実家引っ越した (2024.5)

新社会人から2か月弱経ったこのタイミングで引っ越しが敢行された。
職場の上司や同期、友達に告げると、「一人暮らし(になるの)?」と聞かれる。人によっては、その質問をすることなく、一人暮らしをする前提で話を進められそうにもなる。
「いや、実家を引っ越す」この言葉を私はこの数週間で何度言っただろうか。
売れ始め、俗に言うテレビ一周目のアイドルが毎度発する自己紹介の回数を上回るんじゃないか。今や、そういう定番の自己紹介がテレビに放送される時間なんてなかなかない。そんな贅沢に尺を使わせる暇がないのだろう。ともすれば、私の「いや、実家を引っ越す」は「毎度おなじみ流浪の番組 タモリ俱楽部です」といい勝負でギリ勝つだろう。当たり前だ。終わってしまったのだから。
直近一か月で数えると余裕の圧勝を見せる「いや、実家」も、範囲を全期間に伸ばすと大敗を喫する。いくら直近で腐るほど「いや、実家」と言っても、長年、週一で言われてきた「毎度お馴染み」が蓄積してきた量は超えられない。超えられるはずがない。


さて、実家が引っ越すといっても、住む場所が変わるだけで、間取りは大差がない。強いて言えば、庭ができ、押入れが無くなった。プラマイゼロ。前の家では押し入れに収納しまくっていたため、気分的にはマイナスが強い。引っ越したての庭は草木があちこちに生え散らかしており、引っ越したては、どマイナスな気分だった。
引っ越してから2週間と少しが経った今、ネット回線が著しく弱くなり、寝室と自室が一緒になったことによる窮屈さを大いに感じてはいるが、この記事を書こうと思い立つくらいには、この生活に慣れてきている。
本当のことを言うと、わざわざ大金をはたいて購入した、これから上がったり下がったりさせるほど部屋で作業するのかどうか疑わしい昇降デスクの利便性を余すことなくするために、わざわざ机上でラップトップを開き、キーボードを叩いている。


引っ越し先の物件を決めたのは母である。親が離婚し、姉が上京している今、実家を引っ越すとなれば指揮を執るのが母になるのは当然のことである。いくら息子が成人を迎えていると言えど。

引越することが確定した、今年の3月にさかのぼる。
母宛てに届いた封筒。県からの手紙。そこには、家賃上昇のお知らせが載っていた。我が家は県営住宅だった。
新年度から、家賃が倍になる。30年弱住んでいる家の家賃が倍になることが許せなかった母は、引っ越すことを決めた。
この時未だ社会人になっていなかった私は、扶養者の言う「引っ越す」に反対できる材料を全く持っていなかった。
かと言って、賛成し、積極的に物件探しをする気にもなれなかった。それは、母の財布事情を知らないこともある。でもそれ以上に、自分が生まれてから今までずっと住んできた家を変える、という行為に現実味が無かったのだ。

思い返せば幼いころからお泊りが苦手だった。正しく言えば、お泊りで寝るのが苦手だった。友人と、友人の家で、布団を隣に並べる。寝られるわけがない。その事実が、アドレナリンを分泌させまくり、副交感神経を夜明けまでベンチ入りさせる。
ホテルや旅館でもそうだ。宿泊施設、なんてのは名前だけで、暑すぎる掛け布団の使い方に悪戦苦闘しているうちに朝が来てしまう。私としては、宿泊施設というのであれば、宿泊に特化していてほしい。温泉やランドリーより先に、薄手のタオルケットと低反発薄まくらを備えてほしい。
枕が変わると寝られない、という言葉があるが、私はそれにあたる人間なのかもしれない。まあ私は、まくらだけじゃなく空間そのものを自分の寝室にしてほしい。落ち着けない。

とはいえなんやかんやあり、母が物件を決め、私が引越業者に連絡し、二人で要らないもの(とちょっと要るもの)を捨て、(全く要らないものを残したりもしつつ、)引越は終了した。

現在、母は未だに家のレイアウトにてこずっている。私は物がきっちりと収納され、人のスペースが取れさえすれば満足するのだが、母はそうではないらしい。たんすをあっちに移動させては「なんか変」と言い、ハンガーラックをこっちに持ってきては「可愛くない」と言っている。ちなみに、我が家には帽子掛けみたいなやつ(下画像参照)が3個ある。帽子なんて片手で数えるほどしかないのに。



数日前、私は車に乗ったついでに、前の家を訪れることにした。
もうなかなか通らないであろう道を丁寧に走り、いつもの駐車スペースではなく、来客車が良く停まる路肩に駐車する。金属製の階段を上がる。耳が懐かしい。家の前まで歩く。すっからかんの室内が透けて見えるほどに、家の外に何もなかった。ちょっと前まで、ここに自転車があって、この窓にすだれがかかっていて、ここに傘立てがあったのに。何もなくなっていた。
完全な空き家。
でも、私はそのとき、いっそう強く「ここは俺の家だ」と感じた。
マンションの入口に置かれた集合ポストは、私の家のところだけ粘着力の高そうなテープで封がされており、まだ誰も住んでいないことをはっきりとさせた。
いつか封が剥がされ、赤の他人が私の家に物を置いていく。食事をし、風呂に入り、生活を始めていく。その風景を何となく想像しながらも、それでも私の家であり続けるという根拠のない自信と妙なプライドを胸に、エンジンをかけた。

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