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答え合わせ

クラスメイトの××ちゃんが泣いていた。
兄と喧嘩したらしい。私は衝撃を受けた。なぜなら家庭内と学校は全くの別物だと思っていたからだ。小学校のころから、私は内と外でモードを意識的に変えていた。

級友と会話する時にズレを感じたからだ。
"普通"は、私とはきっとかけはなれてると思った。大ボラを吹いたわけではない、少し調節を加えてはみ出さないようにしていただけだ。

××ちゃんが羨ましくてたまらなかった。
みんなに取り囲まれて、肩を撫でられてた××ちゃん。羨ましくて、たまらなかった。

子供らしく泣いている同級生が羨ましかった。
今もそうだ。多少わがままを言っても許されている同い年がいる。私は不器用だから少しずつ少しずつ時間をかけて作ってきたものを、そういう人は一瞬で掴み取ったりする。
また遅れてしまった。また先生に、クラスのみんなに笑われる。

クラスメイトの××ちゃんはのちに私をハブしてきた。綺麗に整った顔が、身軽な身体が憎かった。

中学のどうしようもない時、私は校則をなんとなく破っていた。肩についた髪を結わなかった。マスカラを塗った。頬にベチャッとつく、真っ黒なそれはまるで虫のように見えた。それでもちょっとした自己表現のつもりだった。
おばあちゃんの家のシャンプーは髪が乾燥した。

いつも通りの教室、みんな私の内がどうなろうと内と外を破壊しなければ分からないんだろうな。授業中、眠っているクラスメイトを見てそんなことを考えた。

私が今泣いたら、叫んだら、みんなどうなるんだろうか。
思っただけだった。気づいたら、3限が終わっていた。

リストカットを自慢しているらしい、幼なじみに腐れ縁みたいなもんって馬鹿にされるように言われていて、心底気持ち悪かった。
私はリストカットなんてやってやらないとその時に決めた。私はその子に縁なんて感じていなかったから。

小学校、中学時代は外に疎かった。ただ学校と塾を往復し、読書や映画をレンタルして返す日々をすごしていた。
高校でインターネットに触れることが多くなり、今までの自分の経験にも名前がついていた。名前がついてからの方が当事者だった頃よりも記憶が私を苦しめた。

答え合わせみたいなもので、私は被害者だったと認めることに拒否反応を示した。
弱い立場であることが許せなかった。
数学の公式の暗記は出来ないくせに、私は無駄に記憶力が良いのだ。
しかも場面が飛び飛びの映像として頭に染み付いて離れないのだ。私の人生が批評されるのなら、きっと☆2.3くらいの最悪な映画だと思う。

やすのちゃんは分かってる。
2人目くらいの彼氏に言われたことがある。今思い返せば在り来りな選民思想だと思うのだけど、17歳そこらの私にはその言葉がお守りのようであった。しかし、私は何も分からず付き合っていた。自分に向けられる愛情が特に説明されるわけでもなく、それが私には理解できなかった。理解されてるふりをされているようにも感じた。正直、私が1番、私が分からなかった。

高卒して、映画を作るようになった。
映画、と言ってもただ私の経験や持続的に考えていることを組み合わせた映像のようなものと言った方が正しい。
私は人を性別で好きになろうとはしない。一人の人間として好きになっている。
友人も恋人も全部同じ感情であるのだ。それを発言すると、まだ子どもだと笑われる。

私は自分に1番近いであろう少女たちをカメラに映す。ある日、同性愛をテーマに描いていると言われた。それは少し違うと思った。
男女にしてしまうとどうしても"恋愛"に結び付けられてしまいがちだと、恐れていたからだ。

私は恋愛感情が分からない、ただ好きか嫌いか、はたまた普通か。それで人を判断している。ただ人と人との間に愛と呼べるものがあったかそれを描いていきたいだけだ。

高校の時、自分が被害者である事実に苦しめられた。しかし、今は加害者になるとも思っている。報道で21歳の加害者なんて山ほど見かける。少年法に守られる歳でもない。

誰かが私に性的な発言をして加害しても、今の私は笑って冗談を返せる自信がある。しかし、家に帰ってそんな自分が、一番自分を加害しているのではないかと、悔しくてたまらない時がある。

インターネットで見掛けた。被害者だと、告発している人。クラスメイトの××ちゃんを見ていたあの時のような気持ちになった。
でも私はそんなことが出来ない。そうやって、ただ自分を加害し続けるんだろう。
それでも、それは少し悔しいから、私は映画を撮るのだろう。いや、撮っていきたい。

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