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ザ・ヴァインズが高く再評価されるべき理由

先週の6/24に公開されたアリスター・ニューステッドというオーストラリアのライターの記事が結構ちゃんとヴァインズを再評価する内容だったので、英語を読むのがだるい人のためにDeepLを使って簡単に訳してみた。彼が番組構成を担当した同日のDouble Jでのヴァインズ特集も、同じ視点からみっちり二時間彼らの曲とフロントマンであるクレイグ・ニコルズのインタビューで構成されていて、入門編としても最適なのでぜひ聴いてみてほしい。

少し補足しておくと、ヴァインズの歴史のなかでも最悪の事件として記憶されるアナンデールの一件だが、実際にその場で目撃したファンの報告によると、ラジオ局主催のフリーライブゆえに彼らのファンよりも冷やかしといった感じのオーディエンスが多く、演奏中に大きな声で騒いだりとどうしようもない連中で、当初はクレイグも彼らにもう少し静かにしてくれるよう頼んだりしていたらしい。だがセカンド・アルバムのための長期にわたるツアーとプロモーションによるすさまじいストレスをギリギリで持ちこたえていたクレイグはとうとうパニックに陥ってしまう。

実際、メディアによってデビュー作『ハイリー・イヴォルヴド』のようなポスト・グランジ、ガレージ・バンドとしての側面を強く強調されてしまったことによって、よりダークな曲とサイケデリックで繊細なコーラス・ワークのバラードからなる次作『ウィニング・デイズ』が、「ゲット・フリー」や「アウタザウェイ」のような曲を期待していたファン層に失望されたのは否めない。

クレイグはメディアやレーベルやマネジメントにぶっ壊されてしまったが、それでもコンスタントにアルバムを作り続けている。彼は曲を作ってレコーディングすることとジャケットの絵を描くこと以外は全部苦手なので、レコーディングしても流通までたどり着くのに数年かかったりしているが、それでも生きている限り一生アルバムを作り続けるだろう。彼にとっては音楽を生み出すということは呼吸と同じレベルで生命維持に欠くことのできない行為だからだ。生きているというだけで彼は傷ついている。音楽というかたちでその傷を癒さなければ、彼は生きられない。

わたしはヴァインズがきわめて特殊なバンドだと考えているが、その理由としては、音楽性がまったくぶれないこと、そしてアルバムごとに(リスナーによって好みはあるだろうが)高水準のクオリティと保っていることが挙げられると思う。つまり、思春期に彼らに熱狂していたロック・キッズたちが彼らのことをたとえ何年も忘れ去っていたとしても、彼らは変わることなくかつてのファンの帰る場所として存在し続けるのだ。

じつは本国オーストラリアでもヴァインズの評価はあまり高くなく、歯がゆい気持ちがあったのだが、これからもしかしたら少しずつ再評価の機運も高まっていくかもしれない(希望的観測だが)。でも本当に世界的にも後の世代に大きな影響を与えていて、ロック史においてきわめて重要な位置を占めるバンドであり、きちんと正当な評価をされるべきバンドだ。

(おそらく)クレイグのソロ・アルバムとなる新譜のレコーディングはあらかた終わっていて、早ければ年内に出る(ただし、流通に乗るまでの諸々のプロセスを進める人材がいればの話だが)という情報もあるので、それまでにファンダムを少しでも盛り上げておきたいと思う。


Why The Vines deserve a serious reappraisal they’ll never get
ザ・ヴァインズが高く再評価されるべき理由


AC/DC. INXS. Midnight Oil. Silverchair. Gotye. Sia. Tame Impala. Flume. Courtney Barnett.

海外で広く知られているオーストラリア出身アーティストのリストは、ザ・ヴァインズを抜きにしては考えられない。にもかかわらず、このシドニー出身のバンドは、アメリカやイギリスに進出している他のアーティストたちのように、確固たる尊敬を受けているわけではない。

確かにデビュー作『ハイリー・イヴォルヴド』はオーストラリアのベストアルバムの一つとして評価されているものの、それ以外のアルバムはさほど好意的に扱われてはいない。

むしろヴァインズは栄枯盛衰の典型例として広く知られており、彼らはデビュー作と、そしてどのようにメディアの注目を浴びてきたかを記憶されている。

今になれば、ザ・ヴァインズ、特にフロントマンのクレイグ・ニコルズは、新たなスターを必死に探している若者やトレンドにこだわるビジネスに噛み砕かれ、吐き捨てられた天才の最新の例と見ることができるだろう。

彼らはエンターテインメントの名の下に十字架にかけられたロックンロールの救世主なのだろうか? それとも、ただのロックバンドにすぎないのだろうか? 


