【困窮してみた・再生編 No.21〜OZZYのメンタル歴・四回目その2〜】
今回のエントリは、無料部分に人の死の描写がでてきます。苦手な方は読み飛ばすかブラウザバックをお願い致します。
今回はそれ以外にも、世間を引っ掻き回した大事になった事件とリンクするお話がでてきますので、その部分につきましては有料とさせていただきます。
「マンション買っちゃった〜♪」
ええええぇぇぇ……(;´Д`) いやまって、ちょっと言ってる意味がわからない。
だってだってだって、だってだってなんだもん。
いやもう明らかにおかしい。前の会社のころの課長は、とにかくダウナー系で、声も小さくて「あぁ……はい……」という雰囲気だったのに、「うるぁー! ガンガンやってくぞゴルァ! 気合たんねーぞカレー!(デュクシ!) なめてんのか!? どーんといこうや!(デュクシ! デュクシ!)」と、おとなしい人が無理くりウェイっぽく振る舞ってる感じに。
ガンガンアポイントやセミナーの予定を入れ、そのことごとくを滑らせる課長。さらに課長ってば、動画撮影用のハイエンド一眼レフやらカメラ機材やらを購入申請し、専務(社長の奥様・鬼の会計)からのあたりはどんどん強くなる一方。戦略を練るはずの部長は赤い顔で常時飲んだくれ。「これはだめかもわからんね」状態で、技術主任のKさんに「どんなもんスかねぇ?」と相談すると「はい?」という反応。いや、はいじゃないが。
課長も、「部長があんなだし、主任はそんなだし、カレーはこんなだし、オレがなんとかしなきゃ!」的なことは考えていたのかもしれません。まぁとはいえ、これだけフリーダムやらかしたら、Jさんも庇いきれません。事務所を引き払い、グループ会社4社が全て入ったビルのワンフロアの片隅に、僕たちは引っ越すことになりました。
なかなか上がらない売上。高額で利益も高い反面、手離れの悪い商品なので、鳴り止まぬサポートとクレームの処理で手一杯の中、グループ会社内での立場はドンドン悪く、肩身が狭くなっていく。忙しい。でも利益にならない。売れていた頃はノリノリで応援してくれていたJさんも、ニッチな商品ゆえ商圏も狭く、行き渡ってしまった後はリプレース(買い替え)もなく、サポート期間中は利益もないのに忙しいという、バッドスパイラル。「ある製品(有料部分にて)」が売れに売れて絶好調のグループ会社から、飛び交う煽りと嘲りと怒号。中国人社長であるJさんの「なんでも試すけど、金にならないものは即撤退」の気質との相性の悪さもごまかせないレベルとなり、僕たちのチームは1年を待たず解体することになりました。
僕たちのチームは、「残って他の関連会社に引き取ってもらう」か、「辞める」の2択を突きつけられました。準備期間は1ヶ月。部長は会社をあける日が続き、課長はデスクでずっと頭を抱えたまま。僕は、関連会社に引き取ってもらうことになりました。
宙に浮いた状態になったのは課長でした。完全なゾンビ状態で、出社はしてくるものの、何をするでもなく、一日中虚ろな目でデスク前に座っていました。
その数日後、部長は、前の会社の仕入先だった会社への移籍を決めてきました。そして、「お前たちも連れて行きたかったけど、さすがにそれは断られた」とのことでした。
もはや完全に屍人の目になっている課長を見かねた部長が、「おい、◯◯、死ぬなよ」と声をかけたのですが、消え入りそうな声で
「死んじゃうかも……」
と答えました。事実、本当に死にそうでした。
それが現実になったのは、部長が転職し、僕が系列会社に転籍になり、課長が離職して数カ月後のことでした。その間、部長からは「◯◯の様子ちょっとみてきてくれ。呼び鈴鳴らして」と言われ、定期的に訪ねていっていました。課長の引越し先のマンションは、当時の僕の家から目と鼻の先だったので。しかし、いつ行っても、彼からの応答はありませんでした。携帯にももちろん出ない。でも、部屋の明かりはついている。まさか本当にそういうことが、自分のまわりで起こるとは、全く想像もしていませんでした。
5月に移籍して、約4月後。暑さもやっと和らいできた頃だったと思います。部長から電話がありました。「◯◯、自分のマンションの中で死んでたらしい」と。
現場検証に立ち会ったのは、Jさんでした。
実家とはほぼ断絶状態、仲の良い友だちらしき人もいるのかどうかわからず、よく口にしていた恋人は、非実在彼女だったようで、唯一連絡が付きそうな姉とも連絡がつかないという状況で、遺体は腐敗が進んでいたそうです。遺体からは、違法薬物が検出されました。今になって思えば、あのおかしなテンションは、違法薬物によるものだったのかもしれません。
さすがのJさんも、これには堪えたようです。さらにその前から、「ある製品」に関して複数の大企業から訴訟が起こっており、Jさん自身も終わりの始まりに立たされることになりました。
僕が移籍した関連会社は、この製品には全くノータッチだったので、唯一延焼を免れていましたが、基盤がどんどん崩れていく状況のなか、亡くなった課長の件も加わって、どんどん大きくなっていく脳内のアラート音を無視できなくなってきました。しかし、当時既に40代が見えている年齢。一貫したスキルもなく学歴もない僕は、転職市場では「見切り品レベル」であることは明白。僕は部長に連絡をとり、そちらの会社になんとかネジこんでもらえないか打診し、面接に漕ぎ着けました。面接の段階で、これまでの実績と僕の有用性を理解してもらえ、そちらの会社への移籍(その段階では内定)が叶いました。
「いままであまりにも色々ありすぎてお疲れでしょうし、少しのんびりしてからいらっしゃい」ということで、金銭的な余裕もあったため、入社は約9ヶ月後。久しぶりのロングバージョンとなりました。
【(在職期間25ヶ月(系列会社も含む)・次職までのブランク9ヶ月。(課長の死でプチ病み))】
ここから有料。Jさんの会社で何を扱っていたかはコチラ↓で。
【この会社で扱っていたもの】
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