足取りを軽くする足枷 @冬のフォルケ
「うーん…。ただ、かっこよくなりたいって思っている」という言葉だったと思う。
それから「『自分が本当に好きなことってなんだろう?』ってまだ分かっていないのに、『何がやりたいの?』って聞かれたって答えようがない!」っていう言葉。
これを聞いたときに、「ああ、この人はまるでおれのようだ」って思った。そしてグッと近くなった。
ロックでありつづけたい
言葉は少し違うけれど、おれも「ロックでありつづけたい」って思って生きてきたし、暮らしてきた。
「ロックでいる」ってことが指すものやロッカーの定義だったりはときどきアップデートしてきたけど、一言で言えばそれはずっと「かっこよくあること」だった。
…いや、ちょっと違うな。「かっこよくあろうとし続けること」だな。
きっと彼女は、これからも自分が本当に好きなことを探し続けるんじゃないかなって気がしている。
だって、本当に好きなことだからって、それがずーっと本当に好きなまま続くとは限らないし、続かなきゃいけないってもんでもないでしょう? だから、かっこよくなりたいって思い続けれていれば、ずっと本当に好きなものを探し続けるし求め続けると思うんだ。
こだわりは足取りを軽くする足枷
こだわりを少し持って生きることは、生きることをカラフルにしてくれると思う。そして足取りを軽くしてくれることだと思う。
こだわりが実際に心や身体を軽くしてくれるわけじゃない。むしろ逆で、こだわりはときに重たい足枷的な役割りにもなる。
それでも、少しのそれは、ないよりも足取りを軽くしてくれる。あちこちあれこれ迷い続ける必要を無くしてくれるから。
だから、たくさんは持ちすぎないように、ときどき点検して余計なのがくっついてたら払い落として、本当に大事なやつだけ持って進んでいくのが良さそうな気がするよ。
そもそも、「やりたいこと」が言葉で伝えられるものじゃなきゃいけないってわけでもないしね(伝えられた方が良い場面も少なくないけど)。
考えてみたら、おれも未だに「自分がやりたいこと」を具体的になんて言えないや。今もまだ、やりたくないことにバッテンを付け続けているだけなんだよね。
…と、冬のフォルケで出会えたあなたへ勝手に送ります。
さあ、おれもかっこよくあろうとし続けるために、ちょっと点検しなくっちゃだ。
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