ジャンルを問わず、ザ・ヴァインズが2002年に発表したデビュー・アルバム『ハイリー・イヴォルヴド』を以て成し遂げたほど早く、そして大きなインパクトを持って爆発的に売れたアーティストはほとんどいないだろう。

ニルヴァーナ、ビートルズ、シルヴァーチェアーの最も中毒性の高い部分をいいとこどりしたこのアルバムは、グランジの爆発音と鋭いポップ感覚を、音楽業界に耐えうる強度を持った、ラジオでかかりやすいガレージロックの銘柄としてまとめ上げたものだった。

アメリカはそれを愛した。アメリカで注目されたことで、シドニーの小さなパブで演奏していたヴァインズは、全米チャート11位、ローリングストーン誌の表紙を飾るまでになり、ザ・ストロークス、ザ・ハイブス、ホワイト・ストライプスと並んで「ロックの救世主」と称されるようになった。

イギリスの音楽メディアは、ヴァインズをさらに高く評価した。

彼らは2002年から2004年の間に5回もNMEの表紙を飾り、NMEは彼らを「ニルヴァーナの再来」と持ち上げ、フロントマンのクレイグ・ニコルズをカート・コバーンと折に触れて比較した。時には、非常に無責任な方法で(後述する)。

ニコルズが音楽界で最も話題のロックスターになると、グループの未来は無限に広がるように思えた。『ハイリー・イヴォルヴド』は、瞬く間に名盤と呼ばれ、ザ・ヴァインズは、批評家の称賛や賞を獲得し、ライブは軒並みソールドアウト、最も大きなバンドのひとつとなった。


しかし、上がれば下がるものだ。
『ハイリー・イヴォルヴド』の輝きが薄れるよりも前にバックラッシュはすでに始まっていた。

「ぼくらの次のアルバムは100倍いいよ」。ニコルズは2002年にローリング・ストーンでそう自慢げに語ったが、そうではないと当時は一般的に受け止められていた。

ヴァインズのセカンド・アルバムである『ウィニング・デイズ』はファンからあまり歓迎されず、『ゲット・フリー』が5位を獲った一年後にもかかわらず、リード・シングル『ライド』はHottest 100の94位に留まった。

メディアは今や彼らの曲よりもニコルズの不安定な振る舞いに興味を示していた。
以前はスリリングで予測不可能なライブ・パフォーマンスは熱狂的に迎えられていたが、次第にデイヴィッド・レターマンのレイトショーでの「ゲット・フリー」に代表されるような、めちゃくちゃであてにならないものとして嘲笑されるようになった。


そしてインタビューや記事でニコルズに関するこれまで以上に荒れた話が出てくると、ツアーやメディアへの出演がキャンセルされるようになっていった。

2004年5月、シドニー、アナンデール・ホテルで行われた地元でのライブでは、Triple Mがスポンサーとなり、抽選に当たった応募者や業界関係者が集まっていた。

そこでニコルズはオーディエンスを非難した。「なんで笑ってやがるんだ? おまえらは羊の群れだ。メエメエ鳴いてみろよ」。そしてカメラマンのカメラを破壊し、ステージを降りた。

2006年のガーディアン紙にはこう書かれている:

"ベーシストのパトリック・マシューズは二度とヴァインズと共演しないだろう。Triple Mはヴァインズの曲を彼らの放送局から永久に追放する。バンドはすべてのツアーをキャンセルする。カメラマンは警察に通報し、ニコルズは暴行罪に問われる。"

その直後、ニコルズは自閉症スペクトラムの高機能型であるアスペルガー症候群と診断され、治療を続けることを条件に暴行罪は不起訴となった。

規則を守らないというニコルズの評判は、アスペルガー症候群と関係があり、需要のあるツアーミュージシャンの変則的なライフスタイルが彼の振る舞いを悪化させていたのだった。

ヴァインズのマネージャーだったアンディ・ケリーは、LAタイムズ紙に次のように語っている。
「クレイグを診断した医師は、彼の人生は彼のような特性を持つ人にとっては最悪のことばかりだと言っていたよ。毎日違う場所にいて、新しい人に会って、すべてが全く体系化されていないこと。物事はあっという間に下り坂になってしまった」。

名声と激動のツアー生活は、クレイグ・ニコルズには全く合わなかったと言っても過言ではない。新しいムーブメントの矢面になるという圧倒的な現実に耐えられなかったのだ。しかし、いったい誰がそんなことに耐えられるというのだろうか?

