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バンドブーマーワイがなぜ"MyGo!!!!!"にハマったのか?

このエントリは、2023年秋シーズンが始まった今更のこのタイミングで、2023年夏アニメ、「Bang Dream! It's MyGO!!!!!」について、熱量のまま語り散らかされています。
TVでの再放送が始まった頃合いですが、すでに1話の放送は終了してしまっているので、興味を持っていただけたら、各種サブスクでご視聴ください。

追記:
熱量のまま書き散らした文章がもう一つあるので、こちらもぜひ。


アニメーション作品としてのBang Dream! It's MyGO!!!!!

「バンドリ!」シリーズご新規様向けの作品

コンテンツは長く続けば続くほど、大きくなればなるほど新規が入りにくくなるというジレンマがあると思う。
「バンドリ!」シリーズは、まさにその一つだ。
すでに約7年続いており、作中の多くのバンドの多くの楽曲が続々とリリースされ、それぞれのバンドのストーリーがアニメ、ゲーム、小説、コミックで展開されているため、今から入るといっても、コンテンツが育ちすぎていて、巨大過ぎて気後れしてしまうのだ。

さらにバンドアニメという点では、2022年秋シーズンの覇権である「ぼっち・ざ・ろっく」が強過ぎて、コンテンツとしての勢いをいまだに失っておらず、さらに「バンドリ!」未参入者としてはアニメ一期の「キラキラ感」をイメージしてしまってもいたこともあり、「いや、そういうのいいんで」となっていた。

しかし、正直神シーズンとは言い難かった2023年夏アニメの中で、今回の「バンドリ!」は、これまでとは違う空気を醸し出していた。
「迷うことを迷わない」というキャッチコピーやキラキラしていないキービジュアルからは、筆者が好きそうな「拗らせた人間たちの物語」を感じたのだ。

生々しい感情がぶつかり合うストーリー

実際に視聴を開始してみると、思った通り……というか、思った以上に重い話だった。
なにしろ1話スタート時点からバンド解散にかかわるギスギスした話が繰り広げられ、「これ、バンドリ……ですよね?」という状態。
仲良しの女の子たちがキラキラ楽しげにバンドをやっているイメージとは真逆で、なんならバンド活動を一度も楽しいと思ったことがないと言い放つキャラクターまでいる。
物語はこの、”CRYCHIC(クライシック)”というバンドの解散劇から始まる。

見栄と承認欲求が強く、作中いち(シリーズいち)の俗人である愛音、コミュニケーションに難のある燈、燈とは違うベクトルでコミュニケーション力が欠落している立希、CRYCHICを引きずり続けているそよ、野良猫のように自由に見えて、ずっとあると思っていた居場所を失い、新たな居場所を探している楽奈。

バラバラの個性とエゴを、バラバラなまま繋げようとしてぶつかり合い、それぞれの願いや思惑が錯綜し、作中のキャラクターたちも視聴者たちも心をぐちゃぐちゃにかき乱されていく。
そしてそれがなんと9話まで続く。
7話以降は本当に見るのが辛くて、8話9話は特にしんどかった。
本気で胃薬を用意しようかと思ったほどだ。
しかしそれを超えての10話のカタルシスは本当に素晴らしかった。
(少々強引さは否めない作りではあったが、とはいえ2話に分けてもダレてしまう話だと思うので、1話にまとめたのは正解だったと思う)

バンドとしてのMyGo!!!!!

バンドアニメの楽曲の難しさ

バンドアニメの楽曲の難しさは、「そのキャラクターが作った楽曲である」ように感じさせる点にあるのではないかと思う。
特に詞については、その重要性が高い。
たとえば「ぼっち・ざ・ろっく」の「ギターと孤独と青い惑星」ならば、ZAQ作詞ではなく、後藤ひとり作詞であるように感じさせることができていないと、ただのキャラクターソングになってしまうのだ。

「ぼっち・ざ・ろっく」が成功した大きな要因の一つはここであり、これはそのまま「It's MyGO!!!!!」の成功にも言える。
「It's MyGO!!!!!」の楽曲は、「MyGOの楽曲」であり、詞に乗せて届けられるメッセージは、高松燈の心の叫びなのだと、スっと違和感なく感じさせてくれる。
これは、キャラクターへの高い解像度がなければできないことだ。

MyGoに限らず、「バンドリ!」 シリーズはまず現実のバンドが1年ほど先に活動を開始し、演奏も歌唱もキャラクターを担当する声優が行なっている。
その活動の中で、演者たちや楽曲提供者たちのキャラクターへの解像度は当然上がっていくだろうし、それが最終的に歌の説得力となり、聴くものの感情を震わせるのではないかと思う。

