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声を上げる過程での平等 | 議論を怖がらない勇気 | 富永 京子

ビッグイシュー406号の特集『コロナ禍で考えた“民主主義”』に寄せられた7つの寄稿を、1日1本ずつ紹介していく2日目。

ビッグイシューに興味を持たれた方は、ぜひこちらのページで販売場所を確認してみてください: https://www.bigissue.jp/buy/
なお、路上販売されている方たちは、聞けば結構な確率でバックナンバーも持っていますよ。

■ 勝手要約(オリジナルは1500〜2000文字程度)

コロナ禍において、社会運動の舞台は路上や学習会からSNSやウェビナーへと変容した。ハッシュタグ・アクティヴィズムやクラファン、オンライン署名など、時間や場所といった制限から活動は解放され参加の間口は広がった。これはポジティブな要素で民主的な社会にとって良いこと。

だが、声を上げることそのものは民主的になっていない。オンライン社会活動は迅速さと顕名性に極端に左右され、知的資源や人脈を持つ人の言葉が無批判に受け入れられる状況につながってはいないか? 一人ひとりが自律的に社会問題を考える過程や、熟議や相互批判は妨げられていないだろうか?

声を上げることへの抵抗感を少しずつ乗り越えつつある私たちの次なる課題は、声を上げる過程をも平等で民主的なものとしていくこと。そしてこれからの社会運動と民主主義に求められているのは、流れに棹差す力と議論を怖がらない勇気ではないだろうか。

■ 感想とか

「動員力を持つインフルエンサーじゃなくても声を上げられるように」「流れに棹差す力と議論を怖がらない勇気を」という呼びかけには、120パーセント賛成!!

特に前者が意味しているのは「誰もが声を上げることに意味や意義を見出せる社会を」ということで、とっても重要だと思う。
なぜなら、この「やったところで無駄じゃないか」という絶望感や諦め感が広がり続けてきた結果が今だと思うので。

突然ですが、おれがバンドマンだった1980年代後半から90年代の頃は、「まずは事務所の言うことを聞いてデビューし、ヒット曲を1-2曲出すのが大事。そうすればその後は好きな音楽ができるようになる」なんて話をちょくちょく耳にする時代でした。
Xのようにインディーズで爆発的に売れてメジャーレーベルの争奪戦を経てデビューするようなバンドも存在はしていたけれど、彼らは例外中の例外。
いろんなバンドが「大人の言うこと」との妥協点をある程度見つけ出し、いわゆる「メジャーデビュー」に向かうバンドが多かった時代でした。

いきなりこんな昔話をはじめたのは、最近、インフルエンサーになることを「本当の活動をするためのステップ」にしようとしている人が増えているのかな? という気がちょっとしたから。
まあ、それ自体は良いことでも悪いことでもないと思う。
ただ、「発言力を持つこと」を手段化することには、2つの危険性がつきまとうのかなぁという気がして…。

1つは「発言力を持つ」ために、アテンションを得ようと躍起になってしまい、言い過ぎたりやりすぎてしまうこと。簡単に言えば、「世間から一定の注目を集められそうか」を判断基準としてしまうということ。端的な例を挙げれば「迷惑ユーチューバー」かな。
もう1つは、「発言力を持つ」ために自分の言動を自ら縛ってしまうこと。「共感を得るのに一番正しい発言は? 行動は?」みたいな、「正解探しの旅」へとつながってしまい、不要な枠を自分にかぶせてしまうことになりそうな気がするんですよね。

なんために発言力を持ちたいのか。そしてそもそも発言力をどう活かすのか。
発言力の民主化。

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