2014年にニコルズはローリング・ストーン誌にこう語っている。

「ぼくは人生の中で何度か気が狂ったことがあるんだ。ぼくからしてみれば、それがぼくがどういう人間かってことなんだよ。若い頃はクレイジーなのがクールだと思ってたけど、今はクレイジーであろうとはしていない。普通でいようとしているんだ。ぼくにとって大切なのは、家族とそれからアルバムを作ることだから」

10年以上にわたり、ニコルズはまさにそれを実践してきた。『ハイリー・イヴォルヴド』以降にリリースされた6枚のアルバムの中で、唯一一貫しているメンバーが彼だ。それぞれのアルバムは、それぞれの方法で「カムバック」アルバムとして宣伝されてきたが、ツアーやプレスの機会は非常に限られていた。

不揃いではあるが、これらのアルバムの中には、デビュー作に劣らない素晴らしい作品が散りばめられている(もちろん、それ以外にもビートルズやアウトキャストの素晴らしいカバーがある)。スペイシーな「Don't Listen To The Radio」やサイケ・バラージの「Black Dragon」から始まり、2014年に自主制作された2部作の『Wicked Nature』ではさらに深化している。


しかし、世間が「ニュー・ロック」という物語に興味を失っていくにつれ、ヴァインズの話題も00年代初頭のような熱狂的な高さには達しなかった。

NMEは、2008年にリリースされた4枚目のアルバム『Melodia』の酷評の中で、バンドを持ち上げたことがいかに間違っていたかを次のように謝罪している。

「彼らは我々が言っていたようなロックンロールの救世主ではなかったが、我々は『めちゃくちゃアツい(Highly Evolved)』状態にわずかながらでも戻ってくることを期待していた。しかし、その期待は無駄に終わった」

このレビューには、約束が果たされなかったことへの失望だけでなく、ビジネスがうまくいかなくなったときにメディアがヴァインズをどのように扱ったかを端的に示すような底意地の悪さがある。

ニコルズは、00年代のガレージ・ロック・リバイバルの制御不能なバッド・ボーイとして魅力的に扱われ、「気難しい」インタビューや無秩序なパフォーマンス、マリファナやマクドナルドへの膨大な食欲などで有名になった。

彼は、アスペルガーの診断を受ける前から、そして診断を受けた後も、「吠えるような狂気」や「クレイジー」という退屈なレッテルを貼られていた。これは別にシンガー兼ギタリストの精神状態を心配してのことではなく、見世物としての意味合いが強かった。

「やつは次は何をやらかすんだ?」

メディアの騒ぎは、当時27歳のミュージシャンに、フェードアウトではなくバーンアウトを勧める寸前でやっと止まった。

「今すぐ連中を観ておくべきだ」、 NMEはかつてこう書いた。「それが唯一のチャンスかもしれない」と。この記事は、ヴァインズのフロントマンがカート・コバーンと同じように犠牲になる運命にあることを暗示しているようにも見えた。

2004年のガーディアン紙の記事はさらにひどく、ニコルズが「悔しいことに生きているだけでなく、元気に活動している」とあからさまに訴え、「次の大きなロックの悲劇の分野は2つに絞られている。それはピート・ドハーティとコートニー・ラヴだ」と示唆している。

これが倫理的と言えるだろうか? 


