見出し画像

共依存関係から「理解のある彼くん」に戻る方法

今朝ほど

という旨のツィートをしたのだけれど,140文字のツィートをツリーぶら下げて話す内容でもないかなと思い,自分の問題の言語化の過程を,文章のリハビリがてら久しぶりに。

繰り返し言うけれど,「理解のある彼くん(夫)」当事者として言えるのは,この状態のキープは非常に難しい。というか,正直にいうと,僕達自身が共依存的な状態に陥ってしまっていることは否めない。
僕達には子供がいないので想像でしかないけれど,「親離れ・子離れ」とすごく似ている気がする。
共依存関係と言っても,同居しているのといないのとでは全く事情が変わってくるので,今回は同居していることを前提として話を進めていく。


【現在の状況】

まずは話を進める上で,我々がどういった状態であるかというと,

  • 夫婦2人,子どもはなし。

  • 妻は2級障害者(統合失調症・障害厚生年金受給)

  • 夫である僕は3級障害者(確定診断は鬱。自分では双極の可能性を疑ってる)

  • 食材の買い出しや通院,週3回の職場への出勤以外は基本的に在宅。

  • 家事の分担は,感覚的には僕8:妻2。分担の詳細は

掃除:家を6つのエリアに分け,4/5の部分を僕が担当し,1/5を妻が担当。
炊事:作る方は100%僕。後片付けも,洗うのは僕。食器を拭くところだけ手伝ってもらっている。
洗濯:洗うのと干すのは僕。畳むところは,2/3ほどが妻,1/3ほどが僕の担当。

である。妻の家事への参画は,少しずつではあるものの進んできており,僕としては頑張ってくれているな,という印象。

求められるケアと難しい線引き

ある程度重度の精神障害者に対するケアとして考えられるのは,

  1. 生活上のサポート

  2. 精神面でのサポート

の2つが挙げられる。
生活上のサポートとは,主に家事のことだが,通院の同行なども含まれると思う。食事の提供や洗濯,掃除等の家事労働だ。メンタルに疾患のある人の場合,そう言ったことが疎かになってしまいがちだし,同居している場合,完全な分業は難しく,できる方がやる,あるいはより多く負担するということになると思う。この点に関しては,ある程度は致し方ないと思う。メンタル云々だけでなく,健常な人でもできないこと,苦手なことはある。
しかし例えば通院の同行などの場合を考えると,ジャッジが難しいところが出てくる。
精神科への通院の同行は,客観的にみた状況を担当医に説明するためなどに必要であろうし,他の科の病院であっても,初めて受診するところであれば,病院という場所自体が一定の緊張感や不安感を与える場所であることを考えれば,同行はした方がいいだろう。しかし,何度か通っている,精神科以外の病院への度々の同行はどうだろうか? もちろん,病状にもよるので一概には言えないが,グレーなところではないかと個人的には思う。

さらに問題となるのは②だ。例えばフラッシュバックや急激なメンタルダウンなどで辛い精神状態の時に,どこまでの寄り添いやスキンシップを許すか。多くの時間一緒にいることを求める相手の気持ちに対して,どこまで答えるべきなのか。
どこまでが「寄り添い」で。どこからが「甘やかし」なのかのラインは極めて曖昧だ。

共依存のアリ地獄

接触時間が多ければ多いほど,距離が近ければ近いほどに相手の安心感は増すだろう。しかし,サポート力が強ければ強いほど,相手の自立の力は奪われていく。自分で立つ必要がなくなるからだ。「この人さえいれば」自分は労せず立っていられるし,「安心」でいられる。
一方でサポートをする側も,「この人のサポートさえしていれば」承認欲求が満たされるし,なんなら愛情や愛着(それは本物である場合ばかりではないけれど)も与えてもらえる。こうして「共依存」が出来上がる。
しかし,どうしたって無理は生じてくるものなのだ。

サポートする側は,度々の接触や精神的ケアの要望への対応に自分の精神をすり減らしていく。一日のほとんどの時間を相手と同じ場所で過ごしていると,常にアラート待ちの状態になるため,集中して何かをやるとか,心置きなく何かを楽しむといったことができなくなる。外に出ている場合も同様だ。今相手が家の中でどういう状況であるかが常に頭の片隅にある状態で,心置きなく何かを楽しむということができない。
サポートされる側もまた,普段の接触が強く長く深いため,引き剥がされた時に心が無防備になってしまい,不安感を強めてしまう。精神的に安定せず,何も手につかず,不安なまま相手をただ待つだけになってしまう。
この状態を一生続けることは事実上不可能だ。必ずどこかで破綻する。未婚の場合,最終的には別れてしまう人たちも多いのではないだろうか。冷たいようだけれど,お互いが自分の人生を,きちんと自分のために生きるには,それが最適解だと思う。
しかし,相手と別れたくない場合。パートナーを見限ることなく共依存を断ち切るのは,かなり難易度が高い。蟻が蟻地獄から脱出した上で,さらにアリジゴクを穴から引っ張り出すくらいの難易度だ。

必要な痛み

今僕の頭で捻り出すことができる解決方法は,痛みを伴う自己開示と徹底的な話し合い,相手以外の居場所づくり(これは一朝一夕には難しい),そして相手への適切な「無関心力」を養うことだ。

  • 自分がどのように辛いのかを(双方ともに)言語化して伝える。

  • どういう時にどういうサポートを必要としていて,どういうサポートができるかの共有。

  • ここまではやってほしい・これ以上はできないのラインを決める。

  • 愛情表現と愛着行動との差異を意識する。

  • 「一緒に」ではなく,「それぞれに」相手のいないコミュニティ(できれば複数)との関わりを持つ。

  • お互いが側にいないときの世界や時間の使い方について,良い意味で無関心になる。

これらは当然痛みを伴うし,全部はできない可能性も高い。特に,外側のコミュニティとのつながりを得ることは,誰かに依存しているわけではない人でも,なかなか難しい。
でも,やらないと詰む。どこかで必ず崩壊する。
相手が必要だと思うのであれば,それこそこの危機は全力で回避する必要がある。相手との関係の変化や一時的な気まずさを忌避して逃げ回っても,暗雲は晴れない。

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!