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ぴーめんのがん闘病記

割引あり

0.はじめに

みなさま、ぴーめんです。

保険業界で医療保険の推進をする立場にいた
この私(32歳)が

まさかの腎臓がんになってしまいました。

本記事は、
・発覚までの経緯
・治療や流れ
・がんになった心境、思い

等について、保険業界にいた立場から
赤裸々にわかりやすくまとめました。

本記事では、
特に生命保険業界にいる方々にとって

「普段トークしているから充分知識はある」
と思っているような方には
大変役に立つ内容と自負しております。

また、私と同じように
腎臓がんと診断されたばかりの方や
そのご家族やご友人の方にも役立つ内容です。

実際、私もなってから、とても学び・・・
恥ずかしながら当事者になってから
初めて理解できた事が沢山ありました。


本記事では、そのような内容を含め、
余すことなく記載しております。

なお、本記事は有料部分がございますが、
そちらは筆者の今後の治療費用
に充てさせていただきます。

無料部分だけでも相当のボリューム
(追記予定を抜いても既に15,000文字超え)
ですので、ぜひお読みください。

内容は適宜更新していきますので、
Xでも告知いたします。

目次は以下の通りです。

1.ぴーめんのがん闘病記

①腹痛で救急車を呼ぶ

育休期間中。
妻と第二子が戻ってきてから、
上の子のかんしゃくが悪化(嫉妬等)し
24時間困っていたことで、
ストレス性の腹痛が起こってきていた。

そしてある晩。
いつものストレス性の腹痛だと思って
我慢していたら、痛み方がいつもと違う。

小心者の私は
「盲腸かもしれない・・・」
と不安になりました。

救急車を呼ぶかは、T-PECに一度相談
したことで決意することができました。
(緊急性の判断の際は#7119があったのを
後に知りました…)

そして、救急車で
地域の医療センターに運ばれました。

②医療センターで造影CTを撮影

運ばれた医療センターで、
造影剤を入れたCTを撮ることになりました。

初の造影剤。
これを投与することで

がん等の病変位置が
はっきりわかるようになります。

この時は”がん”だなんて
微塵にも思っていませんでしたが・・・

下半身がカッと熱くなるのと、
喉なども一気に熱さが込み上げるので
少し不安になりましたが

これは「全員そうなる」とのこと。
特に目立った副反応は有りませんでした。

結果、腸に炎症反応。
「盲腸ではなさそう」とのことで、
一旦痛みも引いたので家に帰ることに。

お昼になってから、
体も落ち着いたので上の子を連れてお出かけ。

③医療センターから着信

子どもとのお出かけ帰ってきた夕方ごろ。

昨日の医療センターからの
着信履歴がありました。


特に危機感は覚えず、
以下のように考えていました。

(昨晩のお金の支払いについてかな。
まだ振り込めてなくてすみませんって
言わないと…)

医療センターに折電。
電話を折り返した旨伝えると、
数秒待たされたのち、昨日の医師が出てくる。

A医師「〇〇県医療センター医師のAです。」

私「A先生、昨日はありがとうございました。
おかげさまで、今はもう元気です。
昨日のお金の件ですよね・・・」

A医師「ぴーめんさん、
お伝えしないといけないことがあります。」

私「はい?」

A医師「昨日撮影した造影CTですが・・・
ぴーめんさんにお伝えした際は
"何も異常なし"と話しましたが…

あの後に、もう一度確認した際、腎臓に
1.7cm程度の腫瘤が見つかりました。

私「えっ…それって、良性なんですか?」

A医師「大変申し訳ないのですが、
画像だけで良性かはわかりません。

つきましては一度当院にお越しいただいて、
泌尿器科の担当医から
詳しく話を聞いて欲しいのですが…」

育休中のため、最短のスケジュールで設定。

Googleで、「腎臓 腫瘤」
で検索すると一発目がコレ。生きた心地せず。

検索して一発目で表示されるのがコレ。

その後、
スマホで腎臓がんについて調べまくる。

妻から検索禁止令が出るが
情報収集欲は収まらない。

(検索魔状態というらしい)

④検索魔状態

「腎臓がん 再発 可能性」
「腎臓がん 転移 何年で」
「腎臓がん 五年生存率」
「腎臓がん ブログ」

沼に入る。

ここで様々な知識を得ましたが・・・
知識を得ることで安心感を得る以上に
とても不安になりました。

ネットの情報はあくまでネットの情報です。
自分の体のことは
担当医師が一番わかってますからね。

担当医師の話だけを信じていれば良い
と私は思います。

(最後はこのように割り切って、
検索魔状態から脱しました)

とはいえ、
もちろんセカンドオピニオンは大切です。

従って、信頼できる医師との出会いは
改めてとても重要だと思います。

私は最初から、偶然良い医療機関に
かかることが出来ていたのが
不幸中の幸いと言えるかと思います。

余計な不安に駆られてしまい、
何をしても集中できないのもこの頃でした。

⑤泌尿器科、初受診

想像はしていたが、高齢者が多い。
若い人は自分だけなので
孤独感を覚えたことを記憶しています。

待合室で待機。
呼び出しがかかったので、診察室へ。

私「よろしくお願いします」

診察が始まる。
泌尿器科の担当医(以後、B医師)は
A医師より少し年齢が上だった。

B医師「今日はお一人ですか?」

(うわ、典型的なやつ聞かれた・・・と焦燥)

