2022 週記10【ラジオデイズ】

窓の外は雨が降っている。傘を差すほどではないが、差さなければそこそこ濡れるくらいの雨。この雨量が一番腹立たしい。
「びしょびしょだよ、とは言えないのが癪だな」
男はステッキを手に、店に入るやいなや、私の向かいの席に最短距離で座った。頭や肩のみならず、腕、胸、脚もじんわりと湿っている。
「傘持ってくればよかったのに」見せびらかすようにテーブルに掛けたビニール傘の柄を掴み、こんこん、と床をたたいた。
「君は目が節穴なのか。このステッキは傘にもなりうるんだよ」
男はそういうが、普段持っているステッキと何も変わらないものを持っている。
「なら差して来ればよかったじゃないですか」
「これくらいで差してる方が恥ずかしいってもんだろう」
男はハンカチを手に取り、濡れた個所にあてたりしていた。藍色の紳士服を天に汚されているのに、平然としている。価値観が違いすぎて軽く胸焼けしそうだった。

川の流れのように滑らかにやってきた店員の流れを止めることなくアイスコーヒーを注文した男は、テーブルの上を伺い、不思議そうな顔をした。
その顔を質問と受け止め、私は答えた。
「手紙を書いてるんです」
「ほう。この時代に手紙とは。古臭いけれど、粋じゃないか」男は少し鼻を伸ばした。
「それで、誰に向けて書いてるんだい?やっぱり、好意を持つ女性に向けて?」
「そんなんじゃないですよ」慌てて否定する。
「レターだからって勝手に頭にラブ付けないでください」
「じゃあ、何レターなんだ?」
「何レターって。まあ、しいて言うならファンレターですかね」

私は幼い頃からラジオを聴いている。始めは親の車で流れるFMだけだったが、中学生になると自室にこもって深夜ラジオを聴くようになった。今ではインターネットの発達のおかげで昼間にも深夜ラジオを聴けるようになったが、私は今も、聴けるときはリアルタイムで深夜ラジオを楽しむようにしている。
「僕にとってラジオは、生きがいの一つなんです」
そういうと、男は足を組みなおした。
「なるほど。だから、ラジオ番組宛てにメールを送ろうとしてたのか。意外だな。君がはがき職人だったなんて」
「いや、はがき職人とかじゃないんです。送ろうとしているのは、コーナーメールではなくて」
私は有名俳優がパーソナリティを務めるラジオ番組を挙げた。
「ああ。知ってるよ、その番組。でも、確かその番組って、今年の三月で終了するはずじゃ…」
「そうなんです。番組開始から毎週欠かさず聴いていたんで、感謝の気持ちをメールで送ろうと思って」
私はテーブルに置いたノートに目をやる。伝えたいことが羅列してあり、箇条書きで

・毎週聴いていたこと
・グッズも購入したこと
・面白かった放送回

と書かれていた。
男も同じ場所に視線を向けていたが、少しして、一般人じゃないか、とつぶやいた。
「何がですか」
「いや、もっと情熱があるものかと思っていたからさ。君のそのノートに書かれた言葉は、はっきり言って、誰でも書ける」
私はかちんときた。男の発言にむっとすることはよくあるが、かちんとくることはなかなかない。
しかし、男も私の様子が変わったのに気付いたようで、いや違うんだよ、と言った。
「何が違うんですか」
「だから、そういうありきたりの言葉を並べたところで、君の番組への愛は制作側に伝わりきらないってことだ。『毎週聴いていたのでなくなるのが寂しいです』『オリジナルTシャツも買いました。ゲストとクイズ大会した回が一番好きです』なんて、聴いてなくても、買わなくても書ける。面白い回も、一回聴いておけば、その回を一番好きだということにしておけばいい。要は、経験のマウントを活字で取ることはあまり容易ではないんだよ。就活と同じさ」
エントリーシートや履歴書の言葉は全員が1を100にする。そこで競ったところで、五十歩百歩になるのは目に見えてる。そう言って、男は、運ばれたアイスコーヒーにミルクを入れた。

「じゃあどうすればいいんですか」
ノートを閉じ、カバンにしまいながら、ぶっきらぼうに尋ねた。
そんなことは自分で考えるべきだ、とむげにされると思ったが、男はコーヒーをすすった後、こう言った。
「現地に赴いて、実際に言ってやればいい」
そこから、男は言霊について説明し始めた。
「例えば、毎週聴くほどラジオ愛にあふれた君と、ミーハーな気持ちでたかってきた人が出待ちしていたとする。建物からパーソナリティが出てきたら、君も、ミーハーの人も声を出すだろう。言葉はどちらも同じようなものだ。『今までありがとうございました』と君が言い、ミーハーが『毎週聴いてました、お疲れさまでした』と言う。この時点で、どちらが記憶に残ると思う」
語彙量の差でミーハーか、と思い、ミーハー、と答えた。
「君は今、発言の内容を比べてそう言った。違うかい?」
その通りです、と答える。
「そう。誰もがそう考える。いい言葉を残した方が、より記憶に残るだろう、と。でも、そうじゃない。言霊は、語彙で変わりはしない。発言者の熱量で変わるんだ。不思議なことに、パーソナリティは、君の言った『今までありがとうございました』の方に意識が向く」
男はマドラーを使って私を指した。
咄嗟に本心が口を突く。
「そんなこと、あるわけがない」
「そうか?」男は首をひねる。
「その割には、発言に迷いがこもっているが」
「何を言ってるんですか」
「もう行くしかない、って思っているんだろう?」
弁解しておくが、本当に思っていなかった。
しかしこの言葉で心が少し「行く」の方向に動いてしまった自分がいた。
「私も同行するさ。ちょうど月曜深夜に暇してた頃だ」
男は声を弾ませ、そう言った。



調べてみた結果、ご時世のせいもあり、出待ちは禁止されていた。
男は言った。「諦めるしかなさそうだ」
私は言った。「伝えられない愛ですか」
男は言った。「伝わらない愛は愛じゃない。君の愛がある時点で、もう伝わってるはずだ」
その言葉が胡散臭くて、都合がよすぎて、返事が出てこなかった。
しかし、その言葉を信じたい自分もいた。
窓の外は、弱まりも強まりもしない鬱陶しい雨が地面を濡らし続けていた。

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