社会人になりたくなくなっちゃってる(2024.3)

三月に入り、色々なイベントがあった。
卒業研究の発表会があったり、卒業式があったり、卒業旅行に行ったり。起こったイベントのほぼすべてに「学生生活最後の」や「卒業」という枕詞がついていた。こうも学生生活の終わりを示唆されると、それまでは社会人生活が学生生活の延長線上にあると思っていた私の考えも半ば洗脳されていき、3月と4月の間に大きな区切りが見えるようになってきた。

つい最近まで、「新社会人への意気込みは?」や「今後の人生の展望は?」などといった未来への質問には「なにもわからない」「楽しみでも不安でもない、ただ分からない」という答えを用意していた。これは意地を張っているのではなく本当にそうで、なかなか想像がはかどらない。
内定が決まり、会社員として仕事をしていく姿は、頭に浮かべることができる。まあ始めは新人研修があり、その後新米として部署につき、そこでの仕事をこなす。そんな姿。朝は電車やバスに揺られ、今まで起床していた時刻に会社に着き、汗水を流す。昼にはご飯を食べ、午後にまた働く。夕方に勤務を終え、退社。そんな姿は想像ができる。

しかし、逆にそれ以外の部分が全く想像できない。

それは、働き疲れがどれくらいのものなのか、精神的な余裕はあるのか、そして一番大事なのは、金銭的余裕は今までと比較してどれくらいのものになるのか。ここの想像に靄がかかってしまい、労働外の自分を思い浮かべることができないのだ。

大学を卒業し、バイトも辞めた今、暇な時間が多い。私は実家から通勤可能な勤務地を選んだため、物件探しに時間が割かれることもない。かといっていろんな人と沢山遊びに行くほどの金もない。となると、昼に起き、YouTubeばっかり見て、寝る、という生活を送り続けることになる。
怖いのが、もうこの生活には三年前から飽きているという点だ。
飽きているけれど、やめられない。私にとってネットやSNSは、取り締まられる薬物よりたちが悪い。薬物のように完全悪、純粋悪ではないからだ。ときには「SNSに張り付いてばかりいたからこそ知れた情報」があったりもして、100%悪いものだ、と自分の中で定義できない。めっきり依存していると自認しているのに、抜け出せないってか抜け出したくない、という気持ちも混同している。この両立が成立してしまう魔のツール。

でもこれに関しては、社会人になると少しは改善されるだろう、という期待がある。新しい友人ができたり、懐が温かくなることにより、没頭できる趣味の範囲も広がるだろう。そうなれば、今の自堕落な生活に光が差すに違いない。淡い期待だとしても、ポジティヴに考えることが大事。

4月までもうあと100時間を切っている。
ここに来て、友人が「社会人になりたくない」「鬱」と嘆いている理由が理解できてきた。私も同じような気持ちになり始めているからだ。
やっぱり社会人になって、今までめんどくさいと思っていたことにしっかりと向き合う必要があったり、自立した大人だと他人にも思われるようになるためには、自分勝手な怠けは結果自分を苦しめることになる。常に多方面で努力を惜しまず生きていくことが絶対的なマナー。
元々ろくでもない人間である私だからこそ、大人になることへの恐怖や不安、気怠さなどが、最近突如として訪れてきた。

今年は月に一度、このnoteを更新しようと意気込んではいるものの、これは暇つぶしの一つ。4月からこれを更新する暇が私にあるのだろうか。
まあ、できなかったらできなかったで、別に良いんだけども。逆に4月に更新されたら、私が大人になる努力を怠っている証拠だと考えてもらってもいいかもしれない。


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