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ひとりごと

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気の向くままに。毎日の学びをつらつらとメモ。
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#ベトナム

「自分の心が動く瞬間」を見たくて、生きている

「誰かの人生を、ちょっとでも前向きにできたらな。そんな仕事がしたいな」 わたしは、いつだって嬉しかった。誰かが笑うこと、誰かが嬉しくて涙を流すこと、目の前の人が喜ぶこと、目の前の人の心が揺れ動くこと。 * そうわたしにおもわせた、原体験がある。大学2年生の夏に行った、沖縄・古宇利島でのボランティアだ。福島の田舎からでてきたわたしは、あの小さな南の島での、日本中から、世界中からきた人々との出会いに衝撃を受けた。 「まだまだ自分の知らないことが、世界には溢れている」 あ

ベトナムから学ぶ「幸せ」を、日本でおもう

ベトナムのホーチミンで、久しぶりにハノイ時代に一緒に働いていたハーさんと、朝のコーヒーの時間を共にした。近況を聞くと、最近会社を辞めて、転職活動中だと言う。ハーさんは前の会社に7年も勤め、明るくとても優秀で、誰からも愛されていた。 そんなハーさんが会社を辞めたと言うのだから驚いて理由を尋ねると「忙しくなりすぎて土日も仕事をしなければならず、体調を崩してしまった。前の会社は大好きだけど、もう続けられないと思った」と、話す。 そんなハーさんはいま、2か月ほど休養中とのこと。イ

言葉には賞味期限があるという話

Twitterやnoteの下書きにいちど眠った言葉や文章は、ふたたび電子レンジであたためても、どうやったってもう美味しくはならない。そんなふうに、もう美味しく食べられなくなってしまった文章は、わたしの中にたくさん、たくさんある。 だからこそ忘れてしまわぬように、感動したり切なくなったり楽しいと思うことは文章に書いて残したいと思うし、誰かに伝えたいことがあれば、すぐにでもメッセージを飛ばしたり、時には長文の手紙を書いて渡したりもする。 文章を書くとき、私は想いのすべてを書く

東京の街の“寂しさ”が、東京を愛するわたしをつくった

「東京にいる君は、なんだか大人になったね」。久しぶりに会ったその人は、わたしにそう言った。 もしかしたら“大人になってしまったね”と、訳するほうが正しいのかもしれないな。 その人とは、わたしがまだ社会人になる前に浅草のゲストハウスで出会った。まだまだ社会のことも何も知らずにヘラヘラしているわたしに「君はいつも幸せそうだからずっとそのままでいてね」と、笑顔で言ってくれた人だ。ベトナムに住んでいたとき、隣のタイに住む彼は、わたしのことをいつも楽しさの渦に巻き込んでくれた。そし

2019年「省エネモード」は解除したままで【ベトナム・ホーチミン】

人生で、出会える人の数はもうすでに決まっているのではないかと思うときがある。 わたしは人が好きだ。「ひとりでは生きてはいけない」と心の底からの好奇心とともに本気でそう考える。かと思えば、誰とも会いたくなくて、「ひとりが一番だ」なんてノートを広げてひたすら自分の頭の中を整理する根暗な自分もいる。 好奇心旺盛で「ひたすら人に会いたい期」が半年続くとしたら、その後半年くらいは「人に出会うのを控えたい期」が訪れる。うまく調節はできないものかとも思うけれど、調節して100パーセント

わたしは好きな人の100を知らない

「君はかなり外向的な人間で、僕はかなり内向的な人間だ」。今は海の向こうにいるその人がわたしに、そう言った。 「内向的な人間はただ、自分の信念に向かい、ただ自分を知り、目標を達成することだけに時間をつかうんだよ。」 そう自信満々に言う内向的な彼に、「外向的」と言われる自分がただ、空っぽだと言われているような気がした。 わたしがベトナムに住んでいた頃その人は、ひとりで本を読むのが好きだと言うわたしに、(だからわたしは自分を外向的だとはあまり思わない)会うたびに本のプレゼント

ベトナムから日本に帰ってきて、思うこと①

「自分が今、ベトナムに住んでいることを思い出して、将来の自分は何を想うのだろう」と、ハノイのカフェで西湖をぼんやりと見ながらよく考えていた。 それは何年後になるのか、あのときの自分は知り得なかったし、予想もできなかった。けれどわたしは今こうして小さな決断の延長線上で、東京で働いている。 わたしが東京でほどよく混み合った通勤電車に乗っている間も、ベトナムのある人はGrabバイクで通勤しているし、わたしがOLをしている間も、ベトナムのある人はカフェをのらりくらりと経営していて