私「はい。
まだ子どもが生まれたばかりですので・・・」

B医師「カルテにもそう書いてありますね。
大変な時でしたね。では本題に入りましょう」

(家族にも聞いてほしかった、次回は必ず呼んで下さい的なことはないのか・・・と少し安堵)

会話した内容は大きく3つ。

1.腫瘤について

B医師「先日の造影CTの画像ですが、
こちらですね・・・」
(画像をスクロールして見せてくれる)

ほんの少し小さいコブのようなものを確認。

B医師「よくあるのが、腎嚢胞。

ただ、水が詰まってる感じは
ぴーめんさんのからは感じられません。

とすると、
残念ながらガンだと考えるべきですね。

(あっけないガン宣告)

私「やはりガンですか…」

B医師「もちろん良性のケースとしては
AML(腎血管筋脂肪腫)のこともあるのですが、この画像だけでは判定がつかない。

ただ、AMLだったとしても、
将来的に破裂する可能性があるので、
摘出するのが良いでしょうね。」

2.がんの場合の治療方法について

B医師「治療法は大きく三つあります。

腎臓がんには放射線治療、
薬物治療が基本的には効きません。

したがって・・・」

a:経過観察(様子見、放置)

B医師「これが正しいケースもあります。

高齢の方の場合、
がん細胞が悪さをするまで時間が掛かるなら
むしろ治療しない方が元気に暮らせる

というようなケースもあります。
(=寿命が先に来る、ということ)

また、腎臓がんの進行は遅い
と言われていますからね。

まあ、ぴーめんさんはお若いから
これは無しでしょうが・・・」

b:生検

B医師「針を入れて
がん細胞か判断する方法
です。

体に負担も大きいので大変ですが、
最も危険なのは”播種”のリスクです。

もしガンだったら、
癌細胞を散りばめてしまう可能性があります。
(針を引き抜く際に飛散する可能性がある)

腎臓がんの場合は、正直なところ
こちらはオススメできません。」

c:切除術

B医師「疑わしきものは罰する
という手段です。

サイズ的にも取って仕舞えば安心ですので、
気持ち的にも宜しいかと思いますが・・・
腎機能低下の可能性があります。

また、良性だった場合は腎臓の取り損、
と思ってしまうかもしれません

三つについてご説明いただいたのちに、

c:切除術について質問。

3.切除術について

私「腎臓の何%を摘出する事になりますか?」

B医師「それはわかりませんね。
場所が悪ければ、
右腎臓の全てを摘出する可能性があるため
一概に言い切ることは難しいです。


ただ、ぴーめんさんはまだお若くて、
これから50年、60年と生きるんだから
腎臓は二つ欲しいですよね。

部分摘出で済むよう最善を尽くすので、
そのためにも部位や形状把握のために
次回までに追加検査を受けてほしいです。」

(この言葉で非常に元気が出ました)

医師から許可の上いただいたメモ。
大変判りやすくまとめて頂いております。

最後に、今後のスケジュールについて。

B医師「再度別の検診センターで
ダイナミックMRl、造影CTを
撮影してきてください。」

育休中のため、スムーズにスケジュール調整。最短で日程を確定させる。

⑥検査を終えてからの受診

以下について報告していただき、
あっけなく終了。
こちらも部分切除が出来ることに一安心。

・サイズは1.7×1.4
場所は悪くないので、部分切除が可能。
ダヴィンチが使えるので、使いたいか?
→はい。
・次回以降はダヴィンチの専門医が診察。

さて、
ここでダヴィンチについて少し説明です。

分かりやすい文章を見つけましたので、
引用します。

ダ・ヴィンチは、アメリカで開発された
内視鏡手術支援ロボットです。

術者がサージョンコンソールに座って腹腔を
CO2ガス(炭酸ガス)で気腹した状態で
ロボットを操作し手術を行います。


ロボット本体と操作台、
助手用のモニターで構成され、
ロボット本体には3 本のアームと1 本のカメラが
装着されています。

鮮明な3Dカメラで体内を立体的に映し出し、
手術を行います。

手術支援ロボットでは手術機器の先端に
関節が7個あり270°の可動域を有するため、
執刀医の指・手の動きの通りに
操ることが可能です。

また、執刀医の手の震え
(カメラで言う手ぶれ)が自動的に取り除かれて
手術機器に伝達されます。
これにより、繊細かつ正確な手術操作が
可能となります。

患者さんのメリットは、

1) 出血量が少ない(輸血は極めてまれ)、
2) 傷口が小さく目立たない、
3)術後の回復が早い(小さな傷口のみで行われる手術なので、
皮膚や筋肉を切開した痛みは少なく
術後の回復も早い傾向にあります。

ロボット支援手術(ダ・ヴィンチ)について | 国立がん研究センター 東病院 (ncc.go.jp)
このようなロボットを使って行う
腹腔鏡手術のことです。

ちなみに、腎臓がんだとダヴィンチ手術は
2016年に保険適用
しています。
保険適用範囲は徐々に拡大しているようです。

ところで、
この翌日から、育休を終え
ようやく職場復帰しました。

この頃はがんに関する本を買って
移動時間に読んでいました。

私が抱いている感情は・・・
同じ道を通った人は感じるものだ
ということが整理でき

状況を少しずつ受容できてきた気がしました。


(このあたりで、
検索魔状態も落ち着きました)

