりの再読でした。

感想

最初からこんなことを書くのも変かもしれませんが、この作品は終わり方が好きです。なんとなく好きだったイメージは元々ありましたが、読み始めてすぐに、主人公が好きな(恐らく好きな)女の子の名前を呼んで終わるやつだ!と思い出しました。この恋に落ちる瞬間というか、恋に気づく瞬間というか、それがとても好きでした。実際に読み返してみると、思っていた終わり方とほんの少しだけ違いました。記憶の中では女の子の下の名前を呼んで終わっていたのですが、実際は下の名前を呼びそうになって、姓+さん付けで呼びます。そしてそれに対して女の子が「ん?」と顔を上げて終わります。まあ結局、いいなぁと思ったのですが、なんというか、これからの展開に期待してしまいますよね。この爽やかな終わり方が、タイトルの「空色」と相まって心にすとんと落ち着いた感じです。恋に落ちる瞬間、恋に気づく瞬間というのは、読んでいてとても気持ちいいものです。まさに青春という感じがします。越谷オサムの作品だと、『階段途中のビッグノイズ』も恋に落ちる瞬間が素敵だったと思います。恋はどうやって始まるのか、という問いは未だに自分の中で答えが出ていません。でもこれらの作品は確かに恋に落ちる(気づく)瞬間を描いているように思います。それはごく単純な論理で(或いは論理などなくて)、案外恋なんてそんなものなのかもしれません。まあそう思ったところで、現実にはそんな風に説明できないのですが。

この物語は文章、というか語り手が特徴的です。実はこの「空色メモリ」というのは主人公が持っている空色のUSBメモリで、そこに書いた日々の記録がこの『空色メモリ』(本としての)という設定です。なので作中でも「空色メモリ」は出てきます。この「空色メモリ」について、学校の先生のこんな台詞があります。「〈空色メモリー〉、なかなかおもしろかったぞ」と。これに対して主人公の友人は「〈メモリー〉じゃなくて〈メモリ〉だそうです。『思い出』じゃなくて、パソコンに接続する記録メディアのほう」と訂正します。この場面を読んだ時、ああ上手いなぁと思いました。主人公もその友人も、今は高校生です。当人たちにとってこのUSBメモリは記録メディアに過ぎません。しかし、いつか彼らが成長した時、この「メモリ」は「メモリー」になります(まあ語源は同じでしょうけれど、それもまた翻訳の問題として面白いなと思います)。中学生の時にはこの事に全然気づかなかったような気がします。そしてそれは読解力の問題というより、歳を取ったからなのだろうなと思います。記録はいつか思い出となります。そう考えると、このnoteも単に記録ではなく、いつか思い出になるのでしょうか。今は外出する機会が少ないですが、今後は日々の色んな出来事も記録していきたいと思っています。そうすれば、いつか見返した時に色んな思い出を懐かしむことが出来るかもしれません。その時感じたこと、考えたことも面白いと思いますが、ただ単に出来事を書くのもアリだなぁと思いました。

おわりに

若者たちの物語を読むと若返ったような気がします。この調子で若返っていこうと思うので、次も越谷オサムの作品を読もうと思います。『階段途中のビッグノイズ』かなぁ。

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