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ヘアカラーをやめて、私色へ帰ろう。在り方のはなし

仕事のために染めた髪

はじめて髪の毛を染めたのは、25歳の時だった。
ホットペッパービューティーの営業マンに転職したことがきっかけだ。

「髪色変えた方が柔らかく見える顔立ち。その方が営業成績が上がる」

「ヘアカラーする人の気持ちがわからないと、刺さる広告原稿を書けないだろ?」

当時の上司からそう言われ、2ヶ月のお悩み期間を経てはじめて髪を染めた。

実際に営業成績はぐんっと上がり、広告原稿は実感が湧いて書きやすくなり、広告効果も上がった。
仕事において、ヘアカラーは上司の言う通りの結果を生んだ。

(ここまでで誤解を受けそうなので補足すると、この上司はカコイチ大好きな上司です。彼から学んだことは計り知れない。)

それから随分と長いことヘアカラーをし続けてきた。


プリンを恐れて染め直したり、季節感を求めて色を変えたり、時にハイライトを加えたりといった施術を繰り返してきた。

ブリーチこそしたことはないものの、今では立派なダメージ毛である。

ヘアカラーを楽しんできた、というよりはやめられずに続けてきてしまったという方が私にとっては正しい。

2023年夏の私はこんな感じ。

「本当の気持ち」を押し殺して

元々の私のヘアは真っ黒よりは明るい色味で、日に当たるとほんのり茶色っぽく見える色をしていた。

大学時代に教育系NPOのボランティアで高校訪問した際には、やんちゃな男子高校生から「紫式部がいるー!」と揶揄われるほどの天然ストレート。

猫っ毛で、艶もあり、トリートメントいらずの髪。

改めてこう書き出すと、私は私の髪を実は心から気に入っていたし、恵まれた髪質だった。
カラーをすることで、その髪質が損なわれることはわかっていた。


心の奥底では「髪を染めたくない」と思っていた。


髪を染めるまでの2ヶ月という悩み期間の長さがそれを物語っている。
営業成績は新人としては良い方だったし、染めることを決めたタイミングでも成績に大きな問題はなかった。

あの時の私は、どうして髪を染める選択に至ったのか。

営業成績が下がったら、私には価値がない

当時はよくわかっていなかったが、すべて自身への「無価値感」によるものであると、今は断言できる。

当時を振り返ると、私が感じていた無価値感は大きく2つあった。

ひとつは、音大という専門性が高く高額な学費のかかる大学を出たにも関わらず、音楽の道から離れてしまった自分への無価値感。

当時音大や音大卒生において、一般企業への就職はどこか負け犬を見るような視線を感じることは多くあった。
私も心のどこかで、自分自身を負け犬扱いして、全否定していた。

もうひとつは、自身の仕事に対する無価値感だ。
営業経験のある方は想像に容易いだろうが、営業部署には営業目標を達成して、はじめて社内での発言権を得るような空気感が流れている。

目標は達成して当たり前のもの。

ゆえに今ある営業成績が落ちてしまったら、今の私の価値は失墜する。
ビギナーズラックで上がった今の成績なんて、吹けば飛んでしまう気がした。


ゼロどころかマイナスになる。
そんな恐怖感にいつだって苛まれていた。


要するに、とにかく私は自分に自信がなかったのだ。


「本当は染めたくない」という自分の気持ちよりも、「他者から価値があると評価される自分を維持する方法」を選んだ。

自分の本心ほど大切なものはなかったと、今ならわかるのに。

当時の私。笑ってるけど、心の中は無価値感でいっぱい。

ボスの弱体化と私の本心

そうして髪を染めたら染めたで、今度は「染めていなければ私の価値がなくなる」となってしまったから重症だ。
そんなことではやめどきなんてわかるわけもない。

ホットペッパービューティーを退職したり、フリーランスになったり、会社員に戻ったりという仕事の変化を繰り返す中でも、私は自身の無価値感による罠に幾度となく陥った。


そして、その度に心身に不調をきたした。


私は、この人生であと何回これを繰り返すのだろう、と呆れた。
修行のような人生に、仕事にくたびれ果てた。
もう無理。癒されたい。

そこまでいって、ようやく気づいた。

自分自身を否定しまくって、無価値感の海に自らを沈め込んでいること。
決められた枠の中にはめ込んで守っていること。


私が私を苦しめていた。


その事実と向き合う、と腹を括ってからは怒涛だった。

これまで片手間にやっていた内観・内省に集中しまくった。
自ら植え付けてきたトラウマや、散々抑え込んで切り離してきた感情や感触と向き合いまくって、心を取り戻すための時間をたっぷりと取った。

こうして言葉に書くとたった3〜4行程度のことなのだが、幼少期から抑え込んできたものを引きずり出して、ひとつずつ向き合っていくのは控えめに言ってもえぐえぐのえぐ、だった。
ガイドとして心理学といわれるものも学びつつ、それでも逃げたくなった時には友人の力を借りて、向き合い続けた。


その結果、私の中でボスキャラ化していた無価値感は次第に弱体化していき、埋もれていた本心が、少しずつ見えるようになってきた。


浮かび上がったのは、音楽が大好きでたまらない。
大好きだから大切で、表に出すことを怖がって震えている、小さな私だった。


そんな私を全力で抱きしめたら、「私は私のままでいいんだね」と思えた。
今まで綺麗事のように思えた言葉が、はじめて自分ごとになった瞬間だった。


これを機に今まで必死に積み上げたビジネスキャリアを手放す努力をはじめ、たくさんの変化が訪れた。

向き合うと腹を括ってからは1年と少し。
地方移住というドデカい変化をもって、ようやくちょうどよい私になったように感じている。

私色へ帰ろう

移住して2ヶ月が経ち、そろそろヘアカラーを入れ直すタイミングになった時。
すっかりプリンになりつつある根元を洗面所の鏡で見て、ふと思った。

「今の私の本当の髪色ってどんなだろう」

年齢を重ねて、白髪が増えてきたら、白髪染めを毎月重ねていくことになる。
その時に、カラーしている髪を地毛に戻すことは、今以上の勇気と根気が必要になりそうだ。


チャレンジするなら今じゃないか。


営業時代から長年お世話になっているサロンのオーナーさんに相談したところ、白髪も多くないタイプなので、地毛に戻すのはトライできそうとのことだった。


よし、やろう!


現在は伸びた地毛の部分はそのままに、カラー歴のある部分にのみカラーを入れ直すことを繰り返し、全頭地毛というゴールに向かっている。

2ヶ月に1度、カラメルソースが増えたプリンになる髪の毛を見ては、「お!増えた増えたー!地毛に近づいてる!」と喜ぶ。

これまで恐れていたプリンは、真逆のハッピーに変わった。

ほんの少し地毛に近づくだけで、とてつもなく嬉しいのだ。
全頭地毛になったときに、どんな私が鏡の中にいるだろう。

今から楽しみだ。

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