死神が呼んでいる。
※これはフィクションです
朝、目が醒めるとゴーンと低い鐘の音がする。これは絶望の音、と私は呼んでいる。
特に大きいストレスがあったわけでも無いのだが(もしかしたら『ある』かも)、焦燥感や不安感が常に付き纏っており実に不快な毎日である。
この症状はつい最近始まったというものでもなく、時期により大きい小さいはあるがずっと昔から、太古に私の不安情緒の化石が埋まっていてもおかしくないくらいの付き合いをしていると言えよう。
さて、心の何かが割れる音を皆さんは存じているだろうか。
生きていれば数々のショックな体験を誰しもがすることだろう。私にもそれなりに辛いことが沢山あったし逆に言えばそれなりに楽しいことも沢山あったものである。
毎日不快な思いをしていながらもそこらへんの客観性は忘れなようにしたいと思っており、楽しいことも辛いことも平等にあったよねそれが人生だよねと考えるようにはしている。
不快な気分を少しでも忘れられるように気を紛らわすようにもしているつもり、なのだが、そう簡単にはいかないものであった。
私には地獄から這い出てくる無数の手、私をずるずると引きずり落とす無数の手が見えている。
この感覚は分からない人には分からないと思うし、分かってもらえるとも思ってはいない、ただゾンビだらけの街に自分一人で大量のゾンビに囲まれたとしたら生きる希望も湧かなくなってこないか?諦めたくならないか?
それでも諦めないというタイプの人間は私とは合わないのでさようなら、私はもうゾンビになりたいのであった。
私の心の何か、がまた割れてしまった。
何も大丈夫では無かった。
死神に呼ばれている。
悲しみやなどのマイナスな気持ちを感じた時、左側の腕から手がビリビリと痺れる感覚がある、左側の頭がずんと重くなる、私は私の左側が何か悪いものに支配されていると考えることにし、気持ちがどうしようなくなると左腕を切るのであった。
それを同居人が嫌がるので、どうしようもなくしんどい時同居人に首を絞めてもらうのだが、ある日本当に限界でかなり強く首を絞めて貰ったところ、目の前が黒い光でチカチカし足が痺れていく感覚がした。それに恐怖も少しあったが、黒い光とともに白い光を感じたのであった。
案外悪いものでもないなと思い、絶望の続く先の先に自死があるものだと思っていたが、絶望を照らす一筋の光、希望なのかもしれないと私は感じた。
これにはもう私もニコニコです。
まあなんやかんやで同居人に宥められて生きることにした訳だが(ここら辺の話は割愛させていただく)、また死神に呼ばれる日は必ず来てしまうのだろうと思う。
楽になれたらいいのに。
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