⑦ダヴィンチ執刀医の診察

ダヴィンチ執刀医(以後、C医師)は
担当医の中で最年長。
実績もかなりあるご様子。

何より自身の執刀医となるので
少し緊張しました。

C医師「私の経験から見たところ、
良性の可能性もまあまあ有りますね」

私「そうなんですか!?」

C医師「はい。
ただあまり期待はしないでください。

がんでも、定期的な検査が必要なだけで、
小さいから取ってしまえば安心ですよ。」

診察で会話したのは主に以下の内容。

・手術時間は3~6時間
・腫瘤の場所は取りやすい箇所
(右腎の5%切除で済む)

・手術前検診の案内
・手術日の日程調整

⑧手術前検診

手術に耐えうる体なのか?
を確認するための検査。

手術まで3カ月以内に行う必要があるとの事。
(手術延期になれば再度行うことも)

同じ腎がんでも、状況によれば
転移していないかの確認*も
この際行うようなのですが・・・

(*例)骨シンチグラフィー・・・
がんが骨へ転移しているか検出するために実施

私の場合は前回
MRI+再度の造影CTを撮影したので、
もう問題ないとのこと。

従って

・血液検査
・胸部レントゲン
・心電図

というオーソドックスなものを実施。

その後、執刀医であるC医師との診察で

『ロボット支援 腹腔鏡手術下腎部分切除術
についての同意書』(分厚い!)

を手渡され
次回の手術オリエンテーションまでに
全ページを読み込んでほしい旨言われました。

C医師「手術オリエンテーションには
奥様いらっしゃいますか?」

私「小さい子どもたちがいるから
難しいかと思います・・・
親か託児所とかに預けさせますかねぇ」

C医師「大丈夫です!
ぴーめんさん、よく調べられてますし、
知識もおありですから。

こういうのって、
特に高齢者の時はお願いしているんですよ。

手術される本人が、手術のことよくわからない
ってことが多いので(笑)」

私「そうなんですか(ちょっと嬉しい!)
あ、でも入院のオリエンテーションは
聞きたいとか言ってました。」

C医師「それは(笑)
持ち物はこれで、これはレンタルできて・・・
って程度の話ですよ。

もしや!ぴーめんさん、
生活がだらしないんですか?(笑)」

私「違いますよ(笑)」

こんな冗談を交わしながら診察は終了。

⑨手術前オリエンテーション

前日にインターネットで調べながら、
分厚い同意書の中身を全部確認。

調べてもしっかりと理解できなかった項目は
マーカーを引くなどして
全てC医師に会った際に、確認を行いました。

(この作業は2時間程度かかりました)

同意書の一部ページ。(汚いですが)
気になる箇所はチェックをしていました。

事前に医師も仰っていたのですが、

「コンプライアンス上の問題で
手術で少しでも発生が懸念されるもの
を全て網羅している」

とのことでしたが、
殆どそのような記載である事が
なんとなく理解できたことを覚えています。

記憶に残っている同意書の記載は
主に以下の3つ。

・ダヴィンチはロボットなので、
急に停止してしまうことがある

(C医師曰く、割と珍しくない事象とのこと)

・隣接する臓器を傷つけてしまう可能性
(私の場合は、場所が良かったので考えなくていいと言われました)

・創部への癌転移

→「腹腔鏡手術では、癌の組織を取り出す時に創部に転移が生じたとの報告があります。」という記載

(C医師に確認したところ、
少し昔にあった事象のようです。

今だと基本、摘出するがんは
ビニール袋のようなものに入れて摘出するため
そのようなことは起こりえないと思う、
とのことでした)

そして、最も印象に残った記載はこちらです。

・ロボット支援腹腔鏡下腎部分切除術を行わなかった場合に予想される経過


「ロボット支援腹腔鏡下腎部分切除術を
行わないことで、根治の可能性が低くなり、
その結果余命が短くなる可能性が高いです。」

改めて、自身の体の危機を再認識させられる
怖い一文でした・・・

なお、気になる、
体にあける穴の数は…
7カ所とのことでした。

12mm→2箇所
8mm→4箇所
5mm→1箇所

オリエンテーションを終えた際に

C医師「手術の直前にもう一度だけ
CTも撮りたいんですけど、良いですか?」


私「構いません。
大きくなっていないか判断するためですか?」

C医師「それはほとんど考えられません。

少し期間が開くので念のためです。
そのようなことがあれば、
こちらからご連絡いたします」

確かに、最後にCTを撮影したのが7月上旬。
手術まで4カ月以上の開きがある。

それからは、
「もしかしたら、この間に大きくなってたら…
どうすればいいのだろうか」

という思考がずっと頭を巡っていました。

その後、再度のCT撮影を終えてからは
病院からの着信がないか、
毎日頻繁に確認していました。

⑩手術直前期(体調管理)

