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世界ってホントクソだよね(クソ多め注意)

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2019年8月29日 14:58
これを読んだ後に行動するときに注意すべき点をかいたやつ。

世界って、ホントクソだよね。

夏休みの終わりを前にしている今のキミとなら、多分この気持ちを共有できるんじゃないかな、と思う。

世界ってホントクソだよね(アゲイン)。

学校行っても、なんか「ウェーイ!」みたいなヤツがデカイ顔してるし、授業つまんねーし、グループLINE返すのウゼーし、っつーか俺ぼっちだから、グループLINEとか入ってないし……ってか、いまどきはLINEじゃなかったりするのかな?

おっちゃんの時代は、メールすらなかったからさぁ……携帯は通話しかできない上にクソ高かったし……ポケベルって知ってる?
ハマ男やボビ男がベブリでYou Can’t Touch thisで……って、まぁその話は今はいいや。

えーと……なんの話だっけ?
あー、そうそう!
世界ってクソだよね、って話だ!

残念なお知らせなのだけれど、今学校で起こっていることは、キミが大人になってからも、まるっきり同じような感覚で、まるっきり同じようなクソい理由で起こります。

大人になっても、会社につとめてサラリーマンになっても、学校に通っていた頃と全く同じノリで、全く同じ幼稚さで、よりえげつないレベルで起こります。
成長とはなんだったのか? って頭抱えたくなるけどね。

とはいえ、もうキミも気づいているかもだけど、クソの中にも種類があって、『ホントにクソなクソ』と、『よりマシなクソ』がある。
で、何が『クソなクソ』で、何が『マシなクソ』なのかは、人によって違うんだな。

たくさんの友人が必要な人 / ぼっちの方が気楽な人

どこかに所属した方がラクな人 / 一人でやる方がラクな人

人と話すのが好きな人 / 人と話すのが苦手な人

そりゃもう、色々な事に言えるんだけど、自分にとって、『無理』なことと『我慢できる』こと。
それは、人それぞれにオリジナルに違う。

このことをアタマに置いておかないと、何度も選択をミスってコンティニューする羽目になるから、まずは自分の得手不得手を見極めた上で、この2つの原則は、ちゃんと覚えておいた方がいい。

大事なことだから、もう一度言うよ、

原則1.
世界はおおむねクソである。

原則2.
何が『ガチクソなクソ』で、何が『マシなクソ』なのかは、人によって違う。

だから、『合わないクソ』を避け、『合うクソ』を探す必要がある。
当たりがそもそもないくじ引きみたいなもので、どれを選んでもほぼ間違いなくクソだから、キミの全ての要望を満たすような環境は、まずない。

キミの夢がYouTuberで、うまいこと再生数も登録者数も爆上げして、ヒカキンさんや水溜りボンドさんや、木下ゆうかさんみたいなアルファユーチューバーになれたとしよう。

そんな時でも、キミは『人気YouTuberというクソ』を手に入れただけだ。
望んで得た立場や環境であっても、かならず何かしらクソなことは起こる。
クソリプついたり、叩かれたり、リアル凸くらったり、ヒカルさんみたいに下手こいて人気下がったりね。
あとは人気商売だから、いつ自分がオワコンになるかという心配もあるだろうし。

クソはホントに、リアルなクソと同じように、拭いても拭いてもしつこくくっついて回る。
ウォシュレットでもありゃいいのにね。
でも、概念としてのクソをキレイに洗い流すものは、この世に存在しない。
残念ながら、世は、おしなべてクソなんだ。

それでもその中で、まだ我慢できるクソを探し続けることが、『人生』という壮大な暇つぶしタイムの中でする、ほぼ唯一の作業だったりする。

だから、人生のより早い段階で、

『どういう傾向のクソなら、自分を壊すことなく我慢ができるか』

を探すことが大切なんだ。
自分自身と、時間をかけてしっかり向き合って。
小中高なんて、極論、それさえやっときゃいい。

人間てさ、一回ぶっ壊れると、また壊れやすくなっちゃうんだ。
前は平気だった事でも、すぐにまた壊れてしまうようになっちゃうんだ。
そして、壊れた部分は、元には戻らない。
切断した脚がまた生えてくることはないように、壊れてしまったココロも、元通りにはならない。
これは、覚えておくといい。

それからね、これも大事なことなんだけど、せっかくみつけた『自分にとってよりマシなクソ』も、時代の流れとともに、なくなってしまうことがある。

だから、『なくなりそうなマシなクソ』にしがみつきながら、『大体同じくらいのクソさ加減の、あたらしいマシなクソ』を、常に探し続ける必要があるんだ。
現代は特に、とっても流れが早い。昔は、ひとつのクソに、一生乗っていられたらしいけどね。

