見出し画像

陳腐で夢物語な未来の理想像

「学校の制服って、男子はスカートないですよね。」

美容師さんは、私の髪を切りながら言った。

「そういえばそうですねー、女の子はズボンがあるのに。」

私に付き添いで来ていた母が返す。

近年…近年なのだろうか?学校の制服に女子のスラックスが追加されたのは。
私の学校でも、女子はスカートかスラックスの選択制だ。しかし、男子はズボン一択。男子がスカートを選んではける学校は、日本だと限りなく少ない。これは今のLGBT問題に深く関わっている。しかし、一向に改善の気配はない。あまり世間に気にされていないという事だろうか。

「でも、なんかあるじゃないですか。男の子がスカートの下にズボン履いてるやつ。そんな感じのファッション的な認識なんじゃないですか?」
「あぁ〜」

(え?なんか違くね?)

私は母の言葉に違和感を覚えた。美容師さんは同調したが、私はそうは思わない。LGBTは、決してファッション感覚で共有されるものではない。上手く言えないが、そういうもんじゃないだろう。

と、その前にLGBTとは何かを先に説明しておこう。LGBTとは、レズビアン(女性を恋愛対象とする女性)、ゲイ(男性を恋愛対象とする男性)、バイセクシャル(男性と女性、両方を恋愛対象とする人)、トランスジェンダー(身体の性と自分の認識する性が一致しない人)の頭文字を取った言葉だ。性的少数派を表す言葉として使われる。

私は、LGBTでいうと「ストレート」とよばれるセクシャリティを持っている。身体的性と性自認が一致し、さらに異性愛者という人のことを指すものだ。世界では、この「ストレート」である人が圧倒的に多い。

しかし、他のセクシャリティを持つ人を少数派だからといって差別をして良いのだろうか?否、良いわけがない。そんな事は小学生でも分かることだ。しかし、このような差別は終わらない。
何故か?それは人が、よりそこに属する人が多い程、それを普通だと思い込むからだ。性的少数派の人達は、ただ「数が少ない」だけで、決して「異端」であるわけではない。
人が元から持つ個性で差別をするなど、笑止千万。実に馬鹿げている。

SDGsの基本理念に、「誰一人取り残さない」というものがある。私はそれこそが、今後の未来の課題ではないかと思っている。

誰も差別を受けない、優しい世界。全く夢物語であるが、その夢物語こそが、一人では生きていけない我々人間に必要な未来なのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?