手術前は
健康管理を徹底しなければなりません。

感染症になった場合は当然延期になりますし、
風邪気味…すなわち
(微熱、鼻水、せき、たん)でも重大です。

いかに低侵襲の手術だとしても、
体に穴を空けるわけですから、
万全の状態でなければ命にかかわります。

また、たんや鼻水は、術中・後に肺炎等の
合併症リスクが高まるため、
手術の延期
が決定されるケースも
散見されます。

そんな中、私は一週間前に風邪をひきました。
病院に報告の電話を入れた後、指示に従い
すぐにPCR検査、インフルエンザ検査を行い、
いずれも陰性の結果が。

規則正しい生活と処方された薬を使用し、
なんとか入院日を迎えました。

小さい子が居る家庭は
かなりの注意徹底が必要ですね・・・

⑪【入院1日目】入院生活スタート

結局、差額ベッド代をケチり、
4人部屋に入ることに。
当日は妻、下の子と一緒に病院へ。

入院受付を済ませ、必要なものを
レンタル・購入しようとすると妻が

「まだ早い」と言う。

実は元看護師である妻曰く…

これから、
担当看護師と持ち物チェックがあるはず
とのこと。

その際に、
「入院のしおり」に"準備要"と書かれていても

実はレンタル・購入しなくとも
病院側が用意してくれるケースがある。


だから、看護師さんと確認してから
最低限揃えればいいとのこと。

…流石です。

その後、病室に到着。
担当看護師さんと会話したところ

まさに妻の言う通り!
結局購入したのは大人用おむつ程度でした。

入院時の持ち物関係は別項で触れます。

そして、妻子と別れ入院生活がスタート。

病室は病棟の中でも、
ナースステーションから最も離れた位置。

妻曰く、
ナースステーションから最も離れた部屋は
重症度が低いため、優先度が下がるから
元気な人が多いとのこと。


なるほど、と感じました。

病室は圧迫感もなく、
他の患者さんも和やかな雰囲気。
(皆さん、退院時に挨拶もして下さいました)

病室(4人部屋)
冷蔵庫はテレビカードと連動のため、
使用にはお金がかかります。


嬉しかったのが、トイレの清潔さです。
便座クリーナーが付いていたため、
病室のトイレ使用への抵抗感が下がりました。

便座クリーナー。
潔癖症には助かります。

その後、担当医の方と挨拶。
(これまでのA~C医師ではない、新たな医師)
説明の後、右手に〇をマジックで記入。

今回は右側の腎臓の手術のため、
間違いを防止する目的だそうです。

意外と原始的なやり方で少し笑いました。

入院日は
・麻酔科で麻酔の動画視聴
(硬膜外麻酔+全身麻酔)
・麻酔科医と執刀医の診察

というイベントがありました。

動画視聴後、まずは麻酔科医の診察。

直前まで風邪気味だったので、
手術が中止にならないか不安があったものの
杞憂で済み、一安心しました。

その際、麻酔時の気管挿管について
「救急救命士の気管挿管実習」
に協力を依頼され、快く引き受けました。

その際
担当の救急救命士の方が
ご丁寧にお礼の挨拶に来られました。

今回の手術は、そもそも…
腹痛の際に救急車で運んでくれたことで
がんを早期発見できたのがきっかけです。

少しでも恩返しをしたい旨を伝えました。

その後、執刀医のC医師の診察。

輸血等の同意書の説明ののち、

私「直前に撮ったCTの結果は、
特段異常ありませんでしたか?」

気になっていたことを質問しました。

直前に読んでいた
腎臓がんの闘病ブログのケースだと…

手術までの間の1.5カ月で
1cm近く腫瘍が大きくなっていたことを知り
非常に不安になっていたのです。

C医師「勿論、何ら問題ありませんでしたよ。
明日は頑張りましょう!」

とのことで一安心。

その後、病室へと戻り、夕食。

病院食は予想通りヘルシーなメニューですが、
正直美味しかったし、お腹も一杯に。


ただ、翌日の手術に向けて絶飲食となるため、
夜9時からは絶食。
(水、お茶、スポーツドリンクは可)

翌朝7時以降は水分摂取も禁止となります。

せっかくのひとり時間に
若干の物足りなさを感じつつも…

ベッドは電動で動くから快適だし、
充電環境も良い為、快適な夜を過ごしました。

しかしながら、
正直言って不安で夜は寝られませんでした。

そして、ついに手術当日を迎えました。

⑫【入院2日目】手術当日

目覚めたのは6時30分。

手術開始が9時。後3時間もしたら・・・
と考えると恐ろしい気持ちになりました。

手術前に妻子は来れませんでしたが
「頑張ってね」
というメッセージ動画を送ってくれて少し涙。

そして、いよいよ看護師さんと一緒に
手術室に向かう時間に。

手元のスマホ、結婚指輪を金庫に入れると、
家族との繋がりが途絶えた気がして、
不安な気持ちになりました。

そして、
担当看護師さんと歩いて手術室前へ。


手術室前には私と同じような、
パジャマ(手術着)姿の
患者たちが並んでいました。

「○○さんはこちらの部屋でーす!」
という風に手術室へ案内される光景を見て、

なんだか…
これから遊園地のアトラクションに乗るような
妙な感じがして、緊張がほぐれました(笑)


看護師さんは普段通りの雰囲気
手術前の患者たちはとてつもない緊張感。

その温度差がなんだか面白くて、
少し肩の力が抜けました。

そして、手術室に到着しました。
思ったより明るい雰囲気で、
意外にもリラックスできました。

スタッフの方々の紹介の後、
理解しているのか?の確認作業として

「本日の手術内容と、どこを手術するのか?」
を私の口からスタッフの皆様へと説明。

そして、ついに手術台へ!

