牛乳をめぐる攻防

 Instagramで地元・北海道のあるテレビ局の投稿を眺めていた。すると、「牛乳チャレンジ」なるハッシュタグがいくつか見られた。調べてみると、「学校給食の休止に伴い困っている酪農家を救おう」という趣旨のもと、鈴木直道知事が推し進めるキャンペーンらしい。
 なるほど、そういう問題があるよな。ふむふむ、私も投稿しようかな。…と再び投稿を見返していると、違和感あるコメントに気がつく。「すてきな投稿ですね!でも牛乳は子牛のための飲み物であって、本来搾取すべきものではありません😣」といったものだ。そこには「stop牛乳チャレンジ」のハッシュタグがある。
 どうやら「stop牛乳チャレンジ」は、鈴木知事に対抗してつくられたわけではなく、ヴィーガンがもともと訴えていた一つのキャンペーンらしい。「牛乳チャレンジ」が盛り上がるにつれて、「これはまずい」と大きく声を挙げることにしたのだろう。「牛乳チャレンジ」の投稿にはもれなく、先程のコメントが定型文として書き込まれていた。…言われるがままに酪農家を心配して、牛乳消費に協力した人たちが、すこし不憫に思われた。
 わたしも「世界をよくしたい」と思ってきた人間ではある。大学では3年間フェアトレードを知ってもらうための活動をしてきたし、ファッションレボリューションも毎年参加してきた。だから、「stop牛乳チャレンジ」の姿勢はすごく理解できる。人間が牛乳の代わりに豆乳をのめば、動物たちは自由に近づくことができる。広く生き物が幸せになれる、脱人間中心主義的で倫理的にいい考えだと思う。
 だが、北海道に育った人間だ。「牛乳チャレンジ」の精神もよくわかる。北海道はいまだ感染が続いており、給食の休止はおそらく酪農家にとって大きな痛手になっているだろう。突然困っている人たちを、この機に乗じて見捨てようとするのはどうなのか。たぶんわたしの違和感はここにある。
 「stop牛乳チャレンジ」が、場当たり的に「牛乳チャレンジ」に噛み付いている印象を受けざるを得ない。酪農家に対して「いまこそ広大な土地を有機農業に再活用しましょう!」なんてコメントもあったが、あまりにも非現実的すぎる。育ててきた牛はどうするのか。施設を建て替える費用はどこから出るのか。ましてや有機農業のノウハウはどこから得るのか。こうしたたくさんの問題を一気に飛び越えてしまっている。申し訳ないが「stop牛乳チャレンジ」の一員にはなりたくないな、そう思ってしまった。
 それぞれの運動は別の文脈で生まれたものだ。いま、わたしはどちらの立場にも付き難い。 ただ一つ確実に言えることがある。それは鈴木知事が既存の運動に対して配慮せず、同じようなプロモーションを行ってしまったのは、失敗だったということ。メディアがこの攻防を取り上げないところにも、闇を感じざるをえない。

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