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私がトンガを支援する理由。葛藤と現在地

私は、2016年に一般社団法人BULAVITYという法人を立ち上げ、現在はコーヒー豆の輸入事業と、国際NGOとして災害支援活動を行っている。

現在、2022年1月に起こったトンガ沖の噴火に伴う被災地支援プロジェクトを進めているのだが、今後の中長期的な支援計画を立てるにあたり、なぜ自分がやるのか、どんなことをやるのか、改めて整理する必要があるなと思い、自分の想いを綴ってみようと思う。長文・駄文となると思うので、興味のある方だけ読み進めてほしい。

留学がきっかけでフィジーと出会う

私と南太平洋との関わりは、ひょんなことがきっかけだった。

24歳のとき、ニュージーランドへワーホリに行くために仕事を退職した。だが、お金と語学力が足りなかった私は、ワーホリ前に格安で英語が勉強できると聞き、フィジーに3カ月語学留学をした。詳しくは割愛するが、とにかくいろいろと衝撃を受けた。期待をしていなかった分、その魅力にどっぷりハマったのだと思う。

何者かになりたくて暗中模索

帰国後にフィジーのために何かしたいと考えたものの、私は一度フィジーに滞在したことがあるだけの、ただの短期留学生だ。何をやろうにも周りからは信頼されようもないし、なんだったら少し蔑まれることすらある。何も持たざる者であった私は、「まずは何者かにならなければいけない」と思った。

当時は、ブロガーという職業が隆盛を極めていて、キュレーションメディアが流行り始めたころだった。しかし、フィジー関連の専門ブログや観光サイトはほとんどない。ここなら勝機があるかもしれない。フィジーの観光情報をまとめたサイトを作ろうと、「FIJIANWALKER」制作に取り掛かった。サイトづくりなんてしたこともなかったが、独学でマーケティングとWordpressを勉強した。見よう見まねで記事を書き、フィジーに関して誰よりも詳しくなると息を巻いて必死だった。

素人でもやってみればなんとかなるものだ。2年ほど続け、私は「フィジーの情報サイトを作っている人」として、業界内ではある程度知られるようになった(ような気がしている)。自治体の国際交流イベントにフィジーの文化紹介のブースとして出展したり、テレビの制作会社から情報提供依頼がきたりもしていた。

フィジー産コーヒーの輸入がしたい!

だが、そうなったときに、少しだけ欠乏感というか、満たされない感情があった。ある種の燃え尽き症候群かもしれない。

それでも、フィジーには1年のうち1カ月ほどは滞在できるよう時間を作って度々訪れていた。あるとき、何気なく入ったお土産屋さんに見慣れないコーヒーが置いてあったのを目にした。パッケージには「BULA COFFEE」と書いてあった。それは、私の次のチャレンジにつながる大きな出会いだった。

フィジーでもコーヒーが作れるんだ。なんだ、おいしいじゃないか。

聞くところによると、フィジーは2010年代から少しずつコーヒー生産にも取り組むようになってきたらしい。これはいける。可能性を感じた私は、知り合いを通じてオーナーとコンタクトを試みた。フィジー産コーヒー豆はまだ生産量も少なく、日本への輸出はしたことがないという。アポを取り訪問しようとするも、予定していた日に大洪水が起きて行くことが叶わなかった。夫が別日に訪問してくれて、熱意を伝え、数キロの豆を分けてもらうことができた。そこから、本格的な輸入の話につながっていった。

てんやわんやの輸出業務

輸入手続きでは、海外との取引の大変さを痛感した。フィジーの役所へ行って必要書類の確認をするも、対応する人によって言っていることがまるで違う。なんなんだこの国は…そう思った。書類は日本の基準に合わせると言われたので、日本側に確認し「この書類を出してくれ」とお願いしたのに、なかなか対応してもらえない。え、ちょっと待って、輸出ってこんなに面倒なの…。挫折しかけたが、ペーパーワークは夫が全て対応してくれた。いつもタイミングと対応力が神がかっている。夫には感謝しかない。

