ルート19②運送屋
ここ数日降り続いていた雨は夜中に上がり、起きたらきれいな青空が広がっていた。
雨が降ると運転がしづらい。荷物を外に出すとき濡れないように気を遣う。やっと止んでくれたという安堵感と一緒に直子は熱いお茶を飲む。
「智之くーん…」
直子はバイトの智之を呼ぶ。直子と智之。従業員はふたりだけ。小さな運送屋だけど、直子の努力と苦労の結晶だ。
「なんすか?社長」
智之は店の奥からいつものように粗い返事をする。
「あの、あそこにまとめておいた荷物だけど…」
直子は湯呑みで手を温めながら言う。
「ああ、あれならもう車に積んだっす」
智之は手に持った伝票の束で仰ぎながら言う。
「ありがとう。じゃあ、伝票整理は……、大丈夫そうね」
「うす」
「さすがね、智之くん。お茶でも飲む?」
「社長、そんなにまったりしていていいんすか?」
直子のことを社長と呼ぶ智之は大学四年生。ここでバイトをはじめて四年が経つ。
金髪の智之は見た目とは裏腹に真面目に仕事をこなす。しかも、かなり優秀だ。はじめから飲み込みが早く、すぐに戦力となった。
「大学のほうは大丈夫なの?」
配達に行こうとする智之に尋ねる。毎日のようにバイトに来てくれるから学業に支障が出ているのではないかと。
「大丈夫っす。おれ、要領いいんで」
智之は小さく笑う。要領がいいのは確かだ。仕事を見れば、それは明らか。ただ、本当に大丈夫かどうかはわからなかった。智之は見た目とは違い、人に気を遣いすぎる性格だったから。
智之がバイトにたくさん入るのも、率先して仕事をこなすのも、きっとわたしに気を遣っているからだと、直子は思っている。
直子は十年以上前に離婚した。なぜ離婚したのか、いまだによくわかっていない。どちらかが浮気をしたわけでもなく、致命的に性格が合わなかったわけでもなく、息子に対する子育て論が平行線だったわけでもなく……。これといった決定的な要因はないが、小さなことが積み重なったのが原因だ。それでも今思えば、すべてが決定的な要因だったのかもしれない。
「もうすぐ大学も卒業でしょ?なにかやりたいこととか…」
智之は息子と同い年だ。元旦那に引き取られた息子と。
「…いやー、特にないっすね」
智之は金髪を触る。
「…サークル入っていたわよね?音楽の」
「ああ、入ってますよ」
「じゃあ、ミュージシャンとか…」
金髪だからこう、という安易な発想に、直子は自分でも呆れてしまう。
「社長、安易っすね…。まあ、でも、おれ音痴なんで」
智之は粗い返事のまま言った。
社長とは呼ぶが話し方に敬意を感じることはない。それでも、人に対して相当気を遣う。直子はそこに申し訳なさを感じることが多々ある。智之はいつも、自分のことは後回しだから。
「じゃあ、配達に行ってくるっす…」
「気をつけてね。あっそうだ、今日は冷えるから」
直子は引き出しから使い捨てカイロを取り出し、智之に渡す。
「どうもっす。……あっ、そうだ…」
智之はコートの内ポケットから封筒を取り出した。
「タイミングいろいろ逃しちゃって…」
智之は金髪を触る。
「あっ、あと、あいつ……就職決まって東京に行くらしいっす…」
あいつとは、直子の息子のことだ。智之が渡したのは、直子の息子からの手紙だった。智之と息子は同じ大学の同じサークル。もっと言えば、小学生からの幼馴染。バイトに入ったころは直子のことをむかしのように、おばちゃん、と呼んでいたが、いつからか、社長、に変わっていた。
「…そう、ありがとう」
元旦那と別れてから、息子とは会っていない。息子にいらぬ思いをさせたことで、直子は自分を責めている。ずっと、そして今も。
「来月出発なんで…」
智之はうつむいたままカイロをこする。
「……でも、わたしには母親の資格なんてないから…」
「あの…。母親の資格って試験も実技もないっすよね?」
智之の語気が少し強くなる。
「資格なんてなくてもできることたくさんありますよ!あいつは、おばちゃん、に会いたがってるんですよ!」
言葉はさらに強くなり、金髪を触りながら智之は言う。
直子は気づいた。智之の指先が震えていることに。金髪を触るのは緊張したときに出るクセかもしれない。
「……ありがとう」
直子は頭を下げる。
「ねえ、智之くん。卒業したらここに就職しない?」
大学入学と同時にここでバイトをはじめたのは、きっと、智之のやさしさからだ。でも、それもなにかの縁。幸いなことに、仕事ぶりに問題はない。智之にはこの仕事が合っていると直子は思う。
智之は金髪だけど誰かにとって大切なものを確実に届けることができる。誰かにとって大切なものを、自分でも大切だと思えるから。
「おれ、やりたいこと、特にないっすから」
智之は振り返って言う。金髪を触りながら。
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