迷子たちが迷子たちに届ける曲

MyGo!!!!!の楽曲は他のバンドリ!作品のバンドの中でも、というか現在の音楽シーン全体を見渡してもマジョリティとは言い難い、泥臭さすら感じさせるものだ。
曲によってはポエトリーリーディングも加わる、感情をそのままぶつけてくるタイプの楽曲は、人によっては気恥ずかしさを覚えるかもしれないし、「臭い」と思われてしまったりもするだろう。
しかしそういったバンドやシンガーの需要は、いつの時代も確実に存在する。

たとえばポップス界の大御所である中島みゆきがそうだ。
代表曲「ファイト!」はサビの明るいメロディが切り取られがちだが、全編通してその歌詞を読めば、高度経済成長期からバブル期へ移行せんとする1980年代前半の当時、地方から出てきた低学歴の少年少女という、最も低く貶められた者たちの悔しさが綴られたものである事がわかる。

https://youtu.be/HoT3e5Pvfz4?si=YTcv-vw7p4BxvPWK


時代を少し進め、バンドブームの頃には「ECHOES」の存在があった。
彼らは尾崎豊が救うことができなかった(もっと踏み込んで言えば、そういった層から搾取されていた)、不良になれず、グレることもできす、夜の校舎窓ガラス壊してまわることも、盗んだバイクで走り出すこともできなかった「おとなしい子」たちの心を救った。

近年ならば「amazarashi」や「大森靖子」がその役割を果たしている。
秋田ひろむと大森靖子が救った命は4桁では収まらないのではないだろうか?
筆者自身もその一人だ。

生きづらさを抱える者の代弁者はいつの時代にも必要とされるが、「MyGO!!!!!」はまさにそういうバンドだ。
その力は、昨年11月にリリースされた彼女たちの1stシングル、「迷星叫(まよいうた)」で既に存分に発揮されている。

また、「MyGO!!!!!」の楽曲に込められたメッセージを伝える者として、高松燈=羊宮妃那というキャスティングがとてもよく活きている。
彼女の高く細く柔らかい声質は、音楽ジャンルとしてのロックミュージックにはすこぶる不向きといえよう。
しかし、「MyGO!!!!!」のフロントマン、高松燈としては、これ以上なくハマるのだ。
「MyGO!!!!!」は力強く、明るく誰かを励ますのではなく、生きづらさや欠点を抱えた者たちが、同じ生きづらさを抱えた者たちに、「私もここにいる!」と叫ぶバンドであり、そのメッセージは燈の心の叫びそのものである。
おとなしくて周囲に上手く馴染めない子、他者とのコミュニケーションが致命的に下手で、けれども伝えたい気持ちを誰より強く持っている燈=羊宮妃那の絞り出すような叫びには、胸を打つものがある。
ロックを社会的に弱い立場に置かれた者たちの叫びという側面から捉えるならば、これは真にロックである。
誰かに何かを伝えようとした時、唯一伝わるのは「同じ目線で語られた時」だけだ。
上から言われれば反発心が起こり、下手に出られても裏があるのではと勘繰ってしまう。
また、「何を言ったか」より「誰が言ったか」が大事、とも言われる。
冷静な議論などでは「何を言ったか」が重要視されるべきだが、エモーショナルな場面では「誰が言ったか」の方が圧倒的に重要になってくる。
MyGo!!!!!の曲は、強い「当事者性」を持つ燈が歌うからこそ成立するのだ。

ポエトリーリーディングを扱う英断

先述のとおり、MyGo!!!!!の楽曲にはポエトリーリーディングを含む楽曲がある。
ポエトリーリーディングは熱量の高い想いをそのまま伝えられるメリットの反面、滑ればただの「痛い人」になってしまう諸刃の刃でもあり、実は語り手の「伝える力」と場の空気を掌握するカリスマ性が問われる非常に高度な技術と熱量を要する表現だ。
そして、そこで語られる言葉が「誰の言葉であるか」の所在が問われるものでもある。

ポエトリーリーディングを含む楽曲の白眉ともいえるものとして、amazarashiの「つじつまあわせに生まれた僕等」が挙げられる。

amazarashiの場合、作詞作曲はフロントマンである秋田ひろむが行なっており、まさしく秋田ひろむ自身の言葉だ。
しかしMyGo!!!!!の楽曲は演者自身によって作られたものではない。
作品世界の燈の言葉であるとはいえ、「実際に作った」のは外部の作詞家・作曲家である。
それでも燈=羊宮妃那のリーディングは聴くものの心を捉えてしまう。

「言葉」とは誰のものであるか?
それを綴った者だけが理解し、語る資格をもち、他者の心を震わせることができるのだろうか?