そうこうしている間にコロナが来た。世界中がパニック状態の中、いよいよ出荷だ。しかし、ここも一筋縄ではいかなかった。船便を運行する運送業者とのやり取りがうまくいかない。手違いで別の港に運ばれてしまった商品を一度戻さなければならず、発送が遅れる。そしてなぜか追加料金を請求される。それはおかしいでしょう、と生産者に相談し対応してもらう。ちなみにこの辺の対応も夫が全部やってくれている。私はワーワー言っているだけだ。とにかく日本に着いてくれればという一心だった。

コーヒー豆を積んだ船は無事に日本に着き、税関の手続きを終えた。手元に届いた豆を見たときの感動は今でも忘れない。これからコーヒー屋として生きていくのか。決意を新たにした瞬間だった。

しかし、検品をしているとき、商品の品質のばらつきが大きいことに気づく。品種が違うのか?生産者が違うのか?問い合わせをしても煮え切らない回答が返ってくる。現地に行って確認したいが、フィジーはロックダウン中だ。品質管理の難しさとトレーサビリティの重要性を痛感した。仕入れた分の在庫はまだ残っているので、なんとかこれを売り切らなければならないのだが、自信を持って薦めることができない自分がいて情けない。つべこべ言わずに売る、これを2023年はやり遂げたい。

「Pacific Coffee」の名に込めた野望

コーヒーのブランド名には「Pacific Coffee」と名をつけた。フィジーをはじめとして、コーヒー業界では無名のオセアニア地域の知られざる産地をさらに発掘していきたいと思ったからだ。赤道直下の島嶼国は、島によってはコーヒー産地として恵まれた環境をもつところも多い。島嶼国のコーヒー産業を盛り上げることができれば、気候変動により生産地が半減する可能性すらあるこの業界の課題解決の一助になるかもしれない。そんなことを思ったりもした。

トンガでの噴火。頭によぎった元大統領の言葉

コロナが落ち着いたら、オセアニア各国へコーヒーハンティングに行こうか……

そんな矢先、突然、トンガで未曾有の火山噴火が起こった。2022年1月15日のことだ。最近の調査によると、この噴火は観測史上最大の規模だったという。

私自身トンガに行ったこともなければ、直接的な知り合いがいるわけでもなかった。だが、大好きなフィジーの隣の国で困っている人がたくさんいるなら、手を差し伸べたい。できれば自分たちが直接的に支援できる形で。ニュースを聞いた瞬間、衝動的にそう思った。

話は少し逸れるが、2014年、フィジーの元大統領であるラツ・エペリ・ナイラティカウ氏は、気候変動による海面上昇で国が沈む危険性があるとされるキリバスを訪問した際、公式にこう発言した。

キリバスが水没したら、フィジーが全キリバス人の移住を受け入れる。
我々は困っている隣人に背を向けることはない。

トンガの噴火のニュースを聞いたとき、私はフィジー元大統領のこの言葉を脳内で反芻した。「我々は困っている隣人に背を向けることはない」盛大な勘違いではあると思うが、一度思い込んだら走りたくなってしまう性分だ。私は夫と相談し、支援プロジェクトを立ち上げることにした。ボランティア派遣を計画し、クラウドファンディングで資金を集めた。

ボランティア派遣と支援対象の絞り込み

クラウドファンディングでは、予想を遥かに上回るほど多くの方が応援してくれた。驚いた。感謝の気持ちとともに、とんでもないプレッシャーがのしかかってくる。達成したはいいが、この後どうする。

