「あえて席を譲る」人生
「人生とは椅子取りゲームである。」
誰かが言っていたセリフである。たぶん。
いま病院の待合室の椅子のすみっこに座っているが、ふと考えてみた。
たまにネットで「優先席にあえて座るor座るべきではない」などが話題になるが、優先席の場合は「優先される人」が掲示されているために、まだわかりやすい。
しかし、優先席などではない一般の席、まさに今いる病院などの待合室は、誰もが平等に座る権利があるものである。
椅子の場合はまだ、座れなかったとしてもその場の我慢で済むかも知れないが、これが一生に関わること、例えば、
「入学者の定員」や「就職者の定員」、「都営住宅などの抽選」、「個数限定販売」など物理的な椅子でない場合も同じく、
誰かが勝ち取ることによって、他の誰かがこぼれ落ちる、という仕組みであることは変わらない。
数に限りがあるからこそ、価値は高まるし、
それを得るために策を練ることや努力することで、より勝率が高まるのであろう。
「自分がその席に座っていなければ、他の誰かが座れたかもしれない。」
そこに優越感を得られるか、後ろめたさを感じるか。
私たちは日頃から、小さな椅子取りゲームを強制参加させられているのかもしれない。
椅子に座れず、誰かから「負け犬」や「敗北者」と罵られても、「あえてその席を譲ってやった」と開き直れるなら、負け続けの人生でも豊かに思えるだろう。
…
そんなことを待合室で考えていたら、ご婦人が新たに待合室へ入ってきた。すでに席は埋まっている。席を譲ろうかなと悩んでいたときに、ちょうど診察の順番がきて自分の名前を呼ばれたので立ち上がった。
どうぞ、この席に座ってください。
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