60数年前、あの日、東京行きを決めて良かったこと
私の人生は振り返ってみると、多くの選択と困難に満ちていました。自分で選んでよかったことは、親から「東京で暮らすこともできるけれど、お前の気持ちでどうするかを決める」と言われ、「行く」と答えたことです。理由はハンデのある身で農村で生きるのは困難だからです。
両親は引揚者で、家は貧しく、戦後の混乱期で世の中に何もなく、ないないずくしの中で育ちました。母は結核で亡くなり、父は男手一つで私ときょうだいを育ててくれました。
私は幼い頃元気いっぱいの子どもでしたが、ヨチヨチ歩きの頃にガラスを踏み抜き、それが元で小学1年生の秋から歩けなくなり、小学5生の秋頃にギブスをつけ松葉杖でやっと学校へ戻りました。
その間、骨結核を患い、地元の病院では足を切断するしかないと言われました。幸い山の向こうの病院の医師は、私の骨盤の骨を足首に移植することで足を残してくれました。このことは一生の感謝です。だから、心から「やっと」と実感しました。
中学2年生からは東京で暮らしました。父は仕事が忙しかったので会社で食事をし、私は自炊になりました。お風呂は近くにある銭湯です。田舎の生活と比べると何もかも楽でしたが、一人ぼっち、生き物もおらず、緑もなく寂しい限りでした。それでもハンデのある身には、東京はありがたい街でした。ハンデを感じることなく暮らせましたから。
大学へ進み、就職し、27歳で結婚し、2人の子を育て、義両親と父を見送りました。まもなく77歳になります。楽しいことは少しだけ、大変なことは山のようにありましたが、逃げずにここまで来ることができたのは、あの時東京行きを選んだから。私の原点です。