目の前にあのダヴィンチも見えます。
この手先がお腹に穴を空けるのか・・・
と少し身構えます。

ダヴィンチ手術の際、
患者の姿勢は横向きになります。

手術をする側を上にした(私の場合は右を上)
にした横向きになって寝るイメージです。

その際、右腕は上にあげたまま
という姿勢です。

手術台の上で上記の姿勢になった後、
硬膜外麻酔を入れていきます。

これは脊髄の硬膜の外側に
麻酔薬を投与するというものです。

スタッフの方が、該当の位置を強く押しながら
私に「痛い感覚がありますか?」と聞き

「はい、まだ痛いです」
「すこし和らぎました」

と会話しながら、
麻酔の量等を調整していきます。

いよいよ始まるようで、緊張が増しました。

このタイミングで
尿道カテーテルも挿管したそうです。

そして、全身麻酔。

「これから全身麻酔を行いますね~」
と言われ…

気づいたら手術は終わっていました。

⑬【入院2日目】手術後(手術当日、ICU)

看護師「ぴーめんさん、終わりましたよ~」

目が覚めると、まずは吐き気がしました。

すぐに吐く準備してもらいましたが、
何も出ず。

次に猛烈な喉の渇き。
手術後は暫く絶飲のため、
うがいだけさせてもらいました。

(これだけでも大分違う)

この時使ったのが、このような吸い飲み。
初めて介護用品を使いました。

本当に便利で、術後2日まで使っていました。
(起き上がるのが困難で、コップが使えない)

その後、意識が朦朧としたままICUに。

この際、担当医師が来られ、
順調な手術だったことを話してくれました。

その後、妻が来てくれました。
下の子は看護師さんに見てもらっているとのこと。(ICUは子ども入室不可)

この時は、意外とはっきりと会話できたことを覚えています。

手術は「予定時間きっかりに、
順調に進んだ」と説明を受けたようです。

この時に初めて気づいたのが、猛烈な痒み。

ICUの看護師から説明されたのが、
「アルコールやテープでかぶれる体質」
だということ。

32年生きていて、初めて知りました。
パッチテスト等を受けてきちんと把握すれば、
余計なトラブルが防げたのかもしれません。


この痒みには術後2日まで悩まされました。

特に術前に剃毛処置をした場所の痒みが強く、
この場所をアイスノンで冷やす
という対処でいったん治まりました。

そしてこの時…初めて
尿道にカテーテルが刺さっている実感
がしました。

凄い痛いわけでもないけど
なんか気持ち悪い・・・という感じです。

以外にも、手術した部位の痛みは
麻酔のおかげでほとんどありませんでした。

よく見るとドレーンが見えますが、
血は苦手なので見ないようにしました。

そして、右肩が筋肉痛のような痛み。
これは上述の姿勢からですが、
ここまで痛いとは思いませんでした。

また、このタイミングから
長い付き合いとなるアイテム

・ナースコール(右手)
・麻酔の増量スイッチ(左手)

を得ました。
ナースコールを無くす事はあまり無いのですが
(ベッド柵に括り付けてある)

問題は麻酔の増量スイッチです。
使用頻度が高いのですが

この時、自身の体には

・点滴
・硬膜外麻酔
・尿道カテーテル
・創部のドレーン

と全身管まみれなため、
頻繁に無くしてしまうのです。

使いたい時に使えない、絶望…

したがって、
ベッド柵につけるS字フックは大事です。
これさえあれば、無くす事は避けられました…

さて、手術を終えて1時間も立たない中、
看護師さんからテストを受けます。

「ぴーめんさん、ここはどこですか?」

「私が数字を言うので、
1と言ったら手を握って下さい。3,9,5,1」

のようなテストです。

問題なかったものの
せん妄状態の方もいる様子だったので、
意識状態のテストだろうなと感じていました。

ちょうどこのタイミング、ICU内には
家に居るものだと勘違いしており
パニックになっている方が居ました。

この時の体の状態は

・とにかく体が動かない
・腕が痛む
・尿道のカテーテルの違和感すごい

と辛い状態でした。

しかし、エコノミークラス症候群を防いだり
術後の回復を早めるために、
この状況でも寝返りを打つトレーニング
を行いました。これがなかなか困難でした…

その後、寝返りを打つコツも掴み
うとうとして、寝て…
を繰り返すと、夜を迎えてきました。

ICUでは何もできません。
早く沢山寝て、
「この辛い時間から解放されたい!」
という一心でしたが

ここでトラブルが起こりました。

ICUのカーテン越しの隣人が
せん妄状態に陥り、「痛い痛い痛い」と叫び
ナースコールを連打するのです。

そこから長い時間、
ずっとその叫び声に悩まされました。

最初は私も心配していましたが、

これが1時間以上も続くと
正直、こちらまでノイローゼ気味に・・・

私も不安になるし、気が滅入ります。
はっきり言ってトラウマです。
(申し訳ありませんが・・・)

看護師さんから同情され、以下のような会話。

看護師「ぴーめんさんは入院初めて?」

私「はい」

看護師「キツイね…
実はICUのテレビは無料なんだけど、観る?」

(ICUでテレビ観れるってすごい。ありがたい申出だが…)

(元々テレビも観ないし、この体調だと楽しめないよなあ…)

丁重にお断りしました。
その後、看護師さんの気遣いで睡眠薬を投与していただき、無事、寝ることができました。

そして、朝。
案の定、例の叫び声で目を覚まします。
そのまま目を開けていると、看護師さんの声。

看護師「ぴーめんさん、おはよう。
今日はもう少ししたら、一般病棟に戻るよ!」

(この叫び声地獄から出られる…)

希望の光が射しました。

そしてうとうとして、目を覚ますと…
私を一般病棟へ運ぶ準備が始まりました。

⑭【入院3日目】手術後1日目

看護師「ぴーめんさん!これから病室変わるけど、車椅子で行く?それともストレッチャー?どっちが良い?」

(ストレッチャーしかない!車椅子すら乗れるか自信ない…)

(しかしながら、ここで甘えて看護師さんの負担を増やすのも申し訳ない…)

5秒の葛藤の末、
私「ストレッチャーでお願いします」

看護師さんが複数人現れます。
おそらく以下のような載せ替え装置を使って、
私をストレッチャーに移し替えます。

そして、再び病室のベッドに移し替えてもらい
一般病棟へと帰ってきました。

看護師「あ、スマホ気になるよね。どうぞ」

金庫から出してくださり、久々に触るも…

肩が痛く、スマホも軽くは無いので、
暇つぶしに使うことは出来ず。
あんなに常日頃から持っていたのに!

