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「どんなふうに生きていきたいか」と「どうすれば生きていけるか」

「どんなふうに生きていきたいか」よりも「どうすれば生きていけるか」にずーっと重きを置いて生きてきたなあと最近思っている。
そうじゃない生き方(「自分らしく生きる!」)をしてきたつもりだったんだけど、深くじっくり考えると、それはあくまでも表層的な部分であって、1番根っこの部分には常に「それでおれは食っていけるのか?」が頭にあった。そしてその前提を踏まえた選択肢しか、無意識に用意してこなかったんだと思う。
…こう書くと、それを強く後悔してるみたいだけど、そうじゃなくて。その事実にちゃんと気づいていなかったなぁって。


先日、ある人と雑談していたところ、こんな言葉を言われた。
「だって、結局はどうしたところで、学生を終えたら勤めて、給料をもらう生活をするしかないじゃないですか」と。

「そんなことないんじゃない。あなたが誰かを養おうとか、家族を持とうという考えに固執しないのなら、働いて「金を稼ぐ」を前提にした生き方をしなきゃいけないってことはないと思うよ。
どこかのコミューンで集団生活するとか、教会や慈善団体で寝床と食べ物を提供してもらいながらボランティアワークをして暮らすとかって方法もあるし、実際にそういう生き方をしている友だちもおれにはいるよ。
とはいうものの、逆に言えば、あなたが家族を持ちたいと思っていて、その可能性や選択肢を小さくしたくないと思いが強いのであれば、なんらかの形で勤めて給料を受け取る生活をするってことが、1番それをしやすくすることかもしれないね。
少なくとも、いつでも常にその選択肢を取れる状態にしておく。
たとえば、子どもを持って彼らを学校に通わせようと思ったら、やっぱりある程度のまとまった金が必要になるよね。そうなると、それなりに稼ぐことを日々の目的にせざるを得なくなるだろうなって想像しやすいよね。
まあでも、同じような価値観や生き方をしようっていうパートナーと2人だけで暮らせればいいのなら、「稼がなきゃいけない」っていう思い込みをじっくり疑ってみていいんじゃないかな。」


こんなことを話しながら、あれ? とどこか思っていた。おれはいつから稼ぐことの呪縛に捉われていたのかなあと。
稼ぐことのために、自分の自由や意思を犠牲にはしたくない、そういう自分であろうってずっと強く思っていたつもりだったんだけど。気づいたらその考えを思い出すことを忘れていた。
…と言っても、別に自由を売るようなことをした覚えはないし、魂を捧げたりもしていない。ただ「強く意識できなくなっていた(忘れかけていた)」ということなんだけど。

一緒に 2人だけの生活を選んでくれたパートナーと暮らしているのに、どうしてかな。
まずは再び、もうちょっと意識するようにしよう。

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