「長く続く暮らし」の、よさ。

例えば、家を買うとか、好きな花を植えて庭の手入れをするとか、自分好みの家具を揃えたり、好きな本をていねいに本棚に並べたり、長い付き合いのあるご近所さんと世間話をしたり。 「この土地で、長く生きていく」と決めて始める生活の楽しさに、憧れることがある。 ベトナムに住んで1年が経った。部屋の家具はもともと備え付けだし、こっちに来てから日本にいるときほど物を買っていない。 もし今、日本に突然帰らなければならない状況になっても、わたしのすべての荷物は、スーツケース1つにまとめるこ

ちっぽけな個人が、人類みんなの幸せを願うことは、できないから、

ツイッターのフォロー数を増やせば、すべての投稿が見きれなくなる。フェイスブックの友達が増えると、本当に見たい親しい友達の投稿が目立たなくなる。全てを見ることはできなくて、全てを大切にすることは、できない。 * 今日、オフィスでグラスにたっぷり入った水を机にぶちまけた。叫ぶ私、隣で見ていたハーさんが、すかさず大爆笑。「エリちゃん、またなの〜〜!?のび太みたい!!!」 のび太。おっちょこちょいの私のことを、ドラえもんののび太のようだとハーさんが言った。ハーさんはずっと笑って

ベトナムで学んだホスピタリティ。

私は、23歳までは客室乗務員になりたかった。 日本のホスピタリティを本当に素敵だと思っていたから。言葉にしなくてもなぜか伝わって、欲しいものを”察して”用意してくれる。相手のことを心から考え尽くして行うおもてなし。 ”おもてなしとは、心のこもった待遇のこと。顧客に対して心をこめて歓待や接待や サービスをすることを言う。”ーWikipediaより 日本のおもてなしは世界で1番だと、もちろん今でも思っている。日本国民のほとんどが、"お客様はもてなすものだ"という概念を当たり

ベトナムでの、24歳という立ち位置。

小学生の時、結婚したい年齢を聞かれて迷わず「19歳」と答えていた自分がいた。24歳になった今、小学生の頃の自分に伝えたい。いくら何でも早すぎる、と。 子供のときって「ハタチ」に憧れを抱きがちであると思う。お酒が飲めて、タバコが吸えて、「成人」として扱われる。ハタチの人間を、「完成形」を想像している場合が多いけど、20年足らずで人間は完成しないと思う。 * 日本にいたときは、24歳という自分を大人に感じ始めていた。大学4年生の時、学校にいると大半が自分より年下で、アルバイ

自分を幸せにするということ。

”自分で自分を幸せにできなかったら、 一体誰が自分を幸せにしてくれるっていうの?” って、同僚のベトナム人に言われた。 彼女の名前はHaさん。 Haさんは確か35歳くらい。結婚は、していない。一人でハノイ市内に暮らしている。平均年齢が23歳のこの国で、Haさんのように結婚をせず家族と離れて暮らしているのはかなり、いやほんとかなーり珍しい。 Haさんは、人生の楽しみ方を知っている。 自分が幸せになれる方法を知っている。 いつも笑顔で冗談が大好き。人間が好き。勉強が

幸せになるのではなく、幸せだと思える心を手にいれる。ということ。

ベトナムで過ごす、2度目のお正月になる。 今年は、仲良しの日本人で集まって、おでんを食べて紅白をみた。 ベトナムと日本の時差は2時間。ベトナムでにいると、年越しを2回することになる。 ベトナム時間12月31日22時0分。日本で年が明ける。日本の家族にメールを送る。 あと2時間後、ベトナムでも年が明ける。ベトナムは旧暦を利用しているから、ここのお正月本番は毎年2月。テト。 だから日本のお正月はあんまり盛り上がらないよ〜。 なんて去年も言われたけど それは大間違い!

夢を、見忘れた。

初夢 「正月に初めて見る夢のことで,その内容からその年の吉凶を占う夢占の意図があった。正月2日が仕事始めであるので,2日に見る夢を初夢といい,〈一富士・二鷹・三茄子(なすび)〉を縁起の良い夢の代表とした。」−コトバンクより ということは、今日見る夢を初夢というわけか。安心した。だって昨日は、夢を、見忘れたから。 昨夜はきたる2018年のことを考えていたらワクワクと興奮で眠れなかった。 遠足前の小学生のような、大学生の頃ディズニーランドに行く前の晩のような、そんな気分だった