なんとか妻に
『一般病棟に戻ってきたよ』とだけ連絡し、
安心感から熟睡。

目が覚めると、妻が来てくれていました。

妻からは寝返りを打つよう助言され
定期的に足も動かすよう指導されました。

「動かさないと、血栓飛ぶよ」
「足も自分で動かすんだよ」

(ぐぬぬ…スパルタだな…)

また、ベッドの角度調整についても
アドバイスされました。

ベッドのリモコンで角度を操作出来ますが…

ベッド柵に取り付けられている、
ベッドのリモコンとナースコール。

この角度が適当だと…

・ベスポジも定まらない
・寝返りも打ちづらい

といった問題が起こりかねません。


後日ベッドから立ち上がるのに苦労しました。

私感ですが・・・
リモコン操作で最も大事なのは以下の二つ。

・頭の角度
→最重要。

寝る際のポジション選定、
水分補給や食事の際に都度角度調整すれば、
楽な姿勢にすることが出来ます。

・足の角度
→寝てる間は
 常に角度を下げておくと便利でした。
(寝返りしやすくなる)

また、たまにテーブルに手が届かないときや、
足がテーブルに挟まっているようなときは
「高さ」ボタンを操作すると便利でした。

リモコン操作を手術前に把握しておくことは
とても大事だと思います。

この日はリモコン操作に慣れてきたら、
居心地の良い寝方ができるようになったので
気付いたら寝ていました。

しかしながら、痛みを抑えるためなのか?
呼吸が浅かったようで、看護師さんから
鼻に酸素チューブを付けてもらったのですが
それが違和感しかありませんでした…

正式名称は
鼻腔カニューレというそうです。

この日の辛い所は、寝返りを打った時の痛みと
右手の筋肉痛のような痛みでした。

相変わらずスマホを見る余裕もなく、
時間が過ぎるのをただひたすら待ちました。

ちなみに
この時の体温は38.0度と結構な高熱。

解熱剤の効果で37度台まで落ちましたが、
手術後は基本的に微熱が続くようです。

ただ、風邪とは違い、寒気とかはないので
身体が暑い程度の辛さくらいでした。

そこまで熱では苦しまなかったことを
記憶しています。

⑮【入院4日目】手術後2日目

この日は歩行訓練の日でした。
ベッド上で起き上がれるように
訓練していたつもりでしたが…
正直、立ち上がる自身はありませんでした。

さらに、歩行訓練の状況次第では、
・尿管カテーテル
・創部のドレーン
・硬膜外麻酔

これらを全て外すとのこと。

「頑張るしかない!」
という思いでしたが、その日は祝日

看護師さんの人数が少ないため
とても忙しそうだったこともあり
結局、管が外れるのは延期となりました。

さて、いよいよ、手術後初歩行の時。
看護師さんが来てくれて、
体についた管をきれいにまとめてくれます。

一度、ベッドサイドに座ってみると・・・
それだけで一度めまいが。

そして、いざ歩行!
意外と歩けますが、早く歩けない!

5m程度往復して終了。
手術による体力低下を実感しました。

そして、
手術後初の食事が解禁されたのもこの日。

汁物が多かったですが、なんとか完食。
食べる姿勢がきつかったので、
早く食べるようにしていました。

大部屋なので部屋の空調がいじれないため
普段は氷枕で温度調整していましたが、
食事をすると発汗するので、
とても気持ち悪かったことを覚えています。

また、この日は
上の子が初めて病院に来てくれました。

私が全身管に繋がれている姿に
子ども心にショックを受けたのか・・・
夜は心配して泣いていたようでした。

子どもの優しさに嬉しくなる反面、
何とも言えない申し訳なさを感じました。

この日は体感的な痛み等のピークは
既に過ぎていたのかもしれませんが、

精神的な疲弊のピークを迎えていました。

大人用のオムツを履き、
身体を拭いてもらうなどのお世話を
看護師さんにしてもらうのですが・・・
(勿論、スタッフの皆さんはとても親切です)

私の自己肯定感がかなり下がっており、
いつまでこの生活が続くんだろう・・・
と思っていました。

その際は、スマホで
同じ腎臓がんで
ダヴィンチ手術した人のブログを見て、

手術後〇日になれば、

・こんなことが出来るようになる
・痛みはこんなに無くなる
・メンタル的にもこんなに回復する

といった内容を見ることで、
明日への希望を持つようにしていました。

この日から、スマホを使い
暇つぶしできるようになって来ました。

⑯【入院5日目】手術後3日目

ターニングポイントとなる日。

この日、ようやくすべての管が抜けました。

管が抜けると、パジャマに着替えられますし
自由に歩けますし、シャワーも解禁されます。

この日の午前中に、
ようやく、すべての管が抜けたのですが・・・

・尿管カテーテル
→抜く時が痛い。
(痛いのは覚悟した方が楽です!)

