フェス版エピソードアイギスを語りたがるエアプの人々
エピアイの話題を見ていると、『P3フェス』をプレイせずにプレイ動画だけ視聴して語っている人がものすごく多い。彼ら彼女らは悪びれもせずに「PS2を持っていないからプレイ動画を観た」と告白し、その上で実際にプレイした立場のように語る。話す内容は「本編でモヤモヤした気持ちが後日談でスッキリした」「後日談はP3に必要な物語だからファンなら見届けるべき」だ。どうやらエアプは恥ずべき事だという自覚すら無いようである。
蔑称のため「にわか」とも混同されやすいが(例:「このアニメは制作者が原作エアプだろ」)、とりあえず「自分でゲームをプレイしていないのにプレイしたかのように振る舞う人間=エアプ」と思ってもらっていい。単にまだプレイしていないだけの人の事は未プレイ者と呼び分ける事もある。
どうしてゲームのエアプは駄目なのか?
わざわざ説明する事でもないだろうが、ゲームとはユーザーにプレイされる事を目的とした娯楽コンテンツだ。友達のプレイを横から見せてもらったり、実況プレイ動画をYouTubeなどで視聴するという楽しみ方もあるが、制作者は結局のところソフトを買ってプレイしてもらうために作っている。
何故ならばゲームとはアニメや漫画とは違い、プレイヤー自らが操作し、選択し、体験する事で成り立つエンターテイメントだからである。友達や実況者の都合で進められるゲーム画面をただ見ているだけでは、そのゲームを「体験する」事はできないのだ。
ゲームの制作者は、プレイヤーにいかに作品の世界へ没頭してもらうか試行錯誤し、ゲーム体験の質を上げるために工夫を凝らしている。「プレイ動画視聴でも実機プレイと同じ体験が得られる」と思っている人は、制作者の想いを軽んじ踏み躙っているに等しい。その上、制作者にお金を落とさず実機プレイ者面しているので、やっている事は相当罪深い。
制作者が実況プレイ動画を認可しているのは、それが作品の宣伝になるからである。決してゲームができない人のためにプレイ動画の存在を許可している訳ではないのだ。
ちなみにアトラスは近年のゲーム作品の実況配信は許可しているものの、投稿者の独自要素(投稿者のボイスやテキストなど)の無い動画は禁じている。要するにストーリーを観るだけの切り抜き動画の投稿はやめてくれと呼びかけているのである。ましてや動画視聴など推奨しているわけがない。
YouTubeで検索すると、『エピソードアイギス』の切り抜き動画がゴロゴロ出てくる。99%のエアプ勢は、まさにその切り抜き動画を観て履修した気になっている事だろう。心当たりのある者は恥を知るべきだ。
当たり前だが、エアプは作品のファンから嫌われる。
原作を読まずに二次創作をする人が今も昔も度々話題に上り、ファン界隈で叩かれている。それと同じである。
言うまでもなく、公式に金を落とさず作品を知ったかで語るような人間はオタク失格だ。作品を正規の手段で鑑賞していないのにファンを名乗るような人間は、作品愛の無い界隈の面汚し扱いされる。
ところがエアプが開き直り、実機プレイ者を逆に悪者扱いする光景も見受けられる。この世には我々の想像もつかない人間もいるのだ。
いや、凄い。エアプを嫌うファンを厄介オタク呼ばわりって。
ゲームの不正ダウンロード(俗に言う『割れ』)や漫画村が社会問題になった時に、作品を正規の手段で購入する人達の事を割れ厨が「購入厨」と詰っていたが、それと同じものを感じる。傲慢なのは作品に金を落とすファンを見下すエアプの方だ。そもそも割れ厨がいなければ正規ファンが“特別”になる事もなかったんだよ。
ちなみに実況プレイは“当たり前”ではなく、作品の宣伝になるから制作者が特別に許してくれているだけのもの。制作者からすると、動画で済ませただけの人間はお客さんですらないのである。タダでコンテンツを楽しむのが当たり前だと思っているのなら、それこそ傲慢な考えだろう。
配信者はそれでもゲームを購入し自分でプレイしているが、観ている方は制作者に対して何の利益ももたらしていない事を自覚しなくてはならない。ましてや、お金やプレイする手間暇を惜しんで動画で済ませるなど言語道断。「古いゲームだから遊べない」は何の言い訳にもならない。
動画で済ませて黙っているだけならまだしも、その上でファン面して語るから嫌われるのだ。
『ペルソナ3』は、プレイヤーが体験する事が特に重要なゲームだ。※ここからエピアイネタバレ
『P3』がロールプレイングゲームだからとか自己投影型主人公だからとかそういう理由もあるが、何よりも『P3』のテーマが「プレイヤーがゲームを通して死の疑似体験をすること」だからだ。ディレクターの橋野氏がそのようにインタビューで語っている。
プレイヤーは『P3』本編で死を体験し(まあ描写がまずすぎてちゃんと伝わってなかったんだけど)、後日談である『エピソードアイギス』では“仲間達の未練”たる主人公の影を自らの手で追いかけ、倒し、彼の死を受け入れるという作りになっている(ただし描写がまずすぎて炎上した)。どうしてエピアイやフェス後日談と聞くと途端に呪詛を吐き出す古参プレイヤーがいるのかというと、その時体験した痛みを未だに忘れられていないからである。プレイ動画を観たりネタバレだけ読んだ人には、その痛みや衝撃が伝わる事はないだろう。
フェス版エピアイは全書も経験値ボーナスも無く、雑魚シャドウが強化されている高難易度ゲーであり、20時間以上かけて苦痛な探索とレベリングをこなして真相に近付く仕組みだ。エピアイにブチ切れている人々は、道中がハードな分「頑張って突破したらきっと報われるだろう」と信じてプレイし、期待を裏切られて傷付いた。報酬を与えられないゲームはゲームではなく苦行である。
お金も落とさず時間もかけず、ノーコストでプレイ動画を観て済ませただけのエアプに語れるものなど何もない。無価値だ。どうしても語りたいのであれば自分でプレイすればいい。
エアプの自覚がある人は自分を恥じ、黙るかプレイするかどちらかを選ぶべきだろう。
これは完全な私怨だが、動画視聴のエアプ勢が軒並みエピアイを持ち上げて絶賛している上に、実機プレイのエピアイ肯定派がエアプを批判しないので、私の中でエピアイ肯定派=エアプの図が固まりつつある。あんなおぞましい物語でも、道中の探索作業をスキップして動画で観たら綺麗なお話に見えるんだろうな。動画のコメ欄も賛一色だから流されるんだろうな。本当にクソだよ。
何が最悪って、エアプのエピアイ肯定派が否定派を「P3を理解できずに文句言ってるおこちゃま」扱いしてくる事だ。
エアプがプレイ者に解釈マウントを取ってくる。こんなひどい事があるか。
どうせ橋野氏達のインタビューも見ず当時のプロモも炎上も知りもしないでエピアイ否定派を叩いているんだろう。中にはリロードから入った人達に親切ぶり、「エピアイはしんどいけどS.E.E.S.に必要な話だから気をつけてプレイして」と啓蒙するエアプもいて横転。なんでエアプが新規に先輩風吹かせてるんだよ!おい!!
エアプとエアプを容認する古参のせいでエピアイ肯定派の信用がどんどん落ちていく一方だから、マジで自浄作用をちゃんとした方がいいと思う。こんな人達に漂白リメイクエピアイをやられて更に絶賛されると思うと鬱。