そう考えると、現代を生きるキミ達は、僕がキミ達の歳の頃よりも、ハードな時代を生きてるんだな、って感じる。

でもね、いっこだけ。
オッチャンが、ちょっとだけキミ達を、『うらやましいな』と思うことがある。
それは、『インターネットがある』ってこと。

オッチャンがキミ達の歳の頃、インターネットは普通の人が、こんなにカジュアルに利用できるものではなかった。

普通の人が初めて『インターネット』という単語を知ったのは、オッチャンが二十歳を超えた後だよ。
人々がインターネットを日常的に使うようになったのなんて、更にもっと後のこと。

インターネットのおかげで、僕はこの世界に『クソではないもの』もあることを知った。

親以上に信頼できる、大切な人に出会えたのも
僕と同じように、文章で表現をする人たちと繋がれたのも
文章以外の表現者のひとたちとも仲良くなれたのも
普通に生活してたら出会えないようなスゲー人たちと出会えたのも

全部インターネットのおかげだ。
そして、このクソい世界の中で、

しんどいなー
辛いなー
クソだなー

と感じてるのが、僕だけじゃないと知って、とっても気持ちがラクになった。
そんな気持ちをシェアできる人たちに出会えた。

オッチャンは去年、うっかり『ガチクソのクソ』をマシなクソと勘違いして乗っちゃって、いま割とえらい思いしてるんだけど、そんな中で、オッチャンのことをとても大切に思ってくれる身近な人が必死に支えてくれたり、いろんなご縁で知り合えた人たちが助けてくれたり、クソくない素敵なことが起きたんだ。

もしかしたらね、オッチャンが運が良かっただけなのかも知れないけどね。
でも、これだけは間違いないのはさ、

生きてたから出会えた

ってことさ。

いろんな言葉を、いろんな目線を向けてくる人がいて、それって必ずしも好意的なものではなかったりするよね。

バカみたい
キモい
ウザい
恥ずかしくないの?
情けない?
こんなこともできないの?

まぁ、その他色々。
もうさー、こんなん一々とりあってたら、命いくつあっても足んないんだわ。

情けなくても
カッコわるくても
おさまり悪くても
ロクにマトモにできなくても

仕方ねーじゃん。
生まれっちまったんだもんよ。
ヘタクソでも向いてなくても、生きてくしかねーじゃん。

そんでさ、どうせ生きてくしかねーんだったら、なるべく楽しくラクに生きたいじゃん。

あのね、『ラク』に罪悪感持っちゃう感じ、オッチャンもわかるんだけどさ、それ、間違いだからね。

努力をして素晴らしい成果を得ることは尊いよ。
それは否定しないよ。
自分が本当に欲しいもののために頑張るってのも、とても尊いことさ。
だけどさ、

ただ『生きる』程度のことがさ、そんなに難しいって、ちょっとおかしくね?

健やかに、にこやかに、和やかに。
ただ日々、そんなふうに生きる程度のことが、なんでこんなに難しくなってんだ?
なんかおかしくね? 絶対おかしいよね?

誰得のガマン大会からは、降りていいんだよ。
オッチャンも降りた。オッチャンだけど、降りた。
この先大変になるかもしれないけど、今降りないと、もう生きてけないなー、と思ったから、生きるために降りた。

おかしいな
なんか変だな
なんか辛いな

そう感じる方が正常だと思う。

『みんな我慢してるんだ』って言う人もいるけどさ、じゃあみんなで我慢するのをやめりゃいいじゃん。
そしたら、誰も我慢なんてする必要なくなるじゃんね。
よくわかんない理屈で、よくわかんないルールを押し付けてくる人の話なんて、きかなくていい。

意味わからんルールや、理不尽な言い分でキミを傷つけようとするモノからは、全力で逃げろ。


ルールなんてのは、絶対のものじゃない。
時代や場所で、まるっきり変わっちまうもんなんだ。

『キミに合うルール』を採用しているところは、どこかにきっとある。
とにかくアホな場所からは一旦逃げて、そういうところを探してみりゃいいのさ。

大丈夫、キミ達のご両親よりも年上(かもしれない)オッチャンでさえ、理不尽なことからはソッコーで逃げるんだから。
キミみたいに若い人が、生きるために逃げることは、なーんにも恥ずかしいことじゃない。

なんにしても、まずは生きてようや。
生きてりゃ、とりあえずなんだっていいよ。

クソくない世界を作れるのは、クソをクソだと言えるヤツだけなんだから。


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