・創部ドレーン
→抜く時は思ったほど痛くない。

・硬膜外麻酔
→抜いたことすらわからなかった。

といったところでしょうか。(私感です)

さて、
漸くシャワーを浴びられるのは良いものの…

傷口に沁みたりするのが未だに怖いため、
この日は妻にシャンプーをしてもらいました。

ドライヤーを終えると、
久しぶりのさらさら感。

ベタつきも無くなり、
気持ちもスッキリしました。

しかしながら、妻たちが帰ってから、
徐々に傷口の痛みが増してきました。

やはり硬膜外麻酔を外したことから
この日の痛みは以前よりもきつかったため
看護師さんに依頼し、鎮痛薬を貰いました。

ただ、多少痛かろうが今は自由の身!
管がないので気持ち的にはかなり元気でした。

この日から生活水準が飛躍的に増しました。

⑰【入院6-8日目】手術後4-6日目

退院日も決定し、
好きな行動ができるようになりました。

担当医との問診では、

「早めの退院でも問題ないけれども…
スケジュール上問題なければ
是非とも入院を続けてほしい」とのことで
入院を続けることにしました。

まだ傷口は痛みますが、
日に日に痛みが減ってきます。
歩行速度もどんどん上がって行きました!

本記事の執筆もこのタイミングからです。

実はこのタイミングで…
初めて、手術後に喉がイガイガしたので
軽く咳き込んだのですが…

尋常では無い痛みを感じました。
咳き込むたびに涙が出てくるレベルです。

この経験から、喉のケアも兼ねて
寝る時もマスクをするようにしました。

⑱【退院日】手術後7日目

6時起床。

看護師さんの検温、血圧測定時に
傷口について相談してみました。

ドレーンを抜いた最も大きい傷口については
もう絆創膏も付けなくていいとのこと。

多少の滲出があるかもしれないが、
無い方が早くふさがるとのこと。

退院時は
汚れの目立つ肌着を付けないことにしました。

また、嬉しいことも。
退院日も朝食は出るとのこと!
(その分お金払うんですけどね。笑)

帰り支度についても
「9時30分過ぎから会計の準備ができるので、
それに間に合えばいいです。
ゆっくりで大丈夫ですよ!」

なので、のんびり過ごすことにしました。

ゆっくりと片付けを終え、デイルームで待機し
両親と合流。

荷物は両親に持ってもらい、お会計。
クレジットカードが使えて安心でした。

家に着いてからは、
退院祝いのお寿司を食べた後に、
リハビリがてら家事を行います。

この日の歩行は約3,000歩程度でしたが、
足に違和感を感じており、
まだまだ本調子には遠いようです…

ちなみに、この日に初めてお腹の傷跡を
まじまじと眺めてみましたが…

意外とそこまで痛々しさは感じられず、
「このままでも銭湯くらいは行けるかな?」
という個人的な感想でした。
(まあ、怖いので行きませんけど…)

お風呂については、
シャワーメインにして、
湯船はサッと済ます程度にしました。

⑲退院後の生活(追記予定)

⑳病理組織検査結果(追記予定)

2.がんになって思ったこと

2-1.同じがんを闘った芸能人は希望の象徴

私はテレビを一切見ないタイプです。
なので、芸能人には全く興味はありません。

がんとなると話は別です。

同種のがんを患った芸能人の
発信する内容はチェックしました。


私の場合だと、

・川島章良さん(はんにゃ)
・小木博明さん(おぎやはぎ)
・田崎佑一さん(藤崎マーケット)

については同じがん・治療手段
であったこともあり

ネットでもかなり調べました。

特に川島さんは
同じ年齢での発症だったので心強かったです。

芸能人は様々なメディアに出るので
病名を公開した場合は・・・
その人が現時点で今は元気か一目で判ります。

従って
彼らが元気でいること=希望
だと本当に心から思いますし、

同じ病気を闘った芸能人が
元気な姿をアピールすることは、
患者側からすると勇気がもらえました。

これは私がこのような状況に立って
初めて感じた心境です。

2-2.民間療法について

『断腸亭にちじょう』を読んで。

39歳の作者が、
ステージ4のがんであることが発覚してからの
闘病生活を描いた漫画です。
以下リンクから無料公開分が閲覧できます。

これで印象に残ったのは…
第6話のこの言葉です。

(民間療法)など効くわけがないのだ、
ちゃんと分かっている。
冷静だ。効くわけがない。

でも、
苦しい現実に最初に気休めを与えてくれたのは、
大病院ではなく
怪しいクリニックの方だった。

断腸亭にちじょう 第6話より

これは本当に正論です。
私は今も昔も民間療法の否定派です。

しかしながら、
がん治療はすぐには始まりません。

では、治療が始まるまでの間に
腫瘍が大きくなったら?転移したら?


この不安は毎日迫ってきます。

皮肉なことに、
それを救えるのはいつでも実践できる
怪しい民間療法というわけです。

これには衝撃を受けました。
確かにその通りだと思います。

医学的根拠のないものを実施する点は
認められませんが

精神的な安堵感という意味では・・・
と考えさせられました。

2-3.なんでも転移に感じてしまう

育児で抱っこをしまくっていたので
寝起きの腰痛が凄いときがあるのですが

これも「骨転移では・・・?」
と不安になることがありました。

また、普段からストレスで
肋間神経痛になることもあるのですが、
これも「肺に転移しているのでは・・・」

と、どうしても
このような思考回路になってしまいました。

それほど、がんに怯える精神状態でした。

2-4.ステージ1なら儲けもの?

