障害があるから個性的なんじゃない
Voicyパーソナリティもされているさおりさんが、先日次のようにnoteに書かれていました。
詳細は読んでいただくとして、概要は次のようなものです。
「障害は個性」という言葉は優しさから発されることが多いが、安易にポジティブな意味を持つ「個性」と表現されるようなものではなく苦しいものだ。
さおりさんは、自閉症のお子さんお二人を育てていらっしゃいます。親としての実感がこもった重い言葉だと感じます。
一方、私も発達障害、知的障害のある人たちと関わることが多いです。
私の経営する持続未来グループが積極的に障害者の就労に取り組んでいるからです。
そんな私の考えをまとめてみます。
■ 個性ではなく特性
私も安易に「障害は個性」とポジティブに言ってしまうことには否定的です。
ただ、そういう人は優しさからそのように言っているのだと思います。(だからこそいけないのだとも言えますが、ひとまず置いておきます)
昨今、個性という単語にはポジティブな意味が付加されています。「個性を大事に」「個性を伸ばす教育」のような感じですね。
優しい人は、こうした意味を加えることで、障害者やその関係者を勇気づけるような姿勢を見せているのかもしれません。
しかし、少なくとも現在の世の中では、それは違うと言わざるを得ません。
障害があるということは、それが社会との関係性で感じられるものであれ、当事者が抱える痛みや不自由さのようなものであれ、いずれにしても生きづらいということだからです。
ここには残念ながらポジティブ要素はありません。
また、個性という言葉には、「人それぞれ」というニュアンスもあります。
しかし、例えば目が見えないという障害を「人それぞれ」の個性とは言わないでしょう。
筋ジストロフィーやALSの当事者に「個性的ですね」と言う人はいないでしょう。
確かに、同じ障害でも「人それぞれ」の部分もありますが、共通したものがあります。
こうしたことを踏まえ、冷静で客観的に表現するとしたら、それぞれの障害にはそれぞれの特性があると言えます。
「障害は個性」ではなく「それぞれの障害にはそれぞれの特性がある」ということです。まあ、至極当たり前のことを言っているに過ぎないのですが。
■ 障害者を天使や天才にしてはいけない
また、「障害は個性」の亜種として「障害者は天使」、「障害者にはアートの才能が眠っている」といった感覚も散見されます。
そんなことはありません。そうやって理由もなく障害者を特別視することこそ差別的です。
彼ら、彼女らは普通の人間です。
障害者だから天使なのではなく、健常者であれ障害者であれ、天使のような人(どんな人かよくわかりませんが)はそのように言われるでしょう。
健常者であれ障害者であれ、アートの才能がある人にはありますし、ない人にはないのです。「障害者にはアートの才能がある」と言うのは、「黒人だからダンスが得意なんでしょ」と言うのと同じです。
■ 障害者ではなく、社会に障害がある
つまり、障害者にはその障害により特性があり、それゆえに生きづらかったりします。
しかし、その生きづらいということの原因の多くは、物理的なことであれ、心理的なものであれ社会の側に障害があるからです。
これからの日本は、より一層労働人口が減ることで人的供給制約が強まって行きます。
そんな中で障害を除去して障害者に働いてもらうこと、働いてもらえるようにすることは、純粋に経済的観点からも意味がある。施しやかわいそうという心情ではなく、実利として有効である。
私は商売人に過ぎませんので、そう考えて経営を続けていこうと考えています。
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