確かにヴァインズの低迷の一部は、ニコルズの自己破壊的な傾向によるものだった。フロントマン自身も後に、2014年の前述のインタビューで、自分の「常軌を逸した」行動の原因がアスペルガー症候群であることを認めている。

「普通は問題にならないようなことでも、ぼくにはとっては問題になってしまうみたいだった……それはとにかく、嫌なやつみたいに振る舞うにはいい言い訳だよ」。

しかしながら、かつてヴァインズを評価していた同じマスコミは彼を中傷するようになり、ひどい場合にはフロントマンの悲劇的な夭折を願うようになり、明らかに救いの手を差し伸べる様子はなかった。

これは、アーティストを偶像化することの危険性について、適切な問題を提起している。ポップカルチャーのジャーナリズムには、ミュージシャンのメンタル・ヘルスや暗い衝動を認知する責任があるのだろうか? アーティストからアートを切り離す方法と理由はいったい何なのか? 

これは複雑な領域であり、最近の例では、#MeTooやキャンセルカルチャーの動きの中で、私たちはまだ多くのことを学ばなければならないだろう。

悲しいことに、問題を抱えた有名人が、短いコラムからオンラインコンテンツに至るまで、格好の餌食になるという現象は未だに続いている。

たとえば、エイミー・ワインハウスは紛れもない才能の持ち主だったが、我々が有名人に憧れるあまり、その名声を与えられた人々が高い代償を払う羽目になってしまったことの犠牲者なのは間違いないだろう。2015年に公開されたドキュメンタリー映画『Amy』では、このことが痛切に描かれている。

同様に、2021年に公開された『Framing Britney Spears』は、10代で世界的なスーパースターになったブリトニー・スピアーズを、メディアが不当に扱っていることを(おそらく偽善的にも)批判し、広く知られるようになった彼女の精神衰弱や親権をめぐる裁判をめぐるタブロイド紙の報道を検証している。

どこか聞き覚えはないだろうか? 確かにクレイグ・ニコルズの受けてきた扱いは、メディアに植え付けられた女性蔑視と同じレベルではない。しかし、彼がマスコミにもてはやされ、残酷なまでに鞭打たれてきた少年であったことは否定できない。


ニコルズとザ・ヴァインズも同様に、2000年代のメディアのハイプの数々から脱却し、より正当な再評価を与えるドキュメンタリーのための題材としてはこれ以上ないものになるだろう。しかし、それが実現する可能性は低い。

バンドの他のディスコグラフィーはデビュー作の影に隠れている。しかし彼らは議論の余地なく、「『ハイリー・イヴォルヴド』? 最高! それ以外はどうかって? クソだ」というような評価ではなく、より正当な再評価に値するのだ。

ヴァインズはもうメディア出演や巻頭特集をやってはいないが、依然として彼らのファンはいる。2018年には、クレイグ・ニコルズがザ・キラーズのライブに友情出演したり、やや奇跡的に初期メンバーとの一時的な再結成を果たしてジェットとのツアーに参加したりもした。

物議を醸し、騒動を起こし、メンバーを変えたことで、彼らの成功は影を潜めたが、彼らが与えた影響については議論の余地はない。ヴァインズは、オーストラリアへの注目を集め、オーストラリアの音楽に対する国際的な需要を開拓し、今日に至るまで多くのアーティストがその恩恵を受けている。

彼らのレガシーは明確ではないが、ヴァインズの成し遂げたことには目を見張るものがあるし、そして何よりも高校を中退した痩せっぽちのニコルズが、ハンバーガーを焼く仕事を辞めて、彼のロックスターたちと同じロサンゼルスのスタジオでアルバムを作るという大きな夢を叶え、生き残ったことは注目に値する。

「オーストラリアで最も人気のあるアルバム100選」で37位にランクインした『ハイリー・イヴォルヴド』の制作を振り返ったフロントマンからは、ある強い印象を受けた。そこから受けたのは、音楽を愛し、自分も音楽を生み出す側へまわることを待ちきれない一人の音楽を愛する少年という印象だった。

2011年のカウントダウンの頃、ニコルズはTriple Jのリチャード・キングスミルに「ええと、それはぼくにとっては本当に思い出深い出来事だったんだ」と語った。

「その前から何年もバンドをやっていたから……ぼくはとにかく音楽に夢中だったんだ。デモを作りながら、スタジオに入る機会が来るのをずっと待っていたんだよ。そしてとうとうその機会を掴んだんだ。結果的にはとてもよかったと思ってる。本当に誇りに思っているんだ」。

結局のところ、ザ・ヴァインズは一組のバンドであり、クレイグ・ニコルズは一人の人間だ。もしかしたら、そういったシンプルな見方の方がいいのかもしれない。



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