私は保険業界の人間なので、
やはり同業種の人と関わりが多いです。

たまに、ステージ1だろうから大丈夫!
という励ましを込めて、

「ステージ1なら儲けもんだよ!」

という言葉も聞きました。

確かに、私もがんと診断される前は
同じような考え方でした。

”高額の一時金を受け取り、
がんも初期なので問題なし!”

実際に、なってみると全く異なります。
特に、腎臓がんは
20年後に再発した事例があるのですが

私はこれから20年。
ずーっとがんに怯えなければならないのです。

数百万円のお金と、ステージ1のがん。
全く釣り合わないと思います。

ちなみに、ステージ1でも…
同様のがんが再発すれば、

それはもうステージ4です。

2-5.最も怖いのは、当たり前に描いていた未来が不鮮明になること

がんと言われて
「死」が頭にチラつきだしたことも
もちろん怖いことだと感じましたが…

1番怖いのは、
当たり前に描いていた未来が
不鮮明になることでした。

子どもの成人姿
子どもの結婚
妻との老後・・・

当たり前にイメージしていたものに、
モヤがかかったことに恐怖心を感じました。

2-6.他の人が羨ましくなる

がんとは無縁そうな若い人の姿を見ると
どうしても自分と比べてしまって
1人勝手に暗くなっていました。


妻も、子どもも、両親も
自分とは程遠い場所にいる。
このような感覚を持った時さえありました。

そして、自身でもびっくりしたのが
高齢者に対して羨んでいることです。

私は仕事柄、高齢の方を対象に
セミナー等でよくお話しするのですが…

私は長生きできるかわからない。
だから、老後を迎えられている人を見ると、
どうしても複雑な心境になってしまいました。

2-7.今を生きていることへの感謝

がんと宣告された後。
家で洗濯物を干していると、
ベランダから見える景色が
不思議なことにキラキラ輝いて見えました。


その後も…今していることは、
生きているから出来るんだ、と
何事にも感謝するようになりました。

2-8.日常生活を送りながら自宅で死にたいと考えるようになった

これまで考えたこともなかったのですが
自分は最期を迎えるなら、どこで迎えたいか?
を真剣に考えました。

私は、家族4人川の字で寝ているのですが
死ぬ時はそのまま寝て死にたい、
と考えていました。

毎日やっている家のルーチンをやって、
いつものようにみんなで寝て…

思い込みすぎなのでしょうが、
自分にとって何が本当に大切なのか?
見直すことで出来たのではと感じています。

なので、極力最期まで日常生活を送りたい為
可能なら仕事もずっとしていたい。

3.がんになって知ったこと

3-1.がんは部位で治療方法が違う

がんは部位で治療方法が異なります。
たとえば、がんの治療方法は

に記載の通り

①外科治療
②薬物治療
③放射線治療

の三つを組み合わせで行っていきますが

腎臓がんには

抗がん剤や放射線が効きにくい


と言われています。

ちなみに、がんによって
再発の可能性や進行スピード、
転移しやすい箇所も異なります。

従って、がんはがんでも
腎臓がんの人にとって、
ほかのがんの方の体験記は
凄い役立つかと言うと、難しい所です。


もちろん、お金や家庭、仕事との治療の両立などは共通の悩みだと思いますし、

皆元気になることを目指して治療を頑張っているのは共通でしょうが・・・

イメージをするなら…
あなたは大学受験で
国立大学を志望している受験生だとします。

そこで、同じ受験勉強に励む仲間たちの
ブログを見ようとします。

その際、私立専願の人のブログって見ますか?

勿論、受験への強い想いは共通でしょうが、
選択科目、試験時期、
センター試験(古い!)の有無・・・

状況が違うのであれば
あまり参考にならないですよね。

それと同じことです。
なので、
アドバイスや情報を提供するのであれば、

同じ部位のがんの方の情報を与えた方が
きっと喜ばれるかと思います。

3-2.健康診断では何もわからない

人間ドックを受ける前の世代は

血液検査、尿検査、レントゲン程度
の健康診断では・・・

正直、何もわからないかと思います。

私も偶然、たまたま造影CTを撮らなければ、
がんだなんてわからなかったので・・・

「がん検診は大事だよ!」と発信するよりも、
「健康診断だと何もわからない」
恐ろしさを伝える方が
なんとなく、説得力がある気がします。

3-3.AYA世代

皆さんは、
AYA世代という言葉を知っていますか?

がんになって
同じく闘病している方々のSNSを見て
初めて知った言葉です。

AYA世代とは・・・

AYA(アヤと読みます)世代とは、
Adolescent&Young Adult
(思春期・若年成人)のことをいい、
15歳から39歳の患者さんがあてはまります。

小児に好発するがんと成人に好発するがんが
ともに発症する可能性がある年代であり、
肉腫など、
AYA世代に多い特徴的ながんも存在します。

(中略)

また患者さんも中学生から社会人、子育て世代とライフステージが大きく変化する年代であり、
患者さん一人ひとりのニーズに合わせた支援が
必要となってきます。

AYA世代のがんについて |
国立がん研究センター 中央病院 (ncc.go.jp

私自身も、
このAYA世代ということになります。

保険の仕事をしていて
人より詳しいつもりでしたが、

お恥ずかしながら、全く知りませんでした・・・

3-4.がんの顔つき(グレード)

自身ががんになり
”がんの顔つき”
という言葉を初めて知りました。

がんの顔つきとは・・・

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