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ビジネススクールでの学び~正解探しをするな~

私、47歳になる年にビジネススクール、MBA取得のための社会人大学院に入学し、無事2年間で卒業しました。
クラスの中でも年かさの方でしたが、どうしても経営学をきっちりと学んでみたかったんです。

もちろん、「学問とか知識とか実戦の前では無力だ!経験こそ全てだ!」みたいな乱暴な意見が多いことは知っています。
でも、持っている武器は多いほうが良いに決まっています。

多くの人から「ご苦労なことで」と言いたげな生暖かい薄笑いを向けられました。
家族にも苦労をかけました。嫌味も言われました。

色々ありましたし、なにせ課題、研究で苦しかったのですが、学びを得て、クラスメイトと知り合い、事業だって新しく立ち上げることになったので、行ってよかったなと思えます。

今日は、そのビジネススクールで得た学びで印象深いことを記します。


■ どうするのが正解か?


ある授業のことです。
教授が、ある会社の事例を挙げ、取り組んでいる新規事業の内容、財務データ、外部環境などを示したうえで問いを出しました。

「この新規事業から撤退するのが正解か?継続する方が良いか?」

問いを出されたら積極的に手を上げてガンガン意見を述べるのがビジネススクール生というものです。(発言をするとクラス貢献をしたということで成績がプラスされますからね)

「撤退が正しい」「いや継続が正解だ」…いろいろな自分の正しいと思うことを述べます。

■ 正解なんてない


ひとしきり意見が出された後で教授は言います。
「正解はない。君たちのように大学院に来てまで学ぼうとする人間は、まじめで優秀なことが多い。そういう人間は、得てしてどこかに正解が隠されていて、それを探し出そうとしがちだ。
しかし、経営はそんなものではない。正解の選択肢を選ぶのではなく、選んだ選択肢を正解にするのが経営者だ。あらかじめ用意された答えなどない。
今の問いに対する答えは「どっちでもいい」だ。」

まるで根性論ですが、経験上からも納得できました。

■ Amazonはなぜ成功したのか?


もう一つの質問も続けて出されました。
「Amazonはなぜ成功したのか?」
これまたビジネススクール生ホイホイな質問です。あちこちから手が挙がり、様々な答えが出されます。
曰くロングテールだから、ECの先駆けだったから、ベゾスのリーダーシップ…数えればきりがありません。

またひとしきり意見が出された後で教授は言います。
「君たちの言うことはどれも正解だが正解ではない。それらは後づけの答え合わせに過ぎない。
なぜなら、Amazonより早くECを手掛けた事業者も、優れた事業者もいた。
Amazonが成功したのは偶然や運という要素が最も大きい。
あえて偶然や運以外の要因を挙げるとすれば、当たるまで事業を投げなかったことだ。」

■ God Only Knows


これらは根性論のようですが、そうではありません。
合理的な選択を積み重ねたら正解行き着くわけではなく、非合理的な選択をしたら失敗するのでもないということです。

この考えはキリスト教的でもあると感じます。
キリスト教では、よく「神のみぞ知る」とか「神様のご計画」などと言います。
人間のような欠けの多い存在が、傲慢にも自分の選択こそが最も合理的で最善と誇ったところで、神の計画の前には何の力もない。そういうことです。
しかし、だからといって「どうでもいいや」と怠惰にしていてもダメなんですが。

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