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健気な生き物


よく、巷では

「他人の結婚式を見ると自分も挙げたくなる」といいますが

その意味が分かった一日でした



私が人生で結婚式に参列したのは
これまでで一度

大股で母の膝の上に鎮座する齢3歳ほどの私を写真で観測

叔父の結婚式かな?たしか

態度でかすぎわろた



つまり式自体の記憶はないというわけです



身近な友人が入籍しても


多様性・コロナ禍・不況が後押ししてわざわざ挙式する人は少ないし

ウェディングフォトだけとか
家族でコンパクトに済ませたりだとか...


新聞や年賀はがきのように
どんどん薄れてゆくものなんだなあと...



でも、わざわざそこまでして執り行う意味を理解できた日でした



だって、、、
自分たちの関係を神の前で誓うなんて健気なことするの人間くらいよ?????
ね????


人間という生き物が尊かった

これに尽きる


母親が広げる背広に腕を通し
背中を優しく叩かれる新郎

そのあとに、
母親にヴェールをかけられ
共に涙する新婦

それぞれの意思疎通が
こちらに伝導する程の沈黙



まじで尊い
人間味あった

やはり生身で体験することはとても意味があるな
人の一大イベントをエンタメぽく楽しんでしまって大恐縮なんだけど
ほんとに感動して感謝なのよ


いや私人間味イベント好きやからさーーーーーーーーーーーーーーー

ぼろりぼろりと泣いたよねーーーーー




2人が心底尊かった


この日のためにたくさん考えてお金も捻出したのであろう
緊張が伝わってくるのもそれだけ真面目に向き合ってきたのであろう


あと緊張感伝わってきたのは祝辞かな

あぁ、本当にこの友人とは両想いの関係なのね、素敵だねと微笑ましくもあり
おいおいこっちが笑けてしまうぞというほど緊張している人も

これも月並みなんだけど、照れくさくって普段伝えられない感謝を身近な人に伝える場でもあるんだろうね

推しは推せる時に推せよ的な
みんないつもありがとうね


いやーーー、こういうことを言うべき時に瞬発力高めで伝える能力を育てるためにも、心の余裕は常にありたい...




新郎側・新婦側のタイプの違う参列者が物語っていたように


別個に存在していたそれぞれの人生が

手を取り協力して家庭を築いていくんだと思うと、新たな価値観の一滴が投与されたような
そんな感覚です




良質なインプットがあると、アウトプットしたくなるんだよ

おわり

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