** ワンオペの 孤独を掬う 鼻歌で オムツの息子 踊り舞い出す ** 長男が2歳になったばかりの2015年、次男が生まれた。 夫は仕事で多忙。私と子供達、3人での生活が始まった。 目の回る生活、孤独な日々。 そこから救い出し、掬い上げてくれたのが、 星野源さんの「SUN」という曲だ。 繰り返し繰り返し、 鼻歌で熱唱でMVで、 単調な生活を、歌い踊り舞い、乗り越えていた。 するとあるとき、 まだオムツを履いていてよちよちの長男が、 私の歌に合わせ手を叩き、嬉しそうに楽
仕事で家を空けることが多い父だったが、選挙の日は必ず家に居た。 父に手を引かれ、ついて行ったときのことを今でも覚えている。毎日通っているはずの小学校が、少しだけ他所行きの顔をしていて、鉛筆の音が、体育館の外で待っていた私の中でこだました。 もちろんその晩の我が家は、選挙特番がテレビに映し出される。なんだかよく分からなかったが、お祭りに似た高揚感があった。 初めて選挙に行った日、社会の一員として迎え入れられた気がした。投票用紙に鉛筆を走らせると、ユポ紙独特の書き心地に感動
キーパーが飛び出している。 油断している。 コンマ何秒の判断で、私はループシュートを選択した。 思っていたより軌道は低かったが、しかしそれは相手を欺くには充分な高さだった。 次の瞬間、ボールがゴールネットを撫でた。 ** 私がサッカーを始めたきっかけは、公園で転がってきたボールを思い切り蹴った瞬間に訪れた。 ボールの持ち主である年上のお兄さんが発した「すげぇ!!!」の一言。 その一言が頭の中でループした。 幼少期の私は、自分の感情をコントロールするのが苦手で
私は現在37歳。 昭和の終わりに生まれ、ゆとり教育の直前を駆け抜けた世代。 私が思春期の頃、既にこう言われ始めていた。 「手に職をつけなさい」 幼少期に嗅いだ、うっすらとしたバブルの香りは遥か彼方。 育ってきたのは不景気で詰まり始めてた社会。 漠然と「稼がなくては生きていけない」という思いを抱え、 安定安全安心が正義だと思って過ごした。 仕事として地方公務員を選んだのは、 私にとってはとても自然な流れだった。 私はそのとき知らなかった。 仕事に安定安心安全なも
13歳のとき、17歳も年上の福山雅治さんを好きになった。 そして、土曜日の23時半から1時まで、ラジオを聴くようになった。 ラジオブースと、暗闇の私の部屋が繋がっているような不思議な感覚に包まれ、私はあっという間にラジオの虜になった。 当時のラジオは、ちょうど今のテレビがYouTubeにその座を奪われそうになっているように、完全に勢いをなくしていた。実際私の周りでラジオを聴いている人はいなかったし、番組枠の改編などで、試行錯誤が外からでも分かるくらい、焦りが見えていた。