【パーマカルチャーデザイナーvol.49】Kyle Holzhueter
これはパーマカルチャーデザインコース(以下、PDC)を修了したパーマカルチャーデザイナーたちのリレーコラムです。
※パーマカルチャーとは
"Permaculture is a dance with nature, in which nature leads."
パーマカルチャーとは自然に導かれる自然とのダンスのようなもの。
Bill Mollison
ビル・モリソン
#49 Kyle Holzhueter
カイルと出会ったのは2015年11月。
左官の技術を目にするのははじめてで、アースオーブンを美しく仕上げていく姿が心に残っています。
あの時はこんなにたくさんの時間を共にするとは思っていなかったね。
人生の出会いの不思議さを味わいつつ、さまざまな節目を共有できたことに深い親しみや絆を感じています。
今回は多忙なカイルの時間を拝借してインタビュー形式でお届けします。
感謝を込めて。
Q1.あなたについておしえてください
__プロフィールに書いてあることではなく普段みんながふれていないカイル自身のことを知りたいなと思っています。
日本に来たはじまりは長崎の語学学校と聞いているけれど、それはどんなきっかけだったのかな。
カイル 3つくらいの理由がある。
僕は大学で哲学と宗教学を勉強していて、宗教学の先生の1人は曹洞宗の人で道玄禅師の研究をしていた。
大学のある小さな街に曹洞宗のお寺があって、僕自身も座禅会に毎週通っていた。
大学が長崎と姉妹校で単位を取得できる交換留学ができた。
__仏教の影響が大きいということかな?
カイル そうだね。
その3つが重なって日本に来ました。
__交換留学が終わってその後また日本に行こうと思ったのは?
カイル 食事が一番大きかった。
日本食が身体にあっている感覚があったのと、日本の田舎で出会った棚田や畑の美しい景色と食文化が健康な身体に関係しているって体感した。
食と農業とランドスケープの関係に気がついた。
それは日本に戻ってきてからでもあるけどね。
2回目は和歌山にある橋本自然農園で研修生をしながら、近くの高校で英語を教えていて、その後にまたアメリカに戻って大学院に通った。
Sustainable sytemという分野で「生態学」と「環境デザイン」と「有機農業」から学びました。
大学院に通いながら自分のパーマカルチャー農園を実現するために建築の技術を身につけたくて、アメリカで大工のアルバイトをしたいと思っていたところで、つながりのあった農場でちょうどストローベイルWSがあってそこで研修生を募集していた。
実は修士論文が書きたくなくて笑
研修制度を選択すれば論文の代わりになるから笑
日本とオーストラリアの架け橋であったデジャーデンゆかりさんという人がいて、日本大学の糸長浩司教授を紹介してくれた。
ゆかりさんはオーストラリアのパーマカルチャー業界で活躍していた人でパーマカルチャーセンタージャパン(以下、PCCJ)代表の設楽清和さんや糸長教授がオーストラリアでPDCを受けた時に通訳をしていた。
当時は糸長教授がPCCJの代表だった。
彼がストローベイルの研究をしていることを知って、僕はストローベイルの研修生をしていたことから研究テーマが決まった。
そんな流れで日本大学大学院の建築・地域共生デザイン研究室に入りました。
__とてもいろんなつながりを感じるね。左官の技術はそのあと?
カイル そうだね。
アメリカでも土を使って壁を塗ったことはあるけど、日本には左官の何百年の文化が生きてると感じた。
アメリカでは産業革命や戦争の影響で工業製品の建材が普及して土壁の文化は忘れさられてしまったけれど、日本はその文化が残っていた。
僕の考えでは土と漆喰に関しては日本は世界一じゃないかなって思う。
建築を見るとわかる。
__いいね。カイルの目がほしい。
たくさんのお話しありがとう。
Q2.パーマカルチャー デザインコースを通して
__PDCを通してどんなことを感じてる?
カイル
ソーヤー海くんとフィル・キャッシュマンがとても素晴らしい体験を提供してくれていると感じてる。
もちろん海くんとフィルだけでなくて関わってくれたみんな。
パーマカルチャーセンター上籾(以下、パミモミ)を運営していく中でも感じるんだけど、人が集まれば楽しいってよく思う。意図的に楽しくしようとかファシリテートしようとしなくても自然に楽しくなるっていう印象が何度もあった。
Q3.あなたにとってパーマカルチャー って
__カイルにとってパーマカルチャーって何?
カイル よくパーマカルチャーっていうと特別なことと思われてるけど本当は全然特別じゃなくて、その場にとって理にかなっているデザイン・その環境に理にかなった生活や暮らしのこと。
パーマカルチャーの創始者であるビル・モリソンとデビッド・ホルムグレンは東アジアの農村文化をモデルに里山の構成をパーマカルチャーで解明した。
文化として引き継いできた里山での暮らし。
人々は何百年も何千年もパーマカルチャーをしてきていて、これからも営んでいくんだと思う。
Q4.PDCの中で次にバトンをつなぐ人
PDC終了後に上籾地区に移り住み、パミモミの活動を支えるあこちゃん。
縁の下の力持ちでパミモミだけでなくPDCの活動も陰ながら支えてくれている一人。
もはやこのPDCはカイル・海・フィルだけのものではなく、関わってきたみんなのサポートで続いていると感じています。
2023/3/21 春分