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【よみか】映画「いなくなれ、群青」 ~若者たちは真辺と七草の何に共感するのか?

2014年から書かれている小説作品。
「階段島シリーズ」として知られ、シリーズは全6巻。
若い世代に圧倒的な支持を受けていて、僕も学生から教えてもらって、完結編の6巻目が今年2019年5月に出たばかりで、全巻読んでみた。

小説シリーズはなかなかおもしろいし、ラノベ(とは言わないかもしれないけど)としては、小説としてのレベルの高い。

※小説シリーズとしても「よみか(読んだり見たりしたものについて書く)」書く予定。

で、今回はその第1卷のタイトルを冠した映画。
僕に小説を紹介してくれた学生君は、「小説が好きだから、映画を見てイメージが崩れそうなので、見るか迷ってる」とのこと。それもわかる。

実際どうか?

僕としてはこの映画はおすすめ。かなりおすすめ。
原作を読んでないひとにも、多分おすすめ。
小説読んじゃったので、まっさらに映画を見たらどうなのかわからないけど、きっと楽しめると思う。
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  (ネタバレあり)
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階段島は、「捨てられた者たちが住む島」。
原作が言葉で描いている階段島の描写と比べると、最初の印象は「町が古い」。

階段島は孤島で、人口2000人ほど。現代日本の沖合に浮かんでいて、本土から物資が届く(階段島から本土や海外へは出られない)。スマホもあるし、PCもあって、ネットも見れる(発信はできない)。アマゾンで買鋳物をすれば、船で届く。そんな設定なのに、映画の階段島の町並みは昭和30年代。ちょっとふるすぎるなー。

とはいえ映画の中ではアマゾンが届く描写はないし、ネットを使っている描写もないので(つながることは示される)、映画としては違和感は少ないかもしれない。

町が古いことは、映画の進行に従って気にならなくなり、次第に物語世界に没入できるようになる。

もう一つ。

ヒロインの真辺由宇(まなべゆう)が実写版になってイメージが合うか。これはよかった。飯豊(いいとよ)まりえ、ちゃんと見るのは初めてだったけど、個性的な真辺のキャラをうまく表現していたと思う。同じく、主人公の七草(ななくさ)を演じる横浜流星も、堀(矢作穂香)もよいキャスティングだと思う。

真辺由宇はまっすぐな性格で、合理的ではないことが許せない。まっすぐに正そうとする。一足先に階段島に来ていた七草と階段島で再会し、七草は「階段島に真辺がいるべきではない」と直感する。

階段島は「捨てられた人たち」が魔女によって送り込まれる島だ。捨てられた人たちだけどそこでの生活は充足していて、決して不幸ではない。多くを求めなければ快適な生活が送れる。七草も、諦めるようにここでの生活になじんでいる。

しかしその有り様は不自然だ。その不自然さを真辺由宇は許せない。真辺は階段島を出ようとするが、階段島を出るには「なくした物を見つける」ことが必要だ。そのルールそのものが、真辺には許せない。捨てられてここに来た自分が、なくした物を見つけるとはどういうことか? ここ以外の場所で捨てられた自分が、捨てられた場所に戻らずになくした物に出会うことはできないだろう、と。原理的に出られない島に送り込まれる理不尽を真辺は許せない。まったりとした階段島での生活を受け入れている七草は、真辺が(階段島になじんでいる)階段島の住民たちの生活を破壊することに気づいていく。

七草は、真辺のまっすぐな原理主義を愛している。しかし同時に、階段島のあきらめに満ちた状況も、なぜか愛している。

この矛盾こそ、若い世代に支持される現代日本の構図を示しているのだろう。

合理主義や原理主義は、若い世代の特徴のひとつでもある。青年心理学も教えているとおり。一方で、社会は、というより現代日本は、原理主義者は生きづらい。原理主義は貫けない。

たとえば。

日本国は髪型も髪色も服装も(原理的に)自由にしていい国なのに、高校生たちにはどの自由もない。シンプルなことなのに原理を貫けない。生きづらいことを捨てて階段島に来れば、生きづらさを感じずに、諦観(あきらめ)とともにまったりとしたしあわせの中を生きられる。真辺はそれを間違っているという。七草は、それは間違っているかもしれないけれど、しあわせだという。

七草は、真辺を元いたところに帰したいと考える。真辺も戻りたいという。

しかし、真辺は七草といっしょに戻りたいといい、七草は真辺ひとりで戻れという。

この構図が今の日本の若者たちの共感を得るのはなぜなのか?

理不尽さを受け入れろという圧力が、現代日本には多すぎる、それを感じずに済むなら、階段島はいい場所だ、というメッセージに共感するのだろうか。

階段島に残る七草と、原理主義者だけれど、原理を通せない世界に戻る真辺、どちらがどうしあわせで、なにが生きる意味なんだろうか?

僕は、この物語には共感しない。
でもこの物語に共感する若い世代と共感していたいと思う。

小説から、映画になることで、僕自身の「若い世代との共感」が増えるといいなと願う。

その意味で、真辺役の飯豊まりえと堀役の矢作穂香はいい仕事をしている。真辺は、いい子だなと思えるから。堀やいいやつだなと思えるから(堀の台詞は少ないけど、視線はすばらしくいい)。

※堀はこの階段島シリーズで重要な役割を果たすが、第一作ではまだ存在感は薄い。

この映画の続編が、小説版のように作られるかどうかは、多分映画の売れ行きにかかっているだろう。僕は、是非とも続きがみたいと思う。全6作の小説版だけど、映画版は3作ぐらいだろうか? 最後の方はアニメでみたいな。


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