筆者は「否」であると考える。
鍛治師が打った剣を振るうのは、鍛治師自身であるとは限らず、その担い手である「剣を振るう者」であることが多い。
言葉もまた然り。
数多の詩人が作った詩篇が数多の人々に誦読され、劇作家が作った舞台を役者が演じてきた。
言葉もまた、「作り手」と「担い手」が存在し、それが同じである場合もあれば、違う場合もあるだろう。
しかし、正しくその担い手に託されたのであれば、言葉は血肉となり、血肉となった言葉だからこそ、傷を負えば血が流れる。
その時、その言葉はすでに「その人のもの」であると言えないだろうか?
(無粋な補足だが、著作権云々という話ではない)

この「潜在表明」の映像を見てもらえれば、彼女たちがその「担い手」としての資格を十分に有していることを理解してもらえると思う。
他にポエトリーリーディングが含まれる楽曲としては、本編第10話で出てくる「詩超絆(うたことば)」があるのだが、これは是非本編で見てほしいので、リンクは貼らない。
あの感動を是非本編で味わっていただきたい。

Rock is alive

過去に何人のアーティストが、何度「ロックは死んだ」と言っただろうか。
それを口にしたアーティスト達もなにかしらの理由があってそう言ったのであろうが、いまだ筆者はこの半世紀ほどの人生の中で、ロックの葬儀にでくわしていない。

「Bang Dream! It's MyGO!!!!!」が放映された今年(2023年)の夏は、10代のアーティストによる「音楽の甲子園」と呼ばれる「閃光ライオット」が9年ぶりに開催された年でもあった。

次世代、次々世代のバンドの熱量をみて「なんだよ、ロック全然死んでないじゃん!」と筆者は感じた。

現在筆者の最推しである「toybee」をはじめとしたインディーズや自主制作で活動するバンドマンもたくさんいるし、メジャーのバンドもまた多く存在する。

世界に目を向ければ、確かに音楽ジャンルとしてのロックは衰退してきているのかもしれない。
しかし、ここ日本においては全く衰えることなく、「邦ロック」という進化を遂げて生き続け、進化し続けている。
これからもこの国では数多くのロックバンドが生まれるだろうし、さまざまな形でロックは生き続けることだろう。

その生存先のひとつが、日本の自慢のコンテンツである「アニメ」であろう。
「BECK」、「BanG Dream! シリーズ」等ロックを題材としたさまざまな作品が存在し、「ぼっち・ざ・ろっく」のような、世界的なムーブメントを起こした作品も存在する。
実際、筆者が10代の頃のバンドブームから下火になっていた「バンド」という形が盛り返してきた大きなカンフル剤となったのは、おそらく「けいおん!」だろう。
どの界隈でもライト層の取り込みで裾野を広げることが衰退を止めるための定石であるし、ロックもまた例外ではない。
頭の固い人というのはどの界隈でも存在するし、原理主義的な人もどうしてもいるので、反発する人は一定数いるだろうが、アニメとロックは、わりと良好な関係を持てているのではないかと個人的には感じる。

多くの次世代のバンドマン達や、これからの世代に火をつけ、かつてのロックキッズ達の炎をも再燃させる「ロックなアニメ」の存在。

筆者はロックの未来を全く悲観していない。
むしろこれから、もっともっと素晴らしいバンドが出てくるであろうと期待している。
MyGO!!!!! は、そんな今の日本に花開いた「ロックバンド」のひとつだ。
こういう流れが途切れないかぎり、日本のロックは安泰だ。

果てしなくどうでもいい蛇足

リアルバンドの方のMyGo!!!!! 、バンドとしての仕上がり方がとても高次元なのだが、もう一点……。

メンバー5人ともビジュ良すぎんか!∑(゚Д゚)

作中のお気に入りキャラはギターの楽奈ちゃんだが……。

リアルバンドの方ではベースの小日向美香さんが可愛すぎてヤバい!

11月1日にはアルバムの発売が予定されているし、アニメ2期も決定しているので、今後とも活躍に大期待している。
これまで手を出したことのないリズムゲーであるガルパにも手を出してしまった。
しばらく熱は冷めそうにない。

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!