ここだけの話だが、手元にある支援金と睨み合いながら、なぜこんなことを始めてしまったんだ、と後悔した日もある。

不幸中の幸いで、トンガの噴火による人的被害は少なく、すでに緊急支援のフェーズは越えている。しかし、建物や農地への被害は大きい。これからが復興フェーズの始まりだ。

もともと、集まった資金は単純に寄付するのではなく、被害を受けた農村地の中から支援対象を定め、中長期的な復興のサポートをするための活動費用の一部に充てると決めていた。だから、まずは現状を知り、誰を支援するかを決めなければならない。

だが、なかなか国境が開かない。行きたくても行けない。そんな状況が数カ月続いた。

トンガの国境が開けるという噂を聞き、計画を本格化したのが8月後半。そして2022年10月、第一陣として夫とボランティア1名が現地に赴き、視察と支援活動を行った。

本当は自分も行きたかったが、2歳になったばかりの幼い我が子を置いていくことも、連れて行くこともできないと判断し、夫に全てを託した。私自身が渡航できないからこそ、できる限りの準備と計画をしようと、東京のトンガ大使館へ行き協力要請をしたり、現地に住む日本人や支援団体とコンタクトをとってアポイントを進めていった。結果、現地の政府機関や国際NGO、コーヒー農家など、幅広い人たちと知り合うことができた。

ボランティアチームは、現地で粉骨砕身、一生懸命活動してくれた。自分たちの足を動かし、自分たちの目で現地の状況を見てきてくれた。私はその報告を聞き、レポートにまとめた。そして、話し合いの末、現地で出会った農業団体と、コーヒー生産者の大きく2軸で継続的な支援をしていくことを決めた。

現地でのコネクションがない状態で急遽始めたプロジェクトは、思った以上に進めるのに時間と労力が必要だった。実は、4月に終了したクラウドファンディングの支援金のうち120万円ほどは、12月現在まだ使えずにプールしてある状態である。情けない限りではあるが、皆からもらった期待と応援の気持ちを必ず届けるべく、邁進していかなければならない。

まずは支援金をトラクター購入代金に充てたい

直近の話をすると、支援対象の農家でトラクターが壊れて使えない状態とのことで、まずは手元の支援金をトラクター寄贈に充てたいと考えている。しかし、まだ希望に叶うトラクターが見つかっていない。60エイカーの畑を耕すものなので、日本でよく見るトラクターの3倍ぐらいの大きさのものが必要なのだそうだ。

さらに、日本から輸送すると運賃がとんでもないことになりそうなので、トンガから近いニュージーランドやフィジーで購入し、それを送ろうと考えている。チームメンバーが交渉など進めてくれて本当に心強い。ただ、ブローカーを当たってみているものの、法外な見積や壊れかけの中古品ばかりを紹介されている。まあ、当然か…。だが、諦めなければきっと良いものは見つかるはずだし、考え続ければ他の解決策も浮かんでくるはずだと信じている。

今年度中には目星をつけて、現地にトラクターを送り、支援者の皆様にご報告をしたい。そして、これからも継続的な支援を続け、日本とトンガの友好な関係をさらに築き上げていきたい。

どうやって中長期的にサポートしていくか

先日、太平洋諸島を管轄する国際機関へ相談に行ってみた。話を聞くと、農家の人材不足も課題にあるという。確かに、支援対象の団体の代表は、農家をどうモチベートしていくかが悩みだと言っていた。

研修制度を整えたり、設備を良くしたり、私たちに協力できることもあるかもしれない。このあたりも含めて、現地と対話を重ねながら中期計画を立てていこうと思う。計画がまとまったら公式に発表するのでぜひ期待していてほしい。

2023年1月、私は初めてトンガへ行く。トンガでは、支援対象の農家の皆さんからいろいろお話を聞いていきたいし、今後プロジェクトを続けていくためにも、信頼できるカウンターパートを見つけたいとも考えている。自分のできることを精一杯やって、自分の目で見たものや感じたことをシェアしていこうと思う。

0から始め、うまくいかないことばかりだが、なんとか形にできるように頑張るしかない。私たちの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。

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