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自身について つづき

 こんにちは

少しずつ寒くなってきましたね。

 今日は、前回の生い立ちの続きを書いていこうと思います。農協に就職した私が、どのような道を経て農家になったのでしょうか。


 大学を卒業後、地元の農協に就職した私は営農部署に所属することになりました。仕事内容は、簡単に言うと農家さんの経営を色んな方面から支えていくというものでした。とはいえ、農業に関する知識の乏しい私は農家さんを支えるというよりは、農家さんから色々教えてもらい支えてもらう事の方が多かったです。特に、農家さんの作業場にお邪魔して一緒に農作業をさせていただく瞬間が一番楽しく、印象に残っています。

 そして私は何年か仕事をしていくうちに、ある事が目につくようになりました。それは農家さんがリタイアする姿や体を痛めながら仕事をしている姿を見る事でした。高齢化と後継者不足だけは、自分の力で何とかできる問題ではなく、不甲斐なさを感じていました。

 そんなある日、職場で仲良くさせていただいていた先輩(以降、Sさんとします)が新規就農して野菜農家になるために、退職することになりました。彼はプライベートでも仲良くさせていただいていた上に、とても頼りになる先輩だったので、私にとって憧れの存在でした。私は、寂しく思いつつも彼を見送りました。その後、彼の圃場に仕事で行く事もありましたが、毎回一人で仕事をしていて大変そうでした。


 しかし、そんな日々が大きく変わる出来事が起きました。私の父親がステージ4のがんである事が分かったのです。ひとりっ子の私は、母親と協力して看病する事を決め、職場を休みつつ母と交代で父の病院へ行ったり、抗がん治療の副作用で不自由になった父の介護をする事になりました。とても辛く苦しい時でしたが、Sさんをはじめとして色んな方に話を聞いて貰ったりしたおかげで、父の前では常に前向きでいる事ができたと思っています。しかし、職場にこれ以上迷惑はかけられないという思いが私の中で募っていきました。

安定した仕事のある農協に勤め続ける事が、親が望んだ道かもしれませんが、これ以上職場に迷惑はかけられない。私は、Sさんが毎日体を酷使して働いている姿がふと頭に浮かびました。これから農業を担っていく彼が一人で体を痛めていく姿を見るのは嫌だと思いました。また、私が彼に支えられたように、今度は私が彼を支えたい、と。

 私は、農協を辞め、父の介護に専念する事にしました。いつも見ていた父が弱っていく姿は衝撃でしたが、悟られないよう常に前向きに接し続けるよう努めました。たまに時間ができるとSさんの農業も手伝いに行ったりしては、彼からたくさん励ましてもらいました。一年ほどそんな生活が続きましたが、とうとう父は自宅療養中に、母と私に看取られながら63歳という若すぎる生涯を終えたのでした。

 その後は、父の亡くなった後の手続きの手伝いとSさんの農業を手伝いに行く日々が続きました。喪失感に感じないように、必死に何か手を動かしている必要がありました。そんな生活を送っている時、農業という仕事を通じて植物たちの華奢でありながら強くあり続けようとする姿を多々目にしました。植物達は虫や病気から立ち直って、またその枝に花そして実をつけていくのです。そんな植物のエネルギーにとても感銘を受けました。また、植物達が季節ごとに見せてくれる変化にも目を奪われました。

自然は、言葉こそ話しませんが、その姿は多様性を見せ、そして力強く生きている。そんな植物の姿に力をもらいました。

そして、父の一周忌を迎えた後、私はずっと支えてもらったSさんと結婚し、農家となったのです。


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私のこれまでの短い人生ですが、文章にするとだいぶ長かったですね。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

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