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某カフェにて

 山の手線内の、某所にある「A・・・」というカフェは、今わりと、お気に入りだ。
 週末、そこにわざわざ行き、パニーニ・ランチのトレーを持って、ある程度長居出来るソファの席を確保した。食べ始めながら、ノートPCを開く。
 「そうでございますか。お姉さまご夫婦へは、私からご連絡を差し上げましょうか」
 妙に丁寧な男性の声が隣席から聞こえてきた。隣のテーブルのトレーの上には、アイスコーヒーとアイスティー。2つのグラスに赤いストローがそれぞれ差し込まれている。ミルクもシロップも、レモンも、何も入れてない。持ってきてから、手をつけてない様子だ。
 席を使うためにとりあえず頼んだ飲み物。こういうケースは、主に2つ、外国語会話レッスン、か、商談だ。
 ソファ席に、二十代と思われる女性を座らせて、椅子側の席には、四十代後半らしき、大柄な男性。会話のほとんどは、この男性から発している。
 女性は、正面を見ない。ほとんどうつむき加減で、時々声を出すが、質問への答えだ。自分から質問することは無い。色白のすべて華奢なつくりの顔立ち、なで肩にあったブラウス。■ラ□フ☆ンとかア☆タ■ン○■ーの店員の服装そのもののような、ゆったり長いベージュのロングスカートとショートブーツだ。少しウエーブのかかった髪をざっくり後ろに一つ束ねている。
 「こういうお話は、ご家族の方々には、突然のこととして驚かれたり、心配されたりすることも多いので、慎重にお話を進めて・・・」
 ずっと話を続けていく、男性のほうは、褐色の顔立ち、がっちりした肩幅を包むスーツは、ダブルの仕立てだ。腕から時々顔を出す時計は、オメガではないだろうか。薄いピンク地のワイシャツ、きちんとしめた少し派手目のネクタイ、すべて質の良さそうな服地で揃えている。
 横から見ると、スーツ・ゴリラと、子鹿ちゃんが差し向かいで商談、といった様子だ。
 スーツ・ゴリラが、書類を取り出して、ひとつずつ差し示しながら話を続ける。
 「では、ここに書かれている(・・・・文章を読む・・・)、これで間違いはなかったでしょうか」
 子鹿ちゃんは黙ってうなずく。
 「では、次の(・・・また、文章をそのまま読む)、こちらで間違いなかったでしょうか」
 また、子鹿ちゃんはうなずく。ゴリラ氏は、文章をひとつひとつ細かく切って読んでは「間違いなかったでしょうか」を繰り返す。
 文章の読み間違いがないかを確認している、いや、文章を読めない子鹿ちゃんの為に音読してあげている。もちろん、どちらもでもないな。丁寧な言葉を使っているが、ゴリラ氏は、明らかにゆっくりと、クロージングにむかって、押してきている。
 子鹿ちゃんは、何のお客様、なんだろう。隣席とはいえ、書類の中身が見えない。ワープロのディスプレイが見えない風を装い、前のめりになって、ちらっと横を見た。
 「・・・保険・・」
 保険の二文字だけ、拾えた。何の保険だろう。社会人になって、一人前としてのたしなみに入る(入らされる)生命保険とは違うはずだ。オメガ時計に英国風服地で仕立てたスーツの男が、大事に慎重に扱う保険は、それなりの額を担うものでなくては。
 その保険の契約主が、細くて白い、子鹿ちゃんなのだ。お客様であるはずの子鹿ちゃんに対して、圧倒的に優勢の空気を持ちながら、ゴリラ氏は、相変わらず変に腰低くバカ丁寧に、話を進めていく。オメガやスーツ、褐色になるためのゴルフかマリンスポーツをする生活を、子鹿ちゃん達お客様に、しっかり支えてもらうために。
 「あら、こんなの、聞いてないわ」
 なんて、子鹿ちゃんが反旗を翻したらどうなるだろう。子鹿ちゃんからは絶対に出ないセリフだ。慌てふためき、同じところを読み始めてしまうゴリラ氏に、フン、何やってるのよ、と言葉を重ねる子鹿ちゃん・・・
 という展開にはならず、相変わらず子鹿ちゃんは、ゴリラ氏から与えられる説明に黙ってうつむいている。ショートブーツの両足とも床につま先だけつけて、その姿勢を保とうとしているかのようだった。
 なんだか、頑張れ、子鹿ちゃん。
 ノートPCを片付け、空のお皿の載ったトレーを片手に持って、私は席を立った。

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