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お喋りおやじはもういない

昔いた店舗に、Kさんという患者さんがいた。
70代後半くらいのおじちゃんで、いつも水色の軽トラに乗ってやってきた。

薬ができるまでの間、よく窓際の席で新聞を読んでいた。

なんとなく顔見知りのような感じになり、薬ができるまでの間、お話しするようになった。

話好きのおじちゃんだった。

「薬を大量にもらいすぎて、役場から手紙が届くんだよ」というのがテッパンのネタで、彼に会うたび、その話を聞いた。
ガハハと笑うKさんの顔も、いつもかぶっていた紺色のキャップも、今でも思い出すことができる。

だけど、毎月のように顔を見せていたKさんが、いつのまにかぱったり来なくなった。
最初は、薬が余ってんのかな、たまたま具合でも悪いのかな、と思っていたけど、半年ほど姿を見せない日が続いた。

どうしちゃったんだろうな、と思っていたある日、久しぶりにKさんがやってきた。
でも、わたしの覚えている陽気なKさんではなかった。娘さんかお嫁さんらしき女性と一緒にやってきた彼は、なんだかほやんとした、妙に穏やかな顔をしていた。

いつものように新聞を読むことも、「役場から手紙が来た」というテッパンネタを話すこともない。ただ、静かな顔で待合室のソファに座り、静かに薬を受け取り帰っていった。

そういえば、Kさんの大量のお薬の中には、認知症のお薬も含まれていた記憶がある。
お医者さんじゃないので、わたしの想像の域をでない話だけれど、もしかしたらそのことも関係があるのかもしれない。

わたしは、すっかり変わってしまったKさんをみて、なんだか無性にさみしいような悲しいような気分になった。

今になって思えば、あれは、わたしの知っているKさんがいなくなってしまったことに対するさみしさだったんじゃないかと思う。

お喋りが大好きだったKさんは、どこに消えてしまったんだろう。
彼の中から、すっかりいなくなってしまったんだろうか。それとも、どこかで休んでいるだけなんだろうか。

あの店舗も閉鎖になり、Kさんが今どうしているのかもわからない。
それでも、わたしはたまに彼のことを思い出す。
記憶のなかのKさんは、いつもの紺色の帽子をかぶり、大きな口を開けてガハハと笑っている。










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