エコライフエコライフ?
家電や食材などに限らず、衣料品や日用品にまで「エコ」という言葉が至る所に使われるのを目にするようになった。
「限られた資源を大切にしよう!」
その考え方は理解できるし、できる限り取り組むべきものだと思う。
ただ、私は以前からこの考え方に少しだけ引っかかる部分があった。
メーカー側のコスト削減や企業のアピールのために“エコ”って言葉が簡単に使われている節があるので、「それって本当にエコなの?」という疑念もあるが、
ここでは本質的な「エコってなんやねん」という部分について考えてみたい。
結論から言うと、「エコって思想なの?それとも実践なの?」という疑問である。
私がまず考えたいのは、「人類が増え続けること」と「限られた資源を大切にしよう」は矛盾しているのではないか、という点である。
もっと具体的に言うと、「100人がエコに取り組む」よりも、「10人の人間が減る」方が環境や資源のために効果あるのではないか?という極論にもつながっていく。
もちろん、国や地域、個人によって生活スタイルや消費する資源や量は大きく異なるかもしれないが、ここでは、「ざっくりとした考え方」で話をしてみたい。
人や動物が生きていく上で、食料や資源を全く消費しないことは無理である。
まぁ、ほとんどの人はエコを“節約”的なノリで解釈し、選択肢の一つとして考えているかもしれないが、
私がこの考えについて疑問を持つようになったのは、数年前の震災があった際に、“節電”を呼びかけられたことも関係ある。
あの当時は、私もできるだけ明かりを最小限にしたり、冷暖房の消費も抑え節電に取り組んでいたが、
そんな中、煌々と輝く家電量販店やパチンコ店を見かけた時に、自分が節電に取り組んでいることの無力さや非力さを考えさせられた。
あのような情勢の中でも家電量販店やパチンコ店が営業していることの意義はあるだろうし、もしかしたら、見えないところで節電に取り組んでいたかもしれないので、それについて批判するつもりはない。
ただ、「自分が行なっている“節電”は、あの家電量販店にあるテレビモニター分にも満たないのかな」という虚しさを感じたのは事実である。
「多くの人の小さな力が、世の中を変えていく。」
環境問題の提起や普及啓発活動には意味があるとは思うし、私もこういったボランティア活動の手伝いをしていたので、人々に問題意識のタネを撒き続ける大切さや、小さな積み重ねの必要性はわかる。
しかし、根本的な考え方として、「それって個人でどうにかできるレベルじゃないよね?」という問題に気づいてしまう場合もある。
そうなると、最初の私の仮設である「100人が頑張ってエコを取り組むよりも、そもそも人類減った方が環境に優しいんじゃないの?」論と向き合う可能性がてでくる。
環境問題やエコに熱心に取り組む企業や活動家は、その辺りをどのように考えているのだろうか。
私としては、“エコ”や“環境のため”に取り組むことが「素晴らしいこと、配慮されて当然のこと」として疑うことなく扱われていることに違和感がある。
もし、「環境のために、あえて子どもを生みません」みたいな真面目な人が増え続けたら、どのような反応をするのだろうか。
エコって思